平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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渡辺啓助『空気男爵』(皆進社 《仮面・男爵・博士》叢書・第二巻)

 世間を騒がしている「空気男爵」は、的確な資料がほとんどない。国籍も判明していない。ニューヨークで悪名高かった黒十字(ブラッククロス)団の残党と何らかの繋がりがあるのではないかという噂は流れている。空気そのもののように何処にでもほしいまま出入し、これを見ることも掴まえることもできない。美女と宝石だけを専ら狙うのが「空気男爵」である。麻布笄町の裏通りにある探偵事務所の所長である白晳痩身の美男子で大学院での秀才蒼木麟五郎と、大学出の美女アシスタント香月鮎子は空気男爵絡みの事件に巻き込まれる。
 帰り道で元芸人の怪力男ヘンリー俵田に尾け回されるも、なんとか逃げ来た鮎子。俵田は空気男爵の一味なのか。しかし実際に狙われていたのは、鮎子の姉であるプリマドンナの千江子であった。「第一話 空気男爵と隙間風侯爵」。
 明日は上野のルーヴル展に出かける約束をした麟五郎と鮎子。そこへ飛び込んできた男は「一服盛られた、ルーヴル二二一」という言葉を残し、死んでしまった。「第二話 聖骨筐の秘密」。
 新興宗教教祖五味玄海の二号と言われている木下ミキより、教祖が南方から連れ帰ってくる美人の女弟子がどんな野心を持っているのか調べてほしいという依頼を受け、麟五郎と鮎子は羽田空港に向かったが、教祖は一人きりだった。しかし先に降りていたグループの中に居たのはデザイナーの丹間妙子。しかも豪勢な首飾りを付けていた。空気男爵が狙うのではないか。「第三話 お嬢様お手をどうぞ」。
 鮎子は元財閥の大番頭だった蛭宮勘三郎老人に電話で呼び出され、麻布十番の屋敷に出かけたが誰も出ない。扉の鍵穴から覗くと、誰かがいる。もしかしたら空気男爵ではないか。慌てて事務所に戻り、麟五郎と一緒に屋敷へ行くと、老人が絞殺されていた。空気男爵と付き合っているとの噂がある、老人の戦死した息子の妾である美人の染川シノが何か知っているのかも。「第四話 シャム猫夫人」。
 サンドイッチウーマンが掲げていたのは、女性への唐手指南のプラカード。青年が尾けていたことを知り、女は慌てて四階建てのビルへ逃げ込んだ。追いかけてきた青年が4階の共楽商事を訪ねると、出てきたのは中年男。ピストルで男を脅した青年は、隣の部屋の鍵を受け取り、中へ入っていくも逆にやられてしまった。女は実は、麟五郎の命を受けた鮎子だった。「第五話 女唐手綺譚」。
 探偵事務所を訪れた染ヶ井仙助は、去年の洞爺丸の沈没で亡くなったはずの桂木美容子が、東京の街を歩いていると訴えた。仙助と一緒に外へ出た鮎子は、三十分前に美容子の幽霊が映画館に入ったと聞かされ、一緒に入ってみると、確かに写真と同じ美人がいる。鮎子は、連れの中年男と一緒に出ていった美容子の後を尾けるが。「第六話 美女解体」。
 かつての名門が持っている軽井沢の別荘から一週間前、古い肖像画が盗まれた。しかし名画でも何でもない。依頼を受けた麟五郎の命を受け、鮎子は一人で別荘に向かうこととなった。夜行列車の中で同席した婦人客から、空気男爵が軽井沢で一稼ぎしているという噂を聞く。肖像画を盗んだのももしかしたら。「第七話 女空気男爵」。
 昼前に事務所へやってきた穴塚千里夫は、見合いで結婚した美人の妻が残虐趣味を持っており、虫から犬猫、ついには列車からの転落事故に見せかけて人間も殺してしまったと話す。これ以上罪を犯す前に、自分が殺そうと思ったが、警察にばれずにどうやればいいか教えてほしいと、麟五郎に訴えてきた。さすがに依頼は断ったが、気にかかった鮎子は穴塚家に忍び込む。「第八話 吸血夫人の寝室」。
 他に短編「死相の予言者」「魔女とアルバイト」「胴切り師」「素人でも殺せます」を収録。
 2022年6月刊行。

 

 秋田の皆進社から出版された《仮面・男爵・博士》叢書・第二巻。《仮面・男爵・博士》叢書とは、通俗探偵小説における悪の象徴の中でも「仮面・男爵・博士」と呼ばれる人物にスポットライトを当ててみたとのこと。「「推理小説」の時代が到来する前夜に発表された作品を中心に、日本ミステリ史の上で振り返られることなく忘れ去られた通俗探偵小説の中から、楽しんでいただける作品を精選した」とのことなので、楽しみにしている。
 第二巻は「薔薇と悪魔の詩人」渡辺啓助の『空気男爵』。『探偵倶楽部』1955年1月号~12月号に断続掲載され、1957年に『空気男爵』のタイトルで出版された。第一話だけ他の二倍の長さがあり、雑誌には「長篇読切」と書かれていたことから、解説の横井司は第一話を読んだ編集部がシリーズ化を依頼したのではないかと推測している。恐らくそうだろう。
 「空気男爵」とは空気のような存在で、美女と宝石に目がないというのだが、実物がどんな人物なのかはさっぱりわからない。探偵事務所の青木麟五郎と助手の香月鮎子が実質的な主役ではあるが、空気男爵の正体は実は……と鮎子が疑っている設定。読んでみると、よくある怪盗ものとはちょっと毛色の違った設定にはなっているのだが、作者がどこまでそれを意識していたかはわからない。まあ通俗雑誌に連載されていたということもあり、細かいところの矛盾などは気にしない方がいい。「あれ、いつの間に」とか「どこからそれを」みたいなことが出てくるが、それも考えちゃだめだ(苦笑)。逆に渡辺啓助がこのような作品を書いていたとは全く知らず、意外であったという印象の方が強い。
 他に収録されている短編は4本。「死相の予言者」はシリーズ探偵・一本木万助シリーズの一編。首のない死体ものであるが、作者の料理の仕方が面白い。「魔女とアルバイト」は、水道実態調査員のアルバイトである学生が未亡人に誘われ関係を持つも、目を覚ますと女が殺されていたという話。結末があっけなく、前半の妖しいムードと比較すると物足りない。「胴切り師」は、かつての人気奇術師がストリップショーの踊り子に夢中となるが、ひょんなことから舞台で踊り子の胴を斬る奇術を披露する舞台に復活する話。これはエロスと残酷美と偏愛が異様なムードを漂わせた傑作。本巻のベストで、これが今まで単行本未収録だったとは信じられない。「素人でも殺せます」は、アメリカへ行くお金を貯めようとする幼妻に締め付けられている夫が、息抜きにかつて付き合っていた女のところへ行くが事件に巻き込まれる話。悪女というよりはドライな若妻だが、昭和30年代のサラリーマン小説にありそうな一編である。

 さて第三巻は「博士」。候補がありすぎて逆に予想つかないが、意外な通俗小説を取り上げてくれるのだろうと思うと、今からワクワクしている。