平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

柴田錬三郎『幽霊紳士』(春陽文庫)

頭髪も、ネクタイも洋服も、みんなグレー、そして顔色さえもグレーと思えるような、特徴のない風貌である立派な紳士。事件が解決したかと思えたとき、幽霊紳士がどこからともなく現れて、事件の真相を伝え、事件の中心人物を嘲笑する。全ては鏡で反転したように、事実が異なっていた……。

女傑と呼ばれる女社長心中事件を解決したかに思えた敏腕刑事だったが……「女社長が心中した」。

私立探偵は以前調査をした老俳優の変死事件を他殺とにらんだが……「老優が自殺した」。

女子大生は付き合っている三人の男のうち、賭をして一人を選ぶのだが……「女子大生が賭けをした」

ヤクザの抗争決着として決闘が行われた。しかしその犯人にはアリバイがあった……「不貞の妻が去った」

ジゴロは安息所を求めてバーの年増女と籍を入れた。そして女を殺そうと企むが……「毒薬は二個残った」

心中に見せかけて二人を殺そうとした男は、新聞社に電話を入れた……「カナリヤが犯人を捕らえた」

人気カメラマンは借金をしていた不動産周旋業の女を殺してしまった……「黒い白鳥が殺された」

海水浴場で不倫カップルが死んだ。女は暴行されて、男は溺死して……「愛人は生きていた」

自分の夫は殺人犯? その秘密を握るのは居候である夫の元上官?……「人妻は薔薇を怖れた」

銀座で有名な乞食が愚連隊に襲われて殺された。そして年上妻は……「乞食の義足が狙われた」

無名詩人が惚れたのは、ファニーフェイスのモデルだった……「詩人は恋を捨てた」

孤独な老嬢は、飼い猫を探してくれた青年と親しくなるが……「猫の爪はとがっていた」

大衆文壇が誇る鬼才、柴田錬三郎の手による短編小説集。大坪砂男がかなり協力していたと、伝えられている。



ミステリファンには結構有名な一品。主要登場人物によりAという解決がなされた後に幽霊紳士がどこからともなく登場。Aという事実は間違いで、真相はBであることを伝え、そのまま去って行く。その結果、悪人と思っていた人物が実は善人、いい人と思っていた人が実は黒幕、騙したと思っていたら実は騙されていた、などと全てが反転する。この展開と構成は見事。主人公と読者をアッと言わせることに成功している。

幽霊紳士の推理に根拠や証拠があるわけではない。推理とあるが、実際のところは想像と創造と言った方が正しいかもしれない。幽霊紳士の語ることは全て真実。それはあくまで本の中のお約束である。このAは偽の解決、実はBが真の解決。だけど直接的な証拠があるわけではなく、いくつかの出来事から組み立てた推理のみ、という形は、近年の本格ミステリ、とくに日常の謎系の本格ミステリにおける主流といってもいいかもしれない。どんな事象でも、角度を変えることによって姿を変えてみせる。そういう点を先取りしているということについても、凄い作品である。

前作の主要登場人物が、次作において導入役を務めるという形式も、ミステリ好きを喜ばせる遊び心。12編で終わってしまったのが勿体ない、傑作短編集である。