平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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三上幸四郎『蒼天の鳥』(講談社)

 大正13年鳥取県鳥取市。女性の地位向上を目指し「新しい女」の潮流を訴える「女流作家」田中古代子は、娘の千鳥と内縁の夫の3人で、友人のいる尾崎翠もいる東京に引っ越しをする予定を立てていた。移住直前、のある日、活動写真「兇賊ジゴマ」の観劇中、場内で火事が。取り残された古代子と千鳥が目にしたのは、煙につつまれる舞台上に立つ本物の「ジゴマ」だった! 目の前で「ジゴマ」は躊躇なく、人を殺す。やがて二人にも──。もう何も信じられない。「激動の時代」を生き抜くため、そして凶刃から逃れるため、母と娘は「探偵」になるしかなかった。(帯より引用)
 2023年、『蒼天の鳥たち』で第69回江戸川乱歩賞受賞。改題、加筆修正のうえ、2023年8月、単行本刊行。

 作者は『名探偵コナン』『電脳コイル』『特命係長 只野仁』『特捜9』など数多くのテレビドラマ、アニメを手がけてきた、大ベテラン脚本家。人気脚本家の乱歩賞受賞作というと、あの『浅草エノケン一座の嵐』の悪夢を思い出してしまうのだが、果たしてどうか。
 主人公の田中古代子は、鳥取出身の実在した大正時代の女流作家。もう一人の主人公で娘の千鳥は7歳で亡くなったが、書き残した詩や作文などを母の古代子がまとめた『千鳥遺稿』が平成に入って再注目された……らしい。この小説を読むまで、どちらも知らなかった。特に古代子の方は、地元鳥取でもほとんど知られていないとのことだ。
 新しい女”の潮流、活動写真「凶賊ジゴマ」、過激アナキスト集団「露亜党」、関東大震災特高など、大正末期らしい道具立てはそろっている。内縁の夫である社会主義者の涌島義博や小説家の尾崎翠など、実在の人物も登場。脚本家というキャリアもあるだろうが、ストーリーの強弱のつけ方は巧い。鳥取の町や村の描写も悪くない。やや大げさで芝居がかった台詞回しや行動はちょっと鼻につくが、よくまとまっている作品ではある。
 ただ、面白くない。選評で貫井徳郎が「ぼくはまったく楽しめませんでした」と書いているが、私も全然楽しめなかった。一つは、登場人物の魅力が伝わらなかったこと。特に主人公や一部登場人物が実在の人物ということもあるからかもしれないが、描き方に手抜きを感じた。米子市出身の作者が描きたい人物であろうはずの古代子と千鳥に魅力が感じられないと、面白さが半減するのは当然である。そして最大の弱点は、ミステリを書きながらミステリの部分が弱すぎることだ。風俗と活劇を描くのに力を注ぎ過ぎたのか、殺人事件を扱い、主人公二人が探偵を名乗っているのに、内容としては活動写真時代の冒険活劇のままで終わってしまい、さらに「古き良き」の「良き」の部分が抜けてしまった味気ない仕上がりになっている。  まあ、地元の知られざる作家を主人公にしたかったというのなら、それだけでいいんじゃないか、という気もしないではない。ミステリファンにあまりお勧めできる作品とは思えなかった。貫井の選評に共感する人が多いと思う。それにしても、よくぞここまで書いたものだとは思うので、これだけでも読む価値があるかもしれない。