平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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多島斗志之『黒百合』(創元推理文庫)

 昭和27年の夏休み。14歳だった「私」こと進と一彦は、六甲山にあるヒョウタン池のほとりで、不思議な雰囲気を纏った同い年の少女と出会う。池の精を名乗ったその香という少女は、近隣の事業家・倉沢家の娘だった。三人は出会った翌日からピクニックや山登りを通して親交を深めてゆく。自然の中で育まれる少年少女の淡い恋模様を軸に、昭和10年のベルリン、昭和15年阪神間を経由して、物語は徐々にその相貌を明らかにしてゆく。そして、最後のピースが嵌るとき、あらゆる読者の想像を超える驚愕の真相が描かれる。数々の佳品をものした才人による、工芸品のように繊細な傑作ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2008年10月、東京創元社より単行本刊行。2015年8月、文庫化。

 物語の中心となっているのは、1952年夏、14歳の寺元進。父の友人である浅木謙太郎に誘われ、夏休みに六甲山の別荘へ行く。出迎えてくれたのは浅木さんの奥さんと、ひとり息子で同い年の一彦。そして近隣に住む同い年の倉沢薫と出会う。三人は仲良くなり、進と一彦は薫に淡い恋感情を抱く。物語は当時の日記を振り返った進の視点で進む。
 間に挟まれるのは、1935年のベルリン。宝急電鉄の会長と東京電燈の社長を兼務している小芝一造の海外視察旅行に、東京電燈の秘書・寺元と、宝急電鉄の秘書・浅木謙太郎が同行する。三人はベルリンで、日本から来る人を待っているという数え20歳の相田真千子と出会う。異邦の地で知り合った真千子を気に掛ける小芝は、真千子を食事に誘ったり、警察に捕まったのを助けたりする。物語は浅木の視点で進む。
 間に挟まれるのは、1940年の神戸。宝急電鉄の車掌である私は、神戸女学院に通う16歳の倉沢日登美に恋文を渡され、付き合うようになる。時は進み、私は運転士に、日登美は宝急百貨店に入社する。物語は1945年まで、私の視点で進む。
 典型的なボーイ・ミーツ・ガールの青春物語。当時の六甲山を克明に描写しつつ、二人の男の子と一人の女の子の淡い恋物語が描かれてゆく。この時代ならではの恋心のもどかしさ、切なさが読者の感動を誘う。
 しかし途中で別の舞台が挟まれ、主人公たちの親族の物語が始まるので、これは作者が何かを仕掛けてくるだろう、というのは容易に想像がつく。騙されないように、騙されないようにと慎重に読み進めつつ、物語に引き込まれていく。この巧みな文章と構成力はさすがとしか言いようがない。さらに殺人事件が起きるなどのショッキングな出来事を挟みつつ終章まで突き進む。結末でようやく物語の全貌が明らかになって驚愕、そして至る所に仕掛けられた伏線にようやく気付き、感動する。しかもあまりにもさりげなく書かれており、流し読みしていたら見落としそうな箇所多数。その伏線が時代背景ならではの描写と合致しているのには、脱帽するしかない。注意して読まないと、作者の狙いすらわからないまま読み終わり、さして違和感を抱かずに本を閉じる人がいるのではないだろか。
 よくぞまあ、ここまで巧妙な物語を組み上げてきたものだと感心する。青春小説の瑞々しさと、ミステリならではの巧みさが融合した傑作である。
 作者は2009年12月に両目の失明を危惧して行方を断ち、今も行方不明のままである。そのため、本書は現時点で最後の作品となっている。