平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

東野圭吾『希望の糸』(講談社)

希望の糸

希望の糸

  • 作者:東野 圭吾
  • 発売日: 2019/07/05
  • メディア: ペーパーバック
 

 「死んだ人のことなんか知らない。あたしは、誰かの代わりに生まれてきたんじゃない」ある殺人事件で絡み合う、容疑者そして若き刑事の苦悩。どうしたら、本当の家族になれるのだろうか。
 閑静な住宅街で小さな喫茶店を営む女性が殺された。捜査線上に浮上した常連客だったひとりの男性。災害で二人の子供を失った彼は、深い悩みを抱えていた。容疑者たちの複雑な運命に、若き刑事が挑む。(内容紹介より引用)
 2019年7月、書き下ろし刊行。

 

 加賀恭一郎が出てくるけれど、動くのは従弟の松宮脩平がほとんどなので、番外編になるのかな。
 殺人事件自体は特に捻りがないまま終わってしまうが、その動機、というか背景の方が本筋。それと松宮の過去の話も同時進行で進んでいく。うーん、はっきり言っちゃうと、東野らしいあざとさがここにある。東野がテーマに選ぶ家族とは何か、みたいな部分が前面に出てきてあまり好きになれない。いや、本当に東野が読者を感動させよう、という作り方そのもの。もうね、作りすぎなんだよな。もう少し自然に書けないのだろうかと思ってしまう。
 これ以上はありません。

横溝正史『雪割草』(戎光祥出版)

雪割草

雪割草

  • 作者:横溝正史
  • 発売日: 2018/03/08
  • メディア: 単行本
 

  舞台は、信州諏訪。地元の実力者緒方順造の一人娘有爲子は、旅館鶴屋の一人息子雄司との婚約を突然取り消されてしまう。それは、有爲子が順造の実の娘ではないことが問題とされたためであった。順造は、婚約破棄の怒りから脳出血に倒れ、そのまま還らぬ人となる。出生の秘密を知らされた驚きと順造を喪った悲しみとで呆然とする有爲子であったが、順造の遺した手紙を頼りに、順造の友人賀川俊六を尋ねて上京する。
 東京行きの記者の中で有爲子は、偶然五味美奈子の率いるスキー帰りの一行に遭遇し、その中で一人賀川俊六の息子仁吾の姿を印象に留める。仁吾は、日本画家の大家五味楓香の弟子で将来が有望視されている若手である。
 上京した有爲子は、賀川俊六がすでに亡くなっているのを知り、落胆する。順造の知人恩田勝五郎夫婦を頼った有爲子は、順造が残した財産に目を付けられ、雄司と無理やり引き合わせられそうになる。難を逃れようとして路上に飛び出した有爲子は、自動車にはねられ、病院に運ばれる。やがて意識を回復した有爲子の前にいたのは、あの仁吾であった……。(粗筋紹介より引用)<br>
 『新潟毎日新聞』・『新潟日日新聞』(他紙との統合で紙名変更)1941年6月12日から12月29日まで199回連載。横溝正史の草稿から発見され、調査で掲載紙が判明。2018年3月、単行本刊行。横溝正史の次女で児童文学作家の野本瑠美さんによる特別寄稿「独り言の謎」も収録。

 

 横溝正史幻の長編。存在さえ知られていなかった。走行発見、単行本刊行はニュースにもなった。亡くなって36年も経つのにニュースになるぐらいだから、やはり横溝正史は偉大な作家である。横溝正史はいろいろな作品を書いているが、まさかこんな家庭小説を書いているとは思わなかった。戦時中で探偵小説が書けず、捕物帳にも一部制限がかかるぐらいの状況下だったので、仕方がなかったとは思う。それでも横溝らしい波乱の展開が散りばめられており、稀代のストーリーテラーらしい面白さがやはりあった。
 戦時下らしい表現、言動があるのは仕方がない。今読むと、あまりにも古い考え方も多いだろう。それでも有爲子を始めとする女性登場人物の力強さが十分伝わってくる。戦時下で男性は出征しているから女性が国内を支えろ、みたいなところはあるのだろうけれど、それを除いても女性の強さという点にスポットを当てているのは、なんとなく横溝らしいと思うのは私だけだろうか。<br>
 話題になったのが、賀川仁吾の容姿が金田一耕助に似ていること。それもまた、横溝研究には興味深い内容だろう。
 横溝異色の作品だが、それでも横溝らしさがうかがえる一冊。なぜ今まで横溝がこの作品に触れなかったのか不思議だが、面白い作品だった。

ロス・トーマス『五百万ドルの迷宮』(ハヤカワ・ミステリアスプレス文庫)

 フィリピン新人民軍の指導者を五百万ドルで買収し、香港へ亡命させろ――テロリズムの専門家ストーリングズのもとに大仕事がまいこんできた。彼は工作を手伝ってもらうため、中国人ウーとそのパートナー、デュラントら、海千山千のプロを極東に集結させる。それぞれの思惑が交錯するなか、五百万ドルをめぐる虚々実々のゲームが開始された! 巨匠の代表作。(粗筋紹介より引用)
 1987年発表。1988年9月、ミステリアス・プレス・ブックスより邦訳単行本刊行。1999年5月、文庫化。

 

 サスペンス小説の巨匠であるロス・トーマスの後期の作品。『大博打』に続くウー&デュラントシリーズ。
 いわゆるコン・ゲームものだが、登場人物が一癖も二癖もある者ばかりで、虚々実々な駆け引きが楽しい。自称中国皇帝位継承権主張者のアーサー・ケイス・ウー、傭兵のクインシイ・デュラント、詐欺師のモーリス(アサガイ)・オヴァビイ、テロリズム専門家のブース・ストーリングズ、元シークレット・サーヴィスのジョージア・ブルー。よくぞまあこれだけの人物を集めたものだ。
 もっと波乱万丈な展開になるかと思いきや、話は意外と淡々と進む。それでいて読者の目を引き付ける筆のうまさはさすがだ。登場人物たちが醸し出すユーモアは、そのまま作者の余裕を表しているのだろう。
 名人芸、とはこのことなんだろうなあと思う。素直に心地よさを楽しむ一作。

松浪和夫『エノラゲイ撃墜指令』(新潮社)

エノラゲイ撃墜指令

エノラゲイ撃墜指令

 

  ニューヨークで生まれたハワード・本田は、日本人夫婦の息子なのに青い目を持っている。アメリカと日本の戦争がはじまり、母親は強制収容所で亡くなった。収容所から出た後、父親は車が爆発して亡くなった。そしてハワードは知る。実は父親は、日本のスパイであり、教わった教育はすべてスパイになるためのものであったことを。ハワードはアメリカの原爆の実験状況、そして日本への投下計画を入手し、日本に伝えるが、帰ってきた返信は、詳細な投下標的の入手と原爆工場の爆破命令であった。日本海軍の元少佐でベルンの日本公使館付海軍武官である神坂元はOSSベルン支局員のアレン・ダレスを通じ、和平の交渉を行っていた。
 1991年8月、第4回日本推理サスペンス大賞佳作受賞。1992年2月、単行本刊行。

 

 作者は執筆当時25歳で元銀行員。本作は二度目の挑戦。本作受賞後、寡作ながら執筆を続けている。
 題材的には手垢がついたような作品。原爆投下計画だし、本来だったらもっと複雑な背景を描写すべきだったと思うのだが、内容的には結構シンプル。それなのにまとまりがないのは残念。登場人物の描写が今一つでどういう人物かよくわからないし、色々な場所に動くのだが言葉だけで描写が足りないし、それ以前に内容が整理しきれていない。ハワードの視点・動きと、神坂の視点・動きをもっとわかりやすく書いてほしい。二か月で書いたとのことだが、もっと推敲すべきだったんじゃないだろうか。
 スケールの大きな話になるはずなのに、なぜかこじんまりとしているのが不思議。シンプルな方が書きやすいのはわかるんだけど、やはり違和感だらけ。それは思い込みかな。もっと枚数を使い、書くものだという。やはり、題材に比べてあまりにも内容が弱い。それでも疾走感はあるから、佳作に選ばれたのかな。

 

D・M・ディヴァイン『五番目のコード』(創元推理文庫)

五番目のコード (創元推理文庫)

五番目のコード (創元推理文庫)

 

  八人がわたしの手にかかって死ぬだろう――スコットランドの地方都市ケンバラで、女性教師が何者かに襲われた。この件を皮切りに連続殺人の恐怖が街を覆う。現場に残された、八つの取っ手(コード)がついた棺の絵のカードは何を意味するのか? 弱者ばかりを標的にしたこの一連の事件を取材する新聞記者ビールドは、複数の犠牲者と関わりを持っていたため警察に疑われながらも、自身の人生とキャリアを立て直すために事件を追う。謎の絞殺魔の恐るべき真意とは。読者を驚きの真相へと導く巧者ディヴァインによる傑作。(粗筋紹介より引用)
 1967年発表。1994年9月、現代教養文庫より邦訳刊行。2011年1月、創元推理文庫より刊行。

 

 現代教養文庫で『兄の殺人者』とか出たころ、結構評価されていたけれど、出版社が倒産してそれっきりになっていた。久しぶりにディヴァインを読んでみたけれど、結構面白い。
 本作はかつて大手新聞社の記者で小説も書いていたが、今は田舎の新聞記者が主人公。酒浸り、女好きでどことなく破滅的な人物だが、それでいてどことなく母性本能をくすぐるようなところがちょっとうらやましい。それでいて行動力もあり、本作でも(時には尻を叩かれながらも)事件解決に奔走する。
 主人公だけ見るとハードボイルドっぽいが、謎のほうは本格ミステリ。連続殺人犯はだれか。小さな地方都市での人間ドラマを繰り広げながらも、ジェレミー・ビールドの活躍で意外な犯人が捕まり事件は解決する。さらに、ビールドとヘレン・ローズとの大人のロマンスがなんとももどかしい。謎解きとラブロマンスの両方が楽しめる。
 かつて現代教養から出ていた作品は復刻され、未訳だった作品もどんどん訳される。作者も発表してから50年経って、遠く離れた日本で高評価を得ているとは思いもしなかっただろう。