平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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松本清張『日光中宮祠事件』(角川文庫)

 1946年5月4日、日光市中宮祠で旅館が全焼し、中から一家六人の死体が発見された。死体に切り傷などがあったことから、日光警察署では主人が家族全員を殺害の上、自宅に火をつけたのち、包丁で喉を突き刺して自殺したとして捜査を終了させた。1955年夏、埼玉県の強盗傷害事件で逮捕された男が、過去の強姦事件や強盗殺人事件を「自供」。その記事を見た日光市の住職が、男が姉弟を殺害して放火したと自供した事件の手口が旅館全焼事件の手口とそっくりなので調べてほしいと訴えた。「日光中宮祠事件」。これは実話だが、一部アレンジされている。これが清張の初めてのノンフィクション・ノベルになるのかな。まだ書き込みが甘いと感じた。
 松本清張はかつて、阿蘇山茶店を開き、自殺者を多数救っている老人から、以前飛び込み自殺を救ったカップルの女性が、別の男性とともに阿蘇山に来たのを見てびっくりした話を小説にして書いたら、その女性から清張のもとに手紙が届いた。「情死傍観」。女性って怖いなと思わせる短編だが、こういう発想は逆に男性のもののような気がする。女性って、実はけっこうさばさばしているんじゃないかな。
 1543年に日本に鉄砲が伝来してから三十数年、稲富伊賀直家という鉄砲の名人がいた。直家は丹後の一色氏の家臣だったが、後に細川藤孝、忠興に仕え、厚遇される。「特技」。実在の人物で稲富流砲術の開祖である稲富祐直の話。特技を持つが故の真実に気付く様が恐ろしい。後に『火の縄』のタイトルで長編化されている。
 徳川家康豊臣秀吉から関八州を与えられて江戸に居を構えて3年。人を多く持ち、金銀も多く持つ工夫はないかと嘆く家康の前に、大蔵藤十郎が訪ねてくる。後の大久保長安であった。「山師」。長安と家康の葛藤を描いた作品。家康なら実際に考えていそうな内容である。
 翻訳家の男は一緒に住む妻の母親に嫌悪感を抱き、とうとう殺害を企てる。「部分」。小品ではあるが、好き嫌いに関する人の感情の取り上げ方が巧い。
 九州の山中にある佐平窟という洞穴には、ある伝承がある。秀吉の朝鮮役で藩主とともに朝鮮に渡った針尾佐平という男が戦場で俘囚になり、妻子が磔にされたという話と、佐平が朝鮮の間諜をしていたことが発覚し磔にされたという話である。どちらも洞穴の中に佐平が隠れ、妻子が食事を運んでいたことは一致している。作者は兵隊時代を思い起こしながら調査する。「厭戦」。英雄として見知らぬ地で死ぬか、それとも家族とともに死ぬか。難しい問題である。
 長女の婿養子は、女遊びが大好きなくずだった。このままでは財産も奪われてしまう。耐えきれなくなった私は、婿の殺害計画を立てる。完全犯罪は成功するかに見えたが。「小さな旅館」。意外なところから犯行がばれる話。警察も馬鹿じゃないぞって言いたいんだろうな。
 雑貨問屋を営む栄造は、年老いた父がお気に入りだった女中を追いかけることに頭を悩ませていた。「老春」。年をとっても人は恋をするのだろうか。年をとっても男は女を求めるものなのだろうか。私にはわからないが、ありそうな話である。
 中堅電機メーカーに勤める浜島正作は仕事ができず隅に追いやられていた。そんな正作が労組の代議員になると、会社へのベースアップを求め強硬な態度を取り続けた。「鴉」。冒頭の新聞記事が、物語にどう結びつくのか。そんな楽しみを持たせてくれる作品。最後のキーワードをタイトルにしなくてもいいと思うのだが。
 1974年4月、角川文庫より刊行。

 

 推理小説歴史小説、現代小説など幅広いジャンルの作品が集められた短編集。他社から出版された短編集に収録された作品ばかりであり、角川書店オリジナルの編集と思われる。1950年代から1960年ごろの作品であり、清張が作家としてデビューしてから数多くの作品を出版していた時期に書かれたものである。
 松本清張は多彩だなと思わせる作品集であるが、そんなことは今更言うまでもない。代表作と呼ばれるほどの作品はないが、どれも一定の水準は満たしており、少なくとも読んでいるときに退屈することはない。