平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

C.W.グラフトン『真実の問題』(国書刊行会 世界探偵小説全集33)

 姉夫婦の家で開かれたパーティの夜、ジェス・ロンドンは腕利きの弁護士で事務所の上司でもあった義兄が、卑劣な陰謀家だったことを知り、怒りに駆られて彼を殺してしまう。翌朝、姉から嫌疑をそらすためジェスは衝動的に自白するが、警察では初め、感傷的な犠牲的行為として取り合おうとしなかった。しかし、強力な状況証拠と目撃証人の出現に情勢は一変し、当局もついにジェス逮捕へと踏み切った。窮地に立たされたジェスは法廷では一転して罪状を否認、被告自ら弁護に立つという、起死回生の奇手に打って出る。四面楚歌の中、ジェスは持てる限りの法廷戦術を駆使して無罪を勝ち取ろうとするが、はたして評決の行方は……? ガードナー最強のライヴァルともいうべき実力派が放つ、検察側と弁護側が虚々実々の火花を散らす異色の法廷ミステリ。(粗筋紹介より刊行)
 1950年、アメリカで発表。2001年、邦訳刊行。

 作者のコーネリアス・ウォーレン・グラフトンは1909年、宣教師を両親として中国で生まれた。アメリカに渡ってからは、ジャーナリズムと法律で学位を取得し、結婚して子供をもうけた。ケンタッキー州ルイヴィルで弁護士を開業。1943年、『ねずみは網をかじりだし』でメアリー・ロバーツ・ラインハート賞を受賞し、デビュー。この作品と翌年に発表された『網は肉屋を締めはじめ』では太っていてタフな、頭の回転の速い青年弁護士ギルモア・ヘンリーが主人公。ミステリは本書を含めて三冊のみ。他に普通小説1冊を出版している。1982年、死亡。娘の一人は、キンジー・ミルホーンシリーズで有名なスー・グラフトン
 本書の原題"Beyond a Raesonable Doubt"は法律用語で、「合理的に疑いの余地なし」という意味である。陪審員は評決に当たり、合理的疑いの余地なしに有罪を確信しなければ、有罪を評決を下し得ない、とある。日本の裁判用語で言うと、疑わしきは罰せずである。
 解説の小林晋も書いているが、本叢書の中では異色作である。そもそも本格ミステリではない。犯人が最初から明らかだが、犯行が徐々に暴かれる倒叙ものでもない。法廷での丁々発止のやり取りはあるが、論理的な推理の応酬があるわけでもない。ひとことで言うと、法廷物である。
 作品の主眼は、ジェス・ロンドンがどうやって有罪判決から逃れることができるか、それに尽きる。400ページを超える作品だが、この主題だけで乗り切ってしまう筆力は大したもの。とはいえ、ジェスは犯行に手を染めているので、読者からしても共感しにくい。
 なんとも感想が難しいのだが、面白いことは確か。ただ、この思い、どこへ持っていけばいいんだろうという苦々しさは残る。よりによって、ここで終わらせますかと、作者には言いたい。いや、小説的にはベストなのだろうが。

倉知淳『こめぐら』(創元推理文庫)

倉知淳ノンシリーズ作品集成第二弾】必要か不必要かはどうでもいいのだ。したいからする。着けたいからつける。これは信念なのだ――――密やかなオフ会でとんでもない事態が発生、一本の鍵を必死に探し求める男たちを描く「Aカップの男たち」をはじめ、うそつきキツネ殺害事件の犯人を巡ってどうぶつたちが動機のあげつらいと推理を繰り広げる非本格推理童話「どうぶつの森殺人(獣?)事件」、B級時代劇におけるあまりにも意外な犯人消失の真相を描いた「さむらい探偵血風録」など五編に加え、猫丸先輩探偵譚「毒と饗宴の殺人」を特別収録。(粗筋紹介より引用)
 『メフィスト』『野性時代』『ミステリーズ!』『小説新潮』に1995年~2010年に掲載。2010年9月、東京創元社より単行本刊行。2014年1月、文庫化。

 バーの個室で開かれたオフ会は、ブラジャーを付けるのが好きな男たちの集まりだった。今日の目玉は、螺子工場の親爺である杏野が作ったアルミ合金のブラジャー。ところが、背中の鍵が無くなった。鍵がないとブラジャーは外せない。「Aカップの男たち」。
 ディレクターの月形が、プロデューサーの大垣に見せたのは、新企画である「聴取者参加型推理クイズ番組」の台本。月形は大垣に、誰が犯人かを推理させる。「「真犯人を探せ(仮題)」」。
 B級時代劇が好きな男がレンタルしたのは、『さむらい探偵血風録』という十年前に作られ話題にもならずに打ち切られた作品。冒頭で出てきたのは、片方は高い土塀、片方は川の一本道で、侍が怪僧に斬り殺されるシーン。こちらからは蕎麦屋の親爺が、向こうからは二人の職人。犯人の怪僧はどこへ消えたのか。「さむらい探偵血風録 風雲立志編」。
 没落した旧家の跡取り息子は、うだつの上がらない地方役人。書庫で見つけた古文書には、不死の呪術が書かれていた。遊び人の祖父を殺して狂い死にしたといわれる伯父が研究していたのはこれではなかったか。「遍在」。
 どうぶつの森でうそつきキツネが殺された。どうぶつの森が始まって以来の大事件。イヌのお巡りさんは動機とアリバイを調べるも犯人はわからない。そこへフクロウ博士が連れてきたのは、街で名高い名探偵、探偵ネコくんだった。「どうぶつの森殺人(獣?)事件」。
 溝呂木大河が日本フォトギャラクシー賞を受賞した。その記念パーティーが、ライバルである滑川喜三郎、三田谷勇次を発起人としてホテルで開かれた。パーティー最後の乾杯で、溝呂木が毒殺される。グラスのセットはボーイが準備し、溝呂木、滑川、三田谷は無造作に自らグラスを選んでいた。グラスには目印などない。どうやって毒殺させることができたのか。「毒と饗宴の殺人」。

 『なぎなた』と同時刊行されたノンシリーズ短編集。「Aカップの男たち」「「真犯人を探せ(仮題)」」「さむらい探偵血風録 風雲立志編」「どうぶつの森殺人(獣?)事件」は本格ミステリ要素こそあるものの、ほとんどバカミス。特に「さむらい探偵血風録 風雲立志編」は、まともに考えちゃいけません。ギャグにすらなっていない。「どうぶつの森殺人(獣?)事件」は一応読者への挑戦状があるし、本格ミステリにはなっているものの、答は拍子抜けするもの。いや、たしかに論理的推理だけどさあ。
 「遍在」はこの短編集の中では異色の一編。ホラー小説かと思ったら、衝撃の結末が待っている。この人にもこんな作品が書けるんだと思ってしまった。
 「毒と饗宴の殺人」は作者のシリーズ名探偵、猫丸が登場するボーナストラック。まあ、これもへんてこりんな謎解き、と言っていいだろう。
 真面目に読むとバカを見る、と言いたくなるような作品ばかり集まっているが、脱力しながらも楽しんだのだから、これでいいと思う。まあこれも、倉知淳の持ち味なのだろう。

ジャン=ジャック・フィシュテル『私家版』(創元推理文庫)

 三ページめから、わたしは憎しみに満たされた……憎悪の奔流に溺れかけながらも、わたしはこの新作が友人ニコラ・ファブリをフランスで第一級の作家に押し上げることを確信した。テーマは新鮮で感動的だし、文体は力強く活力がみなぎっている。この時わたしは、復讐の成就のためにこの小説の成功を利用すればいいことを、一瞬のうちに悟った。本が凶器になる完全犯罪。ページに毒が塗られているわけではない。ましてや鈍器として使われるわけではもちろんなく、その存在こそが凶器となる……。フランス推理小説大賞、「エル」読者賞等々を受賞した繊細微妙なフランス・ミステリの傑作!(粗筋紹介より引用)
 1993年、発表。1994年、フランス推理小説大賞受賞、「エル」読者賞、ジョワンヴィル市シネレクト賞受賞。1995年9月、東京創元社より邦訳、単行本刊行。2000年12月、文庫化。

 作者のジャン=ジャック・フィシュテルはスイス、ローザンヌ大学歴史学の教授であり、小説は本書が初めてである。
 作品のアイディアとなったのは、1980年に拳銃自殺した、外交官で小説家のロマン・ガリーエミール・アジャールという偽名でも活躍し、フランスで最も権威のある文学賞で、本来なら一度しか受賞できないゴンクール賞を二度受賞したことで知られている。なお訳者あとがきでは、ゴンクール賞の受賞年に誤りがある。
 18歳のころからの友人であるエドワード・ラムとニコラ・ファブリ。ラムはイギリスの出版社社長で、ニコラはフランスの人気作家。方や独身で根暗、方や離婚こそしたものの女性に囲まれる人気者。エドワードはかつて恋人であったヤスミナを何も知らないニコラに奪われ、そしてヤスミナが自殺した過去があった。ニコラの作品のイギリスでの翻訳、出版を務めてきたエドワードがついに復讐に手をかける。
 本を凶器に、というフレーズが気になり手に取ってみる。エドワードがどうやって復讐をするのか。エドワードの心理状態と、復讐にいたるまでのプロセスを楽しむ作品である。なんというか、フランスの作品らしい心理サスペンスである。
 エドワードの語り口が暗く影を帯びているのには少々閉口したが、こういう内に籠った憎しみが大きいほど、復讐が成就されるときの快感が生まれる。いつしか読者もエドワードの味方になり、応援したくなる。その描き方が巧い。
 エンディングもフランスらしさが漂っている。日本の作品と違う特徴かな、これは。じっくり読んで、楽しめた一冊でした。

志駕晃『令和 人間椅子』(文春文庫)

 人気作家の白石美子はアイデアに詰まったとき、AI機能が搭載されたマッサージチェアで癒されていた。ある日、大ファンと称する人物から送られてきた、美子のマッサージチェアが書いたという体裁の小説には、美子と担当編集者しか知らない重大な秘密が暴露されていた(表題作)。江戸川乱歩の猟奇ワールドが令和の世に復活!(粗筋紹介より引用)
 2024年7月、文庫書下ろしで刊行。

「令和 人間椅子」:大学在学中に作家デビューした美子に突然送られてきた原稿は、AIが搭載されたマッサージチェアが書いたというのだが……。
「令和 屋根裏の散歩者」:違法すれすれのハッキングで大金を得た二郎は、マンションの下の部屋に越してきた女子大生に恋をしてしまう。
「令和 人でなしの恋」:マッチングアプリで知り合い結婚した昌彦は理想的な夫だと思ったが、時折妻の目を盗んで出かけているようで……。
「令和 赤い部屋」:参加者は服も背景も赤一色。異様なオンラインサロンの参加者は、全員がサイバー犯罪の首謀者たちだった。
「令和 一人二役」:劇団「X」に所属する女優の卵・小夜子はマッチングアプリでいろいろな女性に成りすますアルバイトで食いつないでいたが……。
「令和 陰獣」:「先生の『令和 人間椅子』大変楽しく読ませていただきました」熱烈なファンレターを送ってきた愛莉は私の愛読者だと言うが……。(作品紹介より引用)

 作者はニッポン放送のディレクター、プロデューサー。2017年、第15回『このミステリーがすごい! 』大賞・隠し玉作品の『スマホを落としただけなのに』でデビュー。映画化されヒットした。
 作者の名前を聞くのは初めて。『スマホを落としただけなのに』は映画化されているのをCMで見た記憶はあるが、作者名まで知らなかった。
 まあ、タイトルを見ただけで間違いなく地雷だと思ったのだが、本屋で見かけて気になってしまったものは仕方がない。多分駄作だろうなと思っていても、手に取るのがミステリ読みの性である(大嘘)。
 タイトル通り、乱歩短編を令和の時代に移植したらどうなるか、という作品である。まあ、「令和 人間椅子」のどこか“人間椅子”なんだ、と突っ込みたくなるし、「令和 屋根裏の散歩者」はただの覗きであり、屋根裏の散歩なんか何もしていない。「令和 人でなしの恋」は現実の方で普通にある内容だろう。「令和 赤い部屋」も、原作の不気味さがすべて消え去ってしまっている。「令和 一人二役」はただの成りすまし。「令和 陰獣」は、もう語りたくもない。
 結局舞台だけ借りて、令和に置き換えているだけ。そのくせオチはつまらない。乱歩が見せてくれた美学がどこにもない。「夜のゆめこそまこと」がどこにもなく、俗すぎる醜悪な世界しかここにはない。これが令和の現実だというのなら、なにも乱歩を借りてくる必要はない。
 ということで、作者には悪いけれど読まなくていいです。いや、ミステリファンがこれを手に取ることはないか。

櫻田智也『六色の蛹』(東京創元社)

 昆虫好きの心優しい青年・魞沢(えりさわ)(せん)。行く先々で事件に遭遇する彼は、謎を解き明かすとともに、事件関係者の心の痛みに寄り添うのだった……。ハンターたちが狩りをしていた山で起きた、銃撃事件の謎を探る「白が揺れた」。花屋の店主との会話から、一年前に季節外れのポインセチアを欲しがった少女の真意を読み解く「赤の追憶」。ピアニストの遺品から、一枚だけ消えた楽譜の行方を推理する「青い音」など全六編。日本推理作家協会賞本格ミステリ大賞を受賞した『蟬かえる』に続く、〈魞沢泉〉シリーズ最新作!(粗筋紹介より引用)
 『紙魚の手帖』2021年、2022年掲載作品3編に、書下ろし3編を加え、2024年5月刊行。

 寒那町の山中でハンターの串路と、へぼ獲りを習いに来た魞沢は、緊急事態を知らせるホイッスルを聞き、駆けつけた。ホイッスルを吹いた三木本が見つけたのは、ライフルで撃たれた梶川の死体。不思議だったのは、二十五年前の誤射による死亡事故の原因となった白いタオルを、梶川が腰から下げていたことだった。「白が揺れた」。
 「ミヤマクワガタ入荷しました」という張り紙を見て、花屋「フルール・ドゥ・ヴェール」に入ってきた魞沢。しかしミヤマクワガタとは、花の名前だった。店主の翠里は、雨宿りがてら、隣の開店予定のカフェで魞沢に1年前の出来事を話す。季節外れのポインセチアを捜しにいた少女のことを。「赤の追憶」。
 近くの工事現場で土器と人骨の埋蔵物が発見されたため、調査することとなった「噴火湾歴史センター」の調査部。余内英子は人骨であることを確認し、警察へ通報に行ったが、戻ってくると作間部長が作業員にバックホウで人骨を救い上げるように指示していた。現場を荒らすようなことをなぜ。「黒いレプリカ」。
 陳列棚にあった万年筆のインクのボトル「BLUE BLACK」を目の前でとられてしまった古林秋一。そのボトルは、フランスで死んだ母が持っていたボトルとよく似ていた。古林は目の前の魞沢を誘ってカフェに行き、当時の父と母の出来事を話し始める。そして、父親が母を捨てた後に死んだとき、部屋に残していた楽譜が消えた謎のことを。「青い音」。
 寒那町で起きた事件から3年後。魞沢はへぼ獲りを教えてくれた名人が誤嚥性肺炎で亡くなったとの連絡を受けた。通夜の後、一人暮らしだった名人の家で仲間たちの思い出話が始まる。名人は亡くなる前、押し入れにある小さな仏像を一緒に仮装してほしいと依頼していた。「黄色い山」。
 近くの共同墓地で友人の一周忌を済ませた帰り、魞沢は再び花屋「フルール・ドゥ・ヴェール」を訪れた。「赤の追憶」の後日談、「緑の再会」。

 短編「蟬かえる」で第74回日本推理作家協会賞短編部門を、短編集『蟬かえる』で第21回本格ミステリ大賞を受賞した櫻田智也の、〈魞沢泉〉シリーズ第3作。昆虫好きの青年・魞沢泉が、遭遇した事件を解決する。前作が2020年7月だったので、4年ぶりの刊行となる。
 この連作短編集では、全ての短編に色の名前が付いており、短編集のタイトルは一冊の本として別タイトルを付けた方がふさわしいという作者の判断によるものである。
 久しぶりのシリーズ最新作だが、魞沢は全然変わっていない。すでに30代半ばだと思うのだが、読みようによっては20代で通用してしまう。ちょっとした手がかりから事件の全貌を解き明かす切れ味は相変わらずだが、本書ではその謎解きが読者にもわかりやすいもので、過去の二作と比べると少々物足りない。ただ、謎が解き明かされた後もドラマが続く構成は見事。そして連作短編集らしい配置、作品構成が巧く、読了後の満足度は高い。
 個人的ベストは「黄色い山」。「白が揺れた」の続編であるため、セットで評価した方がよいのかもしれないが、「白が揺れた」がやや単純な仕上がりになっているのと比べ、「黄色い山」の謎解きが終わった後も残る苦々しさが実にいい。
 前三作が雑誌掲載、後三作が書下ろしである。時間があったからかもしれないが、やはり書下ろし三作の方がよく描けている。ただ、そろそろ別の主人公の作品も読んでみたいね。それに長編も。