1930年、ロンドン。名探偵レイチェル・サヴァナクには、黒い噂がつきまとっていた。彼女は、自分が突きとめた殺人者を死に追いやっている――。レイチェルの秘密を暴こうとする新聞記者ジェイコブは、密室での奇妙な自殺や、ショー上演中の焼死といった不可解な事件に巻き込まれる。一連の事件の真犯人はレイチェルなのか? 真実は全て“処刑台広場”に。英国推理小説界の巨匠による極上の謎解きミステリ。
2018年発表。2023年8月、邦訳刊行。
マーティン・エドワーズは「英国推理小説界の巨匠」とあったのだが初耳だった。解説を読むと、ノンフィクション『探偵小説の黄金時代』以外は邦訳されていないが、1991年にデビューして英米では高く評価されているとある。著作リストには「ハリー・デブリン」シリーズや「湖水地方」シリーズとあり、かなり売れているのだろうなと感じさせる。
本書は作者の過去2シリーズとは別作品。これでもかとばかりに警察を悩ます事件が立て続けに発生するし、ミステリアスな名探偵レイチェル・サヴァナクにドキドキさせられる。レイチェルを追い続けるも振り回され続ける熱血新聞記者ジェイコブ・フリントも、いい味を出している。奇術師のサラ・デラメアもいいキャラクターだ。スコットランド・ヤードの面々はレイチェルに振り回され、いい間抜け面をさらしている。舞台設定、キャラクター、不可解な連続殺人事件。まさに黄金時代の探偵小説を彷彿させる。1930年のロンドンを舞台とするのにふさわしいと思わせた。
そのため、物語の方向がどんどんとレイチェルの謎に移り変わっていくのは、個人的には勿体ないと思った。話の流れが本格探偵小説からノンストップサスペンスに切り替わっていくというのは、せっかくの雰囲気をぶち壊している気がしなくもない。どっちが好みなのかという話ではあるが。ただ折角の舞台とキャラクターを現代風に味付けしてしまうのは、作品時代は面白いのだが、これじゃない感もあるのだ。真相自体に既視感がある点も含め、読者を裏切っている。それをいい意味でとるか、悪い意味でとるかは、読者次第という点は興味深いのだが。
一応「謎解きミステリ」ではあるな。「本格ミステリ」ではないわけだし。そういう意味では、嘘はついていない。それに読んでいる間は面白かった。サスペンスとして完成された面白さだと思う。ただ、本格ミステリとして着地してほしかった、というのが私の本音ではある。
パミラ・ブランチ『死体狂躁曲』(国書刊行会 奇想天外の本棚)
チェルシーに住む二組の芸術家夫婦が、初めての下宿人であるベンジャミン・カンを隣家から迎えることになった。だがしかし、その隣家とは、クリフォード・フラッシュによって設立された、法廷で無罪放免となった殺人犯たちが生活を営むアスタリスク・クラブの本部であった! ところが、カンが下宿を始めた翌朝、あちこちにネズミが出没する下宿の自身の部屋で息絶えたカンを、芸術家の妻ファンが発見する。カンとの連絡が途絶えたことを不審に思ったフラッシュは、リリー・クルージを新たな下宿人として送り込むが、リリーとも連絡がとれなくなってしまう。下宿人を迎え入れるたびに次々と死体になっていくことで疑心暗鬼となり恐慌をきたした夫婦たちが死体の処分を巡って右往左往の大騒ぎを繰り広げるいっぽう、二人が殺害されたことを知ったアスタリスク・クラブの面々は、秘密裡に死体を取り戻すべく芸術家宅への侵入を企てる…… 熱烈なファンを生み出し、近年再評価の著しいパミラ・ブランチによる、ブラック・ユーモアをふんだんにちりばめたクライム・コメディの傑作!(粗筋紹介より引用)
1951年、イギリスで発表。2022年11月、邦訳刊行。
パミラ・ブランチはイギリスのミステリ作家。1951年、本作でデビュー。ミステリ4冊を刊行。1967年、47歳の若さで亡くなる。クリスチアナ・ブランドの親友とのこと。海外でも知名度は低かったが、21世紀になって再評価。2006年にA Rue Morgue Vintage Mysteryが全4作品を復刊。2009年には本作がデヴィッド・テナント主演でBBCラジオ4にてドラマ化された。
全く聞いたことのない作家で、帯に「多すぎる囚人、多すぎる証人、多すぎる殺人者、多すぎる死体!!」とあるから何ぞやと思ったら。
死体を巡るブラックユーモアドタバタコメディなのだが、出てくる人物がみんな癖のある者ばかりで、読者からしたらその言動と行動に着いていくのに疲れてしまう。さらに死体がどんどん出てくるのに、犯人を探さず、死体の処理にてんやわんやするって、何を考えているんだろう。
中盤がややだれ気味で、彼らに付き合うにはちょっと長かったかな。こういうのはもっと切れ味鋭く決めないと、読み続けるのが少々しんどい。映像で見た方が笑えそう。それとネズミはもう勘弁してほしい(苦笑)。
残りの作品もこんな感じなのだろうか。発表当時は受け入れられなかったのも、なんとなくわかる気がする。
覆面冠者『八角関係』(論創ノベルス)
河内家の三兄弟、秀夫(35)、信義(32)、俊作(29)は父親の遺産を三等分し、それぞれ事業に投資して生まれた利潤で気楽な、惰眠をむさぼる生活を送っている。秀夫の妻鮎子(25)、信義の妻正子(22)、俊作の妻洋子(26)とともに、父が遺した大邸宅の別々の部屋に住んでいた。三組とも子供はいない。洋子と雅子は実の姉妹である。女中はおらず、三人の妻は仲良く家事を行っていた。正月の十日過ぎ、洋子からのお願いで空いた部屋に姉夫婦が住むこととなった。姉の野上貞子(30)は探偵作家、その夫丈助(34)は捜査課の警部補であった。そして四組の夫婦に変化が生じた。鮎子は丈助に好意を寄せ、秀夫は正子に、信義は洋子に、そして俊作は貞子のことを愛するようになった。二月初旬のある日、酔った秀夫は正子を襲い無理矢理関係を持ってしまった。数日後、秀夫が別館の自室のベッドの上で、胸にナイフが突きささって死んでいるのが発見される。別館の周りの雪には、秀夫と死体を発見した鮎子の足跡しかなかった。自殺か、他殺か。さらに連続して事件が発生する。
『オール・ロマンス』1951年6月号~12月号まで連載。2023年8月、初単行本化。
『オール・ロマンス』は探偵雑誌『妖奇』を発行したオール・ロマンス社から発行されたカストリ雑誌。小説よりも世相に関する読物記事が中心だった。本作品も、第一回から三回は「愛慾推理小説」、四回は「連載愛慾推理小説」、五から七回は「愛慾変態推理小説」と挿絵画家中島善美によって角付きが付されていた。中島河太郎が1975年にまとめた「戦後推理小説総目録」にも掲載されておらず、まさに幻の作品と言える。
作者の覆面冠者は匿名作家で、正体は不明。横井司は解説でこの作品が発表された背景とともに、その正体を推理している。
「愛慾推理小説」と書かれている通り、所々で男女の愛慾シーンが挟まれている。ただその部分を除くと、屋敷内での連続密室事件が発生し、事件ごとにトリックの有無も含めた自殺か他殺かの検討がなされるなど、本格探偵小説と冠付けるにふさわしい内容となっている。しかも高木彬光のエッセイ「密室殺人の推理」で使われている言葉を用いる形で一種の密室分類が提示されるなど、本格ミステリファンの心をくすぐる内容となっている。
ただ密室トリック事態については過去の作品からの借用となっているし、それ以外にも過去作品をなぞったようなシチュエーションが出てくるせいか、満足感という意味では今一つ。密室分類などの言葉の選び方を含め、どことなく借り物感が漂ってくるのはマイナスだろう。人間関係の心理面もふらふらしていて、舞台自体も含めどことなくぎくしゃくしている。全体的にぎこちないのだ。
勝手な推察だが、本格探偵小説ファンな新人作家が、自分の好きなものを詰め込んでなんとか結末まで書きあげた、というような仕上がりである。ベストに入るような作品ではないが、こんな珍品もあるんだよ、という意味では読んでおいて損はないだろう。ゲテモノ料理を興味本位で食べてみる、程度のものではあるが。
逢坂冬馬『歌われなかった海賊へ』(早川書房)
一九四四年、ヒトラーによるナチ体制下のドイツ。密告により父を処刑され、居場所をなくしていた少年ヴェルナーは、エーデルヴァイス海賊団を名乗るエルフリーでとレオンハルトに出会う。彼らは、愛国心を騙り自由を奪う体制に反抗し、ヒトラー・ユーゲントにたびたび戦いを挑んでいた少年少女だった。ヴェルナーはやがて、市内に敷設されたレールに不審を抱き、線路を辿る。その果てで「究極の悪」を目撃した彼らのとった行動とは。差別や分断が渦巻く世界での生き方を問う、歴史青春小説。(粗筋紹介より引用)
2023年10月、書下ろし刊行。
『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞、2022年本屋大賞を受賞した作者の第二作目。相当なプレッシャーがかかっていたと思うが、選んだ舞台は終戦直前のドイツのある田舎町であり、主人公は父を密告によって処刑されてしまい、天涯孤独の労働者少年ヴェルナー。
エーデルヴァイス海賊団は実際に存在した、ナチスやヒトラーユーゲントへ反抗する少年少女たちの集まり。何かで聞いたことはあったが、詳しい内容は知らなかった。前作に続き、日本ではあまり取り上げられない舞台を取り上げるのはうまいと思う。
戦争と抵抗、差別や区別、戦争悪と黙認。うまく物語に取り込んでいるとは思う。青春ドラマとしてはよくできている。所々で背景の説明が長いのは欠点であるが、あまり知らない内容ということもあり、特に気にはならない。
ただ、ストーリーが陳腐化していると思う。どの作品かと言われてもなかなか思い出せないのだが、既視感は免れない。当時のドイツの舞台と歴史を物語に巧く絡めているとは思うし、読んでいて面白いのだが、予定調和な終わり方に感じた。
それなりの満足感はあるのだが、腹八分目の面白さで終わってしまった。もう一皿おかずが必要だったのか、それとも味付けにもう一工夫が必要だったのかはわからないが、どちらかといえば後者か。
駄犬『誰が勇者を殺したか』(角川スニーカー文庫)
勇者は魔王を倒した。同時に――帰らぬ人となった。
魔王が倒されてから四年。平穏を手にした王国は亡き勇者を称えるべく、数々の偉業を文献に編纂する事業を立ち上げる。
かつて仲間だった騎士・レオン、僧侶・マリア、賢者・ソロンから勇者の過去と冒険話を聞き進めていく中で、全員が勇者の死の真相について言葉を濁す。
「何故、勇者は死んだのか?」
勇者を殺したのは魔王か、それとも仲間なのか。
王国、冒険者たちの業と情が入り混じる群像劇から目が離せないファンタジーミステリ。(粗筋紹介より引用)
『小説家になろう』掲載作品に加筆修正して、2023年9月刊行。
作者の名前は、そのまま「だけん」と読む。あとがきを読むと45歳とのこと。本作と同日に『モンスターの肉を食っていたら王位に就いた件』(GCN文庫)が出版されており、本作は二作目という位置付けである。
なぜ勇者アレクは、魔王を倒した後に死んだのか。勇者への褒賞品でもあった王女アレクシアは、亡き勇者を讃えるべく、その偉業を文献に編纂する。国の勇者養成機関であるフォルム学院でいっしょであり、勇者候補で、そして勇者とともにパーティを組んで魔王と戦ったレオン、マリア、ソロンらから話を聞き、勇者の足跡を追っていく。合間には、レオンたちの語る内容の勇者視線が挟まれる。
人に薦められたことと、タイトルに魅かれて読んでみることにした。もしかしたら隠れたミステリの傑作じゃないか、なんて思って。残念ながらミステリではなかったが、とてもとても面白かった。
平民出身で、剣も我流で強くなく、魔力も全然ない。しかし、ただひたむきに同じ努力を繰り返す。そんな主人公の姿に泣けてくる。よくある異世界物のチートな主人公ではなく、本当にただの凡人である。昔の根性ものの主人公のような、誇張された悲壮感はない。ただどれだけ努力したかは、短い文章の行間から伝わってくる。なかなか巧い書き方だ。
そして物語は、なぜ勇者が死んだのかという謎に迫っていく。一つ一つの行動の中に、他人を思う気持ちが隠されている。色々な思いが交錯し、めぐり逢いとすれ違い、そして別れが生まれる。
正直に言うと、予想外の着地点に驚いた。もちろんそれは、いい意味においての驚きである。そして読み終わった後の満足感が長く続く。いい作品を読んだな、という余韻が長く続く。そう、読み終わってもあとからじわじわ来るものがあるのだ。傑作というわけではないだろう。しかし目が離せない。ほとんどの登場人物の不器用さは、作者の不器用さと重なるものがあるのだろう。そんな苦しみと達成感が行間から漂ってきて、読者を酔わせてくれる。
いいものを読んだという思いが強い。そしてエピローグの後の後日談も味わい深い。うん、面白かったと自信を持っている作品である。いい本を薦めてもらった。
『お笑いスター誕生!!』の世界を漂う
https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/star.html
「お笑いスター誕生!!」新規情報を追加。ちゃらんぽらんの漫才です。プロになって、新人賞をいくつも受賞して、イケイケだったころの漫才です。
小島和宏『FMWをつくった男たち』(彩図社)
大仁田厚がいなかったらFMWは成功しなかったけれども、そこに荒井昌一がいて、樋口香織がいて、川崎球場のときにはいなくなっていたけど、茨城清志がいて、大宝拓治がいて、遠藤信也がいて……みんながいたから、ここまで来れたんだよ!
――高橋英樹(1991年9月23日の川崎球場大会について聞かれて)
1989年10月10日、東京・後楽園ホール。この日、満員の観衆に見守られながら、日本のプロレス史に名を残すある団体が旗揚げ戦を行った。元全日本プロレスの大仁田厚を中心にした、〝なんでもあり〟のプロレス団体『FMW』である。わずか5万円の資金で旗揚げされたというバックグラウンド、大部分が新人という選手層の薄さ……しかし、FMWはそのハンデを逆手にとって、ファンの支持を集めていく。そして、旗揚げから約2年、〝電流爆破デスマッチ〟を武器に、川崎球場を3万人を超える観衆で一杯にすることに成功する。メジャー団体が全盛だった90年代に起きた奇跡――なぜ日本初のインディー団体は、川崎球場を満員にすることができたのか。〝涙のカリスマ〟大仁田厚の功績はもちろん大きい。だが、実はその陰には奇跡の躍進を支えた「FMWをつくった男たち」がいたのだ。『週刊プロレス』のFMW番だった著者・小島和宏が、フロント、選手など、初期FMWを知る関係者を直撃。数々の証言から知られざるFMWの歴史を浮き彫りにする。 営業、広報、生涯担当、リングアナ……。誰も知らなかったFMWの、名もなき勇者たちの物語!(粗筋紹介より引用)
2022年7月刊行。
プロレス界にインディーブームを湧き起こした団体。選ばれなかった者たちもプロレスラーになれる時代が来て、メジャー団体を離てすぐに団体やプロモーションを作る時代が来て、そして“プロ”とはとても名乗れないような者たちがプロレスラーになり、アルバイトでプロレスをするようになり、借金をしてつぶしてははすぐに別のプロモーションを作ったり……。ある意味なんでもありの時代を作るきっかけになったのがFMWの成功だった。
1989年10月6日の旗揚げから1991年9月23日の川崎球場大会開催まで。正確にはFMW旗揚げ前にジャパン女子プロレスの旗揚げからが、FMWの歴史の始まりであり、本書もそこから始まっている。ジャパン女子のスタッフだった者のうちの数名が、後のFMWと関わるからだ。営業部員の浅子文晴(後のレスラー、サンボ浅子)、渉外担当の茨城清志(FMWスタッフ→W★ING代表)、レフェリーのテッド・タナベ(FMWで旗揚げの一時期レフェリー)、広報担当の高橋英樹(FMW営業部長)。ターザン後藤夫人(その後離婚)であり、後にFMWのリングに上がるデスピナ・マンタガスもジャパン女子のリングにレスラーとして上がっている。そして大仁田厚自身が、当時ジャパン女子のレフェリー兼コーチだったグラン浜田とジャパン女子のリングで闘っている(そしてファンから拒絶された)。またTPGもついても触れられており、スペル・デルフィンのインタビューで当時の経緯が触れられている。
ただ、このインタビュー形式が曲者。言っちゃ悪いが、FMWの歴史の中で所々証言者として使われているだけであり、別項として丸々インタビューのページがあるわけではない。今、辰巳書房から出ている『実録・国際プロレス』などと比べると、証言本としての厚みが違う。嫌な言い方をすると、作者がどのように取捨選択しているかがわからない。もっと生々しい証言を聞きたかった。
証言者として登場するのは栗栖正伸(プロレスラー)、松永光弘(プロレスラー)、スペル・デルフィン(プロレスラー)、工藤めぐみ(プロレスラー)、コンバット豊田(プロレスラー)、茨城清志(プロレスラー)、大宝拓治(リングアナ兼営業、広報)、樋口香織(広報)、高橋英樹(営業部長)。折角だったら、当時参戦していたリー・ガク・スーや上野幸秀、市原昭仁、三宅綾あたりのインタビューは欲しかったな。上田勝次やジミー・バックランドはもう亡くなっていたのか。
【はじめに】では出版がコロナ禍で2年近く遅れたこと、ターザン後藤へオファーするも断られたこととその後亡くなったことも書かれいてる。やっぱりターザン後藤の言葉がないと、初期FMWは語れない気がする。ムック本で松永光弘が後藤離脱の「真相」を語っていたけれど、どうだったのだろうか。ただ、後藤が徐々にフェードアウトしていったところを見ると、レスラーとしては融通が利かなかったのだろうなとは思わせるのだが。
当時大仁田番で、後に仲違いした作者の、青春時代の残滓を書きなぐったとしか言いようがない一冊。まあ、ももクロの公式記者としてやってた方が楽しいだろうしな。『W★ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』ほどの面白さがなかったのは残念だった。FMW初期の歴史を振り返るには手ごろではある。