平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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渕正信『王道ブルース』(徳間書店)

 全日本一筋で来たプロレス人生。ジャイアント馬場ジャンボ鶴田から直接「王道」を受け継いだ男が老舗団体の激動の真相を始めて記す。全日本プロレス50周年記念出版。●「鶴田友美」といきなり30分スパーリング ●「クーデター未遂事件」の真実 ●「モハメド・アリジャンボ鶴田」 ●私は見た「馬場さんと猪木さんの真の関係」 ●ザ・シークとブッチャーに助けられる ●「天龍革命」は正直、キツかった ●鶴田さんが「四天王」を叩き潰すことの意義 ●ラッシャー木村さんのマイク」でモテ期到来!? ●「俺が泣いたのはあの時だけだ」馬場さんの絶句 ●馬場さんを最後に見た日 ●三沢に詰め寄った「鶴田さん追悼」への違和感 ●川田、渕、2人だけの全日本プロレス ●敵地・新日本プロレスに乗り込む(帯より引用)
 2022年3月、刊行。

 

 渕は大学を一年で中退し、北九州から上京。茅ケ崎でアパートを借りてアルバイト生活。1973年3月、全日本プロレスの事務所を訪れた次の日に、当時の練習場だった山田ジムでジャンボ鶴田とアマレスのスパーリング。さらに入門テストを受けた。それから2週間、毎日通い、当時のコーチであるマシオ駒から合格をもらう。地方巡業中の八戸大会のバトルロイヤルでデビュー。しかし父親が倒れたとのことで実家に帰る。しかし鶴田凱旋帰国のニュースを見て再びプロレスへの情熱が高まり、半年後に茅ケ崎のアパートに戻る。1974年4月10日、馬場のもとへ挨拶に行き、翌日、再入門。そういう経緯から、渕が再入門前に入った大仁田厚は後輩でもあり、先輩でもある。4月22日、大仁田厚戦でデビューする。
 内容としては、今までのふちがインタビューで語ってきたことをまとめたという印象。プロローグでは、柔道の元全日本チャンピョンの岩釣兼夫との5分間のスパーリングとなり、渕が優勢のまま終わってしまい、岩釣がヘロヘロになった話が書かれている。この先は知らなかったが、来日していたコシロ・バジリ(アイアン・シーク)とスパーリングを行い、岩釣が柔道技で投げた瞬間、下からタックルを決められ、腕を関節技で決められてタップしたという。
 江ピローグで「俺は悪口は言わない。死んだ人間を悪者にするような真似はしたくないからな。だから、全然面白くない本になると思うけど、それでよければ出してくれよ」と出版社に言ったと語っている。その通りで、本書では出てくる人たちの悪口は出てこない。渕自身がいい人だからなんだろうが、自分が見た馬場、鶴田、天龍、四天王達のエピソードを披露しており、そこに悪口も悪意もない。海外修行では苦汁をなめたこともあっただろうに、悪口は一つもない。さすがに当時の新日本プロレスに対しての批判があるし、長州力たちのハイスパートプロレスに対して受け身もできずスタミナもない、という評はあるものの、悪口はない。新日本と全日本の、練習やプロレスに対する考え方の違いについても興味深かった。いざという時の対処についても心構えができているところはさすがと思った。
 当時の「善戦マン」だった鶴田の苦悩のあたりは、読んでいてとても興味深い。鶴田の本音が出ている部分である。また、ラッシャー木村のボヤキはいろいろと考えさせられるものがあった。「今考えたら、こんなの(額の傷)何にもなんないな。マイクの方がよっぽどお客が喜ぶんだから――」。国際プロレス時代を悔やんでいるわけではないだろうが、それでも一種の虚しさがあったのかもしれない。
 エピローグで語られる、ザ・デストロイヤーザ・ファンクスアンドレ・ザ・ジャイアント、スタンハンセンとの日本最後の試合の相手は渕。馬場も鶴田も、マシオ駒の最後の試合は渕だった。これについてはどういうつもりで書いたのかはわからないが、渕にとっても思うところがあったに違いない。
 さすがに武藤時代以降の全日本プロレスについてはほとんど触れられていない。やはり渕にとって、全日本プロレスとは馬場であり、鶴田であったのだろう。すでにリングに上がるのは時たまという状況だが、それでも全日本プロレスを愛し続けてリングに上がり続けたのは、レスラーとしては渕だけである。これからも渕には色々と語ってほしいものである。今、馬場や鶴田について深く話せる日本人プロレスラーは、渕だけなのだから。