平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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伊坂幸太郎『AX アックス』(角川書店)

 最強の殺し屋は――恐妻家。「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克巳もあきれるほどだ。兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。引退に必要な金を稼ぐため、仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。『グラスホッパー』『マリアビートル』に連なる殺し屋シリーズ最新作! 書き下ろし2篇を加えた計5篇。(粗筋紹介より引用)
 『野性時代』他掲載3編に書下ろし2編を加え、2017年7月、単行本刊行。

 恐妻家の殺し屋「兜」は、高校生の一人息子、克巳の進路相談に絶対に行くと妻に約束する。緊急の用事なんてそうそうない。しかし仕事を斡旋する医師は、同じ日に緊急の仕事を依頼する。「AX」。
 医師は、かつてスズメバチと呼ばれた殺し屋男女ペアの生き残りの男が兜を狙っていると忠告した。そんなとき、家の庭の木に蜂が巣を作っていると、妻から電話が来る。「BEE」。
 兜こと三宅は通い始めたボルタリングジムで、同じ恐妻家の松田と友人になる。しかも松田の娘、風香は克巳と同じクラスだった。医師は二つの仕事があるという。一つは別の殺し屋が組織から抜け出そうとしているので殺害してほしい。もう一つはその殺し屋からで、組織から抜け出すための死体が欲しいという。「Crayon」。
 表の顔は文具会社の営業社員である兜は、取引先のテナントが入っている百貨店の警備会社社員、奈野村と親しくなる。ある日、奈野村は中学生の息子が伸也の百貨店の店内巡回を見学したいというのだが、いいだろうかと兜に相談する。「EXIT」。
 あれから10年。克巳は茉優と結婚し、三歳の息子・大輝がいた。ある日、母のところにスポーツジムのトレーナー、田村亮二という人が父に会いたいと連絡があった。代わりに会った克巳に亮二は、10年前の小学校のころ、中学生の子に恐喝されていたところを、三宅に助けられたという。その時拾った病院の診察券を、占い師の助言で返しに来たのだった。克巳はその診察券の予約の日付が気になった。「FINE」。

 『グラスホッパー』『マリアビートル』に続く殺し屋シリーズの第三弾は、恐妻家の殺し屋「兜」を主人公にした連作短編集。
 うだつが上がらない恐妻家が、実は凄腕のプロフェッショナル、という設定はそれほど珍しいものではない。殺し屋が家族思いというのもありがちだ。まあ、殺し屋とのギャップと、軽妙なやり取りを楽しめればいいかな、なんて思いながら読み進めていたら甘かった。書下ろしの二編「EXIT」「FINE」を最初から念頭に置いて書いていたのだろう。意外なところで伏線もしっかり貼られていて感心したし、最後のやり取りなんて思わず感動してしまった。さすが伊坂幸太郎、一筋縄ではいかない。
 連作ならではの仕掛けも楽しめる後半2編よりも、「Crayon」の方が個人的には好みかな。恐妻家の二人が互いの境遇を慰め合い、そして分かり合う姿はあまりにも切実だ。女性は「裏メッセージ」に敏感だ、という言葉には頷くしかない。そうそう、表しかないメッセージに裏を見つける女性がいるんだよ、世の中には。
 人の感情を持ってはやっていけない殺し屋が、人の感情を持ったらどうなるか。そんなことを教えてくれる連作短編集だった。過去二作よりも面白かった。