平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(新潮文庫)

 マンチェスター大学学生寮から女子学生ゾーイが姿を消して6年が経過していた。イヴリンはこの失踪事件にとり憑かれ、関係者への取材と執筆を開始。作家仲間ジョセフ・ノックスに助言を仰ぐ。だが、拉致犯特定の証拠を入手直後、彼女は帰らぬ人に。ノックスは遺稿をもとに犯罪ノンフィクションを完成させたが――。被害者も関係者も、作者すら信用できない、サスペンス・ノワールの問題作。(粗筋紹介より引用)
 2021年、発表。2023年8月、邦訳刊行。

 2011年12月17日、19歳のマンチェスター大学学生ゾーイ・ノーランが、学生寮で開かれたパーティを抜け出し、そのまま消息を絶った。2017年、依頼の無くなった作家のイブリン・ミッチェルはこの事件の取材を始め、ノンフィクションを執筆し始める。そして友人であるジョセフ・ノックスにメールでアドバイスを受ける。
 本書は〈マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ〉シリーズのジョセフ・ノックスが書いた第四長編であり、初のノンシリーズものである。しかし最初のページを開けると、いきなり「第二版刊行に寄せて」と出てくる。しかも、この第二版でノックスの関与を補足し、様々な疑問における作者の回答を追加した、これで出版社はビジネス上の関わりを終了した、と穏やかではない一文が差し込まれている。さらに載せられたノックスの声明が、この作品とノックスの関わりについて何らかの問題があることを示唆している。
 物語はイブリンが、ゾーイの家族や友人、周囲の関係者に行ったインタビューを基に、所々で新聞記事を差し込み、時系列に並び替えて構成されている。そのため、各人が語る内容に食い違いが生じている。単なる記憶違いなのか、それとも自分に都合よく解釈しているのか、そして何かを隠しているのか。ゾーイの失踪、背景、捜査、その後などが進んでいくのだが、合間合間でイブリンとノックスのメールのやり取りが挟まれている。イブリンが書いた原稿を都度ノックスに送り、感想を送ってもらうのだが、プライベートで不穏な内容も入っており、しかも一部は黒塗りされている。
 読んでいて、何が正しいのか、何を信じればよいのかわからなくなってくる。なぜか手書きのサインも入っているし、関係者の写真も出てくる。作中で出てくる「ノックス」は、神の視点に位置する作者のノックスと同じなのか、違うのか。標題の「トゥルー・クライム」は、本当にトゥルーなのか。
 とにかく面白い。インタビューばかりではあるが、互いに当時を思い出しながら会話する体で話が進むため、テンポが非常によい。そして関係者が少しずつ表に出ていない真実が出てきて、失踪事件をめぐる謎はどんどん深まっていく。誰かのインタビューの嘘を他のインタビューと取材結果から推理するというのは、なかなか興味深い。おまけに作者側にも何らかの嘘が隠されていることが、メールから読み取れ、事件の真相に深い影響を与えてくる。
 虚と実を交錯させる、よくぞこういう作品を考え付いたものだと感心してしまった。700ページ近い作品だが、ワクワクしながら読み終えることができた。解説で千街晶之が『ポピーのためにできること』との類似性を指摘していたが、本作の方が段違いに上。傑作です。もう、凄いとしか言いようがない。もっと早く手に取るんだった。

佐々木淳子『ボーイな君』(小学館 別コミフラワーコミックス)

 バスケット大学女子全国大会決勝直前、竹島真砂美のチーム全員がドーピング検査に引っかかった。日に日に男性化していく彼女たちだったが、それは亜砂美のチームだけでなく東京全体の現象だった。「ボーイな君」。
 竹島真砂美がいる白藤学園中等部3年B組の新任青年教師、霧谷響は人を威圧するカリスマ性の持ち主だった。霧谷はスリムな者が美しい、とダイエット特別セミナーを開く。そしてクラス全員が、競うようにどんどん痩せていった。「ダイエット特別セミナー」。
 県のゴミ処分場がいっぱいになり、ゴミ収集がストップした。ゴミを水から焼こうとしての火事が多発。新聞雑誌は軒並み廃刊。ゴミ引き取り詐欺が増え、大都市はパニック状態。そんな都市に住むイラストレーターの竹島真砂美もごみ処分に困る一人であり……。「ゴミ☆ぱにっく」。
 就職浪人で映画の小道具係のアルバイトをしている竹島真砂美は、奇妙な影に追いかけられる夢を時々見る。真砂美はアルバイト先の同僚で、映画監督志望のフリーター柏田から告白される。「夢果てる」。
 1999年10月刊行。

 佐々木淳子は当時好きだった漫画家の一人。『ブレーメン5』『那由他』も面白かったが、やはり最高傑作は『ダークグリーン』。その後角川の『ASUKA』に移ったが、『アイン・ラーガ』は明らかに打ち切りと思える終わり方だった。それが1994年。その後、『リュオン』(幻冬舎コミックス)が2004年に出るまで何も描いていないと思っていた(実際はちょこちょこ描いていたらしいが単行本にはなっていない)が、1999年にこの短編集を出していたとは知らなかった。既に絶版だったので古本屋で探し、ようやく購入。
「夢果てる」は創刊予定の雑誌に掲載するために描かれたものだが、中止になったため未発表だった作品。残り3作は『スペシャ別冊少女コミック』に記載された短編。いずれも独立した短編だが、主人公は同じであるスターシステムを採用している。
 最初3作は「近現代シミュレーション」3部作として、性同一性障害、ダイエット、ゴミ問題を取り扱った作品になっている。ただまあ、今読むとちょっと辛いかなあ。ネタもそうだけど、ストーリーも無理筋な展開の速さがあるし、結末も今一つ。「ボーイな君」の原因は当時でも今さらかよと言いたくなるものだし、「ダイエット特別セミナー」についてはもっと周囲が気付けよと突っこみたくなる。「ゴミ☆ぱにっく」は他県の関与がほとんど出てこない時点で、無理があるんじゃないか。そもそも焼却するゴミまで受け取らない、という展開もおかしい。
 本人が「個人的不況」と書き、さらに「隅から隅まで一人で描いている」ということだから、やっぱり仕事の依頼がほとんどなかったんだろうなあ。「佐々木淳子ワールド①」とあるが、残念ながら②がでることはなかった。

戸南浩平『木足の猿』(光文社)

 明治九年、英国人が殺されて生首が晒されるという事件が2件続けて発生。英国からの抗議を受けた日本政府は、明治七年に発足したばかりの警視庁に速やかな事件解決を要請。不惑の年を超えた、居合いの達人にして左足が義足の奥井隆之は、17年前に親友の水口修二郎を殺害された仇・矢島鉄之進を討つべく、水口の遺品の刀を仕込んだ杖を持って江戸や京を探し回り、二年前から横浜に居た。元お庭番である山室玄蔵から事件に矢島が関わっていると伝えられ、山室を仲介して事件の被害者の妻・グレイ夫人の依頼を受け、事件の謎を探る。
 2016年、第20回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。応募時タイトル「白骨の首」。改題、改稿のうえ、2017年2月、光文社より単行本歓呼。

 作者は1966年、静岡県生まれ。2008年の第12回から2014年の第18回までに計6回、最終候補に残っており、7度目の正直で受賞した。タイトルは、白人が日本人を 「黄色い猿」と侮蔑した言葉から来ている。
 明治初期の混沌とした時期に起きた連続殺人事件の謎を、仇討ち探しで尾羽打ち枯らした元侍が追うハードボイルド作品。時代背景に合った主人公を選んだなという気はするが、いくら長崎で学んだとはいえ、英語を話せるというのは少々違和感あり。
 捜査の方は淡々と進むので、所々で奥井が腕を披露するシーンがあるとはいえ、盛り上がりに欠けている。7回も挑戦するとさすがに文章はこなれているが、新鮮さに欠けていることも事実。明治維新を迎えて特権を失った侍(士族)のうっ憤を、別方面から描こうとした意欲は買えるが、ならばもう少し暴れさせてもよかったのではないだろうか。手がかりに写真を使うのであれば、もう少し表現に工夫が必要であった。それに伏線がわかりにくかったため、最後のドンデン返しはやや唐突で、あまり感心しない。
 こじんまりとまとまっているという印象。いくら40歳を超えているとはいえ、もう少し通俗ハードボイルド寄りの暴れっぷりと色恋を見せてもよかったのではないだろうか。

川田利明『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス)

 脱サラをしてラーメン店を開こうとする人は後を絶たず、年間の出店数は3000店を超えるというデータがあります。それだけ競争が激しい世界で、新規オープンから3年以内潰れるお店は8割にも達すると言われています。
 本書はさまざなま失敗を重ねながら、今年(2019年)で10年目を迎えた『麺ジャラスK』の店主であり、プロレスラーの川田利明さんが、現役時代に購入したベンツを売り払ってわかった〝俺だけの教訓〟を余すことなく披露。成功のための「してはいけない」逆説ビジネス学を辛口で伝えます。(作品紹介より引用)
 2019年9月、刊行。

 プロレスファンを大いに沸かせた、全日本プロレス四天王プロレス。まさに命がけともいえる大技の応酬と受けの凄みを体現したプロレスだった。2010年6月12日に、ラーメンと鶏の唐揚げを看板料理として、自身のニックネームにちなんだ『麺ジャラスK』を開店。同年8月15日の六人タッグを最後にプロレスは休業状態に入った。
 最初から「しょっぱなからこんなことを書くのもなんだけど、この本を読んで〝こんなに大変なら、やっぱりラーメン屋になるのはやめよう〟と思ってくれる人がいてくれたほうが、俺はいいと実は思っている。こんなに成功する確率が低いビジネスに、人生を賭けてチャレンジするなんて、本当に無謀なこと。チャレンジというより、これはもうギャンブルだからね」と川田が書いている通り、まさに失敗だらけのラーメン屋経営10年を書いたもの。第3章のタイトルが「そして、俺はベンツを3台、スープに溶かした……」である。
 ラーメン屋にかぎらず、脱サラや退職後に飲食店経営を目指そうとという人にはぜひ読んでもらいたい一冊。ラーメン屋を経営するのはこんなに大変だよ、という失敗談のオンパレード。面白いのだが、ではどうすれば儲かるのか、という経営学的な話や数字の話はほとんどないので、“ビジネス学”というのはちょっと大げさかな、とは思った。まあこのタイトルは編集者が考えたものだとは思うが。
 当時のプロレスファンにとっても、あの川田が、という感じの一冊に仕上がっており、十分面白い。エピソード本として読めばいい一冊である。遠いので躊躇しているが、一度くらい『麺ジャラスK』に行ってみたい。

トマス・H. クック『緋色の迷宮』(文春文庫)

 近所に住む8歳の少女が失踪し、ひょっとすると自分の息子が誘拐しいたずらして殺したのかもしれないという不安。自分の兄もそういう性向を持ち、事件に関わっているかもしれないという疑念──自分をつくった家族と自分がつくった家族。確固たる存在だと信じていた二つの世界が徐々に崩れはじめるとき、どうすればいいのか。(粗筋紹介より引用)
 2005年、アメリカで発表。2006年9月、邦訳刊行。

 米国東部の小さな町で写真店を経営しているエリック・ムーア。中学時代に父は事業で失敗し、母は事故死。可愛い妹は癌で病死。残っているのは飲んだくれの兄・ウォーレンだけ。だが短期大学講師の妻・メレディスと、一人息子で15歳のキースと幸せに暮らしていた。しかし近所に住む8歳のエイミー・ジョルダーノが行方不明になり、その直前までベビーシッターをしていたキースに疑いがかかる。
 ストーリーは割と単純。近所の少女エイミーが行方不明になり、息子キースがその犯人ではないかと父親エリックが心配する話だ。警察はキースの周辺を操作し、エイミーの父親ヴィンスはキースが犯人ではないかと疑う。さらにエリックの過去、かつての家族達との想い出と悲劇が重なってくる。
 一つの事件を通し、家族のすれ違いが浮かび上がってくる。子を信じたい親、子を疑う親。そしてそんな親を見る子供。妻は夫をどう思っているのか。いくつかの家族の姿を通し、家族の絆とは何かを問いかけてくる作品である。面倒ごとから逃げてばかりとメレディスに攻められるエリックの姿、きついなあ。
 ただ、残念なのは終わり方。折角丁寧に積み上げてきた物語を、最後でぶち壊している感がある。優れた心理サスペンス作品だったのに、これは勿体ない。作者の狙いがちょっとわからなかったな、これは。
 静かな震えが徐々に大きくなってゆく作品だった。これで結末がよければ、傑作と言ってもよかったのだが。