平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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山口久代/著、中山淳太朗/編集『愛と死のかたみ 処女妻と死刑囚の純愛記録』(集英社)

鹿児島雑貨商殺人事件で死刑が確定した山口清人は、福岡刑務所にいた他の死刑囚に教えられ、キリストへの信仰に目覚める。クリスチャンとなった清人は、「一死刑囚の手記」をキリスト教の伝導誌『百万人の福音』昭和32年5月号に発表した。多くの信者から愛と励ましの手紙が清人のもとに送られるようになり、その中に静岡県三島市で働く渡辺久代もいた。文通の相手は次第に減っていくものの、久代は最後まで続けていた。そしていつしか、二人は愛を育むようになり、結婚する。しかしその結婚は触れ合うことのできないものであり、そして清人が執行されるまでのわずかな時間でしかなかった。

本作品は、1959年(昭和34年)7月14日から1960年(昭和35年)8月30日まで、清人が書いた365通と久代が書いた382の手紙から中山淳太朗が抜粋し、750枚にまとめたものである。さらに8月31日に執行された際の遺書、久代のあとがきなどが記されている。

通信費の節約や枚数制限の関係もあるため、一通5〜7枚の中に細かい字でびっしりと書き込み、特に清人の手紙は欄外から裏面にまで書き継がれているものが多かった。清人の提案でお互いに発信した分にナンバーをつけ、受信した分を整理保存していたと言い、原稿用紙に換算すると四百字詰めで約12,000枚分あったという。



死刑囚との獄中結婚は例がないわけではない。死刑が確定すると通信が制限されるため、支援を続けるために獄中結婚するケースがある。牟礼事件の佐藤誠などがいい例だ。しかしそれとは別に、純粋に結婚するケースがある。本書はその1例である。後に市川悦子『足音が近づく』(インパクト出版会)で出版される小島繁夫こと二宮邦彦もその1人。山口清人との共通点は、同じ福岡刑務所(拘置所ではなくて刑務所だった)、そしてキリスト教に入信しているところである。有名どころでは永山則夫宅間守新実智光がいる。

 本書の主人公である山口清人の犯罪については、本書でも触れられており、死刑判決を受けるまでの生い立ちや前科については久代への書簡の中で、死刑判決を受けた事件については初刊後の注意書きで触れられている。

 二人の書簡集であり、赤裸々な部分も含め、読んでいて気恥ずかしいものがある。互いの日常と相手への慕情が中心であり、個人的には退屈でしかなかった。これが売れたのは「処女妻」「死刑囚」「純愛記録」といったキーワードだろう。結ばれることは無いので確かに「処女妻」だし、死刑囚との恋愛というのは日常的には有り得ないので、ある意味覗き見趣味があった感も否めない。書簡であるためかもしれないが、殺害した3人にほとんど触れられていないのは残念だ。せめて毎日冥福を祈っていれば、と思わずにはいられない。

 死刑囚と結婚するということは犠牲精神じゃないのかとか、自らをヒロイン化しているのじゃないかなどと勘繰ってしまうのだが、そういうことを考えてはいけないのだろう。周囲の目は冷たくなるんじゃないかとも思ってしまうのだが、少なくともそういう面はここには出てこない。もっとも、死刑囚は先に死しか待ち受けていないため、どうしても我儘な部分が出てしまう。本書の山口清人も、そんなところが所々に出てくる。『足音が近づく』でもそういうところが出ており、結局二人は離婚してしまう。本書の二人は離婚せず、愛し合ったまま清人が執行されるのだが、それは結婚から執行まで1年足らずだったということもあるが、清人は福岡刑務所(拘置所ではない)で久代は静岡県三島市に住んでいるという距離的な問題も大きいだろう。距離が近ければ当然呼び寄せて、わがままを言うようになる。二人は距離が離れていてめったに会うことができなかったから、結婚という形式を続けることができたのではないかと思ってしまうのだ。

 なお、清人と久代がガラス越しに会ったのはたった2回。3回目、そして久代が清人にじかに触れることができたのは、清人が執行されて骨になった状態だった。



 ただ、本書を読むことで、当時の死刑囚の日常がわかるという点については、大いに参考になるだろう。死刑囚と職員が組んだ野球チーム、文鳥を育てる日常、キリスト教教戒師の基による集まり。そして清人が取り組んでいた宗教書の点訳。この頃はまだ、死刑囚同士のつながりがあった。死刑執行の当日、知らせを受け、身辺を整理し、遺書をしたため、同僚(死刑囚)の部屋に回ってあいさつをする。執行後は、死刑囚が集まって追悼する。キリスト教入信しているものは礼拝堂で、仏教入信しているものは……書かれていないのでどこかは分からなかったが、追悼式が開かれ、宗教に関係なく集まったという。

 現在の死刑囚が、他の死刑囚と交流を深めるということは全くない。いったいどちらの処遇がいいのだろうとは思ってしまう。少なくとも山口清人は落ち着いて執行を迎えたという。

 本書はベストセラーとなり、当時のベストセラーランキングにも掲載されている。1964年には集英社文庫化。さらに19890年10月にはコバルト文庫より出版されている。

 1962年3月5日〜26日には日本テレビで毎週月曜日に『夫婦百景 聖女房 愛と死のかたみ』のタイトルでドラマ化された。佐藤慶市原悦子が主演だった。1962年4月には映画化され、主演を浅丘ルリ子が務めた。1977年5月9日〜7月8日にTBS「花王 愛の劇場」枠でドラマ化されている。



 山口久代は清人の遺志を継ぎ、弱者のために障害を捧げた。知恵遅れの子らのための施設や工場の設立等に携わったという。その経緯については、山口久代『エマオへの旅立ち―『愛と死のかたみ』その後』(いのちのことば社,1989)に書かれている。