平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

中島河太郎編『ハードボイルド傑作選1』(ベストブック社 Big Bird Novels)

ハードボイルド推理小説の誕生から、ほぼ半世紀も経ようとしているのに、わが国への移植はだいぶ遅れた。ひとつには大戦を挟んだせいもあるが、日本の土壌に馴染みにくいのではないかと懸念された。

そういう危惧を一掃したのは、それぞれ個性的なスタイルをもつ作家が、つぎつぎに登場したからである。おかげで閉鎖的だったミステリー界が、広汎な読者と直結した。

リアリズムと非情と、それに感傷をまじえたこの現代的な作風は、ことに若い世代をとらえずにはおかなかった。日本に根を貼りはじめた「ハードボイルド傑作選」の試みは、はじめてのものだけに、大いに楽しんでいただけると確信している。(裏表紙より引用)

1976年12月刊行。



芸能界の紛争解決者とか、私立探偵とか呼ばれている俺は、人気歌手の白石阿梨子より、明後日の夜から翌朝九時まで身辺を防護してほしいと報酬20万円で依頼される。そして当日、暴力団らしき人物たちに彼女は襲撃され、俺は撃退した。命までは狙われていないとのことだが、いったい理由は何か。大谷羊太郎「非常な睡り」。本格ミステリが多い作者にしては珍しいハードボイルドものだが、歌手を狙う真相やその結末が結構意外なものに仕上がっている。私立探偵の俺が実は悪徳恐喝者であったという設定や書き方がテンプレートなものに見え、おまけに不用意にベッドシーンがあるのは通俗ハードボイルドを誤解しているようでいただけない。

NBAL航空の整備員である黒人ハーフのギルは、新宿の暴力団と繋がって麻薬を密売していた。ある日、分解したマシンガンを懐に隠し、有楽町駅に降りてジャズコンサートに行ったが、追っ手が来ていると言われ慌てて逃げ出した。忠告してくれたのは、同じハーフで麻薬密売人の三郎だった。河野典生「腐ったオリーブ」。ハードボイルドを書き続けた作者の初期の作品。酒、麻薬、ジャズ、機銃など様々なハードボイルドらしきアイテムが散りばめられ、街中でぶち放したいという暴力衝動が広がる。テンポの良さに反比例して情景が浮かび上がらず、それほど面白い作品とも思えない。1964年に『黒い太陽』というタイトルで映画化されている。

ある男が地方銀行に100万円の小切手を持ち込み、95万円を引き出した。しかしその小切手は偽造だった。そして10か月後、当時の窓口だった稲垣雅子は、婚約者とのデート中、その男を見つける。婚約者が後をつけると、その男は資本金1200億円の大企業の副社長の息子であり、系列親銀行の銀行員だった。清水一行「石の条理」。信用第一という銀行の論理が、世間の常識や善悪を超えてしまうということを書きあらわした作品。ハードボイルドとはあまり思えないが。ただ、結婚まで純潔を保とうした女性が、何もかも信じられなくなり、婚約者の男に縋ろうとした心情はよく伝わってくる。

飯島組の親分の情婦でクラブのホステスかつ会計だったルミは、金庫から数百万円を奪って逃走、同じクラブに情婦がいた次郎に助けを求めた。ルミの北海道時代の恋人、真崎は単身で親分のところにルミを取り戻しに行ったが、数日後、海岸に打ち上げられた。そして次郎はルミの依頼である女のところに行ったが、女は殺されていた。中田耕治「風のバラード」。スピレーンやロス・マクドナルドなどを訳し、評論家、演出家としても活動していた作者の短編。作者は通俗ハードボイルドを自認していたらしい。なぜこのような無鉄砲な行動に出ているのかわけがわからないまま物語が終わってしまうので、呆気にとられる。

ディスコのクロークを務めるあたしは、オーディションに来たアマチュアコピーバンド、<地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)>と知り合う。二回目のオーディションで、ヘル・ハウンドは合格し、ディスコで演奏するようになった。あたしはボーカル・バードの情婦となり、一緒に倉庫の地下室を借り、マネージャーとして料理などの世話を始める。バードの夢は、メジャーになること。アルバムを出し、リヴァプール音楽祭に出場することだった。皆川博子「地獄の猟犬」。これもハードボイルドかどうかは疑問だが、栄光を求めようとする男の非情さが興味深い一品。それにしても皆川博子には、ときどきこれでもかというぐらい女性が不幸になる作品があるけれど、なんでかね。

旭川に住む夫婦がドライブで星の岬を訪れた。男は女に別れを申し出る。理由を尋ねる女に、男はかつて犯罪組織に属し、失敗をしたため組織の金と書類を持ち出して逃げ出していた。そしてとうとう、組織の追っ手を旭川で見かけたのだ。高城高「星の岬」。ハードボイルドの嚆矢であった高城高の短編。北の町を舞台にした独特のムードが、何とも言えぬムードを醸し出す。ほとんどが会話で構成された短い作品だが、中身が凝縮された逸品。本作品中のベスト。

映画監督の江森は、グアムへ向かう飛行機の中で見かけた女性が気になった。島へ上陸後、ボクシングの会場で彼女を見かける。さらに次の日、レンタカー会社で彼女と出会った。車が無かった彼女を同乗させ、メリソまで向かう。彼女の名は、浦本乃里子といった。菊村到グアム島」。本作品中では一番長い。事件に巻き込まれる乃里子と、それを追う江森が巻き込まれるサスペンスもの。女性の非情さを描いた一編だが、なんとなくページを埋めただけの作品にも思える。

学生運動が騒がしい時代。横浜の私立大学の英文科四回生である糸川和郎は、同じ四回生の村上伊三次と知り合う。村上は東大理学部を卒業後、学士入学をしたという変わり者だった。糸川は村上に不快感を持ちながらも交際するようになり、頭が上がらなかった。ある日、糸川は村上の紹介でスリーFという組織の一員であるアメリカ人から仕事を頼まれる。それは糸川の趣味である射撃の腕を生かし、全学連の三派の書記長の暗殺するものであり、糸川は1000ドルで引き受ける。村上はおどおどするようになり、逆に糸川は自信を深めるようになった。生島治郎「死者たちの祭り」。銃に魅せられ非情に変貌していく若者の姿が美しい。これは読みごたえがあった。



ハードボイルドのみのアンソロジーはあまりないが、正直に言ってもっと良い作品はまだまだあるのではないか。そう思わせるような編集だった。そもそもハードボイルドとは思えない「石の条理」や「地獄の猟犬」を収録する(作品自体が悪いというつもりはない)ところは首をひねる。変わったアンソロジーではあったが、今一つであった。