平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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岡本好貴『帆船軍艦の殺人』(東京創元社)

 1795年、フランスとの長きにわたる戦いによって、イギリス海軍は慢性的な兵士不足に陥っていた。戦列艦ハルバート号は一般市民の強制徴募によって水兵を補充し、任務地である北海へ向けて出航する。ある新月の晩、衆人環視下で水兵が何者かに殺害されるが、犯人を目撃した者は皆無だった。逃げ場のない船の上で、誰が、なぜ、そしてどうやって殺したのか? フランス海軍との苛烈な戦闘を挟んで、さらに殺人は続く。水兵出身の海尉ヴァーノンは姿なき殺人者の正体に迫るべく調査を進めるが――海上の軍艦という巨大な密室で起きる不可能犯罪を真っ向から描いた、第33回鮎川哲也賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2023年、『北海は死に満ちて』で第33回鮎川哲也賞受賞。改題し、2023年10月刊行。

 三年ぶりの鮎川哲也賞。作者はYouTubeでゲーム実況を投稿している。過去4度、最終候補に残っているということもあり、安定度はあるだろうがワクワクさせてくれるかどうかは正直疑わしかったのだが、いい意味で裏切られた。
 主人公は、酒場で飲んでいるところを強制徴募された靴職人のネビル・ボート。妊娠中の愛妻がいるのでなんとしてでも戻りたいのだが、海の上であるため逃げようがない。ハルバート号がデンマーク沿岸付近を航行中の強風が吹く新月の夜、後甲板に居た水兵が鈍器で殴り殺された。近くに居たネビルが疑われるも、水兵が入ることのできない船大工の道具箱の金槌が凶器とわかり、疑いはいったん晴れた。さらに数日後、船倉のネズミ退治をしていたネビルたち4人の水兵のうちの一人がナイフで殺害され、近くに居たネビルに疑いがかかる。
 18世紀末、フランス革命政府と戦う英国の帆船軍艦の中という異色の舞台である。全く知識のない舞台ではあるが、強制徴募された靴職人のネビルを通して帆船の構造や船での暮らしぶり、さらに士官と水兵たちの違いなどを一から説明してくれるため、読者にもわかりやすい。その分、殺人事件が起きるまでが長いという欠点はあるものの、これは許容範囲内だろう。
 三件の連続殺人事件は、いずれも帆船軍艦の中ならではの不可能犯罪。船の構造をうまく生かした物ばかりであるが、選考委員の麻耶雄嵩が言うように、一番面白い1番目の事件のトリックが中盤で解かれてしまうのは何とも勿体ない。これを最後に解く形に持っていけなかったのだろうか。
 ちょっと気にかかったのは、探偵役である水兵出身の五等海尉、リチャード・ヴァーノンと、物語の主人公ともいえるネビルとの絡みが少ないこと。ネビル自身の動きは連続殺人事件に関係するのだが、ヴァーノンが目指すゴールの矢印と、ネビルが目指すゴールの矢印の向きが異なっているところに、作品としての完成度に傷が生じている。もちろん目的も立場も全然違う二人なのだから仕方がないことなのだが、ストーリーが密接に絡み合っているようで、分裂しているのだ。そこが読了後の違和感につながっている。まあ、そんな違和感は私だけかもしれないが。
 いちゃもんみたいなことも書いたが、舞台、トリック、推理、人物造形、ストーリーと、よくできている。三年ぶりの鮎川賞にふさわしい佳作であることに間違いはない。足りなかったのは、推理が最後に解かれる快感。それがあれば、もっと高い評価を得られたと思う。