平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

日野瑛太郎『フェイク・マッスル』(講談社)

 たった3ヵ月のトレーニング期間で、人気アイドル大峰颯太がボディービル大会の上位入賞を果たした。SNS上では「そんな短期間であの筋肉ができるわけがない、あれは偽りの筋肉だ」と、ドーピングを指摘する声が持ち上がり、炎上状態となってしまう。当の大峰は疑惑を完全否定し、騒動を嘲笑うかのように、「会いに行けるパーソナルジム」を六本木にオープンさせるのだった。文芸編集者を志しながら、『週刊鶏鳴(けいめい)』に配属された新人記者・松村健太郎は、この疑惑についての潜入取材を命じられ、ジムへ入会する。あの筋肉は本物か偽物か。松村は、ある大胆な方法で大峰をドーピング検査にかけることを考え付くのだが――?「真実の物語」が始まった。(帯より引用)
 2024年、第70回江戸川乱歩賞受賞。加筆・修正のうえ、2024年8月刊行。

 作者は第67回、第68回、第69回江戸川乱歩賞最終候補。5回目の挑戦となる今回で『遊廓島心中譚』とともに受賞。
 人気アイドルのドーピング疑惑を新人記者が負う話だが、その取材だけでほぼ終盤まで引っ張っていけるのは大したもの。ど素人の潜入捜査ということで、ボディビルの知識が一から語られる「お勉強ミステリ」になるかと危惧していたが、テンポのある小気味好い文章とストーリーのおかげでほとんど気にならなかった。ドーピング疑惑の意外な真相も含め、よく書けている。捜査側の動きはどうかと思うが。
 難点を言えば、あまりにも取材がスムーズすぎるところか。特にドーピング検査のために大峰颯太の尿を採取するところは、さすがに都合よすぎ。ピアノの腕が簡単に戻るところもどうかと思う。もう少し失敗があれば、もっと面白くなっただろう。東野圭吾が言う通り「この手のエンタテインメント作品は、これでもかというほど粘っこく、しかも続けざまにネタを投入していく必要がある」のである。
 じゃあ傑作なのかと聞かれると、そこまではいかない。そつがなさすぎるのだ。言っちゃ悪いが、乱歩賞じゃなかったら手に取らなかったと思う。読んでいるときは面白かったが、読後はすぐに忘れてしまうだろう。綾辻行人有栖川有栖真保裕一辻村深月貫井徳郎東野圭吾湊かなえのうち綾辻、東野、湊がユーモアミステリとして読んでいたことに驚いた(有栖川、辻村もそうかな)。貫井もユーモアミステリとして評価されたことに驚いていたが、同意見である。作者がそこまで意図していたとも思えない、というのが私の正直な感想である。これもまた、そつがなさすぎる要因の一つなのかもしれない。
 真保裕一だけが「面白さがまったくわからなかった」と書いているが、そう思っても不思議はない。作者の書きたい方向とは違う気がする、というのは同感だ。貫井によると過去二作はトリック勝負の作品だったということなので、その方向性が作者の本命だったのかもしれない。ただ、作者はデビューすることができたので、次は自らの書きたいテーマを選ぶことができるだろう。何はともあれ、「殺人のないミステリ」で見事受賞できたことは祝いたい。小説を書く力があることは間違いない。