平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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荒木あかね『ちぎれた鎖と光の切れ端』(講談社)

 2020年8月4日。島原湾に浮かぶ孤島、徒島(あだじま)にある海上コテージに集まった8人の男女。その一人、樋藤(ひとう)清嗣(きよつぐ)は自分以外の客を全員殺すつもりでいた。先輩の無念を晴らすため――。しかし、計画を実行する間際になってその殺意は鈍り始める。「本当にこいつらは殺されるほどひどいやつらなのか?」樋藤が逡巡していると滞在初日の夜、参加者の一人が舌を切り取られた死体となって発見された。樋藤が衝撃を受けていると、たてつづけに第二第三の殺人が起きてしまう。しかも、殺されるのは決まって、「前の殺人の第一発見者」で「舌を切り取られ」ていた。
 そして、この惨劇は「もう一つの事件」の序章に過ぎなかった――。(帯より引用)
 2023年8月、書下ろし刊行。

 昨年の受賞作『此の世の果ての殺人』が好評だった荒木あかねの江戸川乱歩賞受賞第一作。
 携帯電話の電波が通じない島原湾の孤島、徒島に集まった、男女7人の友人と、海上コテージの管理人。そのうちの1人、樋藤清嗣は先輩の無念を晴らすため、友人の残り6人を殺害する計画を立てていた。しかし実行に躊躇しているうちに第1の殺人事件が発生。舌を切り取られていることに、皆が衝撃を受けていた。その次の日、第1の殺人事件の第1発見者が殺害された。そして毎日、一人ずつが、前の事件の第1発見者が殺害されていく……。ここまでが第1部。そして第2部ではまた連続殺人が発生する。
 第1部は、誰も外に出ることのできない、連絡を取ることのできない孤島での連続殺人。しかも1番目の殺人事件は密室状態。それなのに、クローズド・サークルを読むワクワク感がないのはなぜなんだろう。そもそも樋藤が殺人を計画する動機もなかなか明かされないし、7人の友人関係の背景も明かされない。だから、もどかしさがある。そんなもやもやが、秘密をサスペンスに変えることができず、マイナスに働いている。それともう一つは、フーダニットとハウダニットの弱さ。フーダニットについては不自然な描写で最初からバレバレだし、ハウダニットについては舞台の説明が今一つで、謎解きをされてもピンと来ない。そして作品のそもそもの話だから言っても仕方がないことなのだが、行き当たりばったり感が強い。様々なところで少しずつ、本格ミステリとしての面白さが削がれてしまう結果になっている。
 ただ、第1部は前振り。作者が書きたかったのは第2部だろう。パワハラ、DV、介護、都会と田舎などの社会問題も織り込みつつ、被害者と加害者の関係性に踏み込みながら連続殺人事件が発生し、やがて過去の事件と絡んでくる。ただ、これらの問題を扱うのなら、もっと人物造形を描き込んでほしかったというのが本音。読み易さを考えて削れるところは削ったように見えるが、登場人物の繋がりが判明するところはあまりにも唐突過ぎ。謎解き役の刑事の想像力の逞しさにも呆れるし、犯人たちの動きも安易すぎる。
 第1部も第2部も描き込みが足りない分、説得力に欠ける箇所が多い。2クールぐらいの長さの連続ドラマを無理矢理1冊にまとめたような無理が、物語の浅さに繋がなっている。これだけ長くても、ダイジェストを読まされている感が強い。
 作者紹介で「本格ミステリーの確かな技法に加え、心理に深く分け入った人間ドラマを描くことから「Z世代のアガサ・クリスティー」と呼ばれている」とのことだが、いつどこでそう呼ばれていたのだろうか。まあ、それはどうでもいいが、本作品は本格ミステリの不確かな技巧を詰め込み過ぎ、さらに心理を深く書けない人間ドラマを描いてしまったと言っていいだろう。力は入っている分、力みが強すぎた。前作の感想で、「将来はミステリから離れていくような気がする。この作品の欠点は、ミステリならではの「何か」が足りないところだったと思う」と書いたけれど、その印象は本作を読んでも変わらない。もっとも、作者は有栖川有栖のファンで、本格ミステリが大好きとのことだが。