平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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安東能明『蚕の王』(中央公論新社)

 昭和二十五年、静岡県で発生した一家殺害事件、二俣事件。警察と司法が組んで行われた犯人捏造の実態とは? そして著者だけが辿り着いた「真犯人」の存在とは? 事実に基づく衝撃作。
 昭和二十五年(1950年)一月。静岡県二俣町にて一家殺害事件が発生した。のちに死刑判決が覆った日本史上初の冤罪事件・二俣事件である。捜査を取り仕切ったのは、数々の事件を解決に導き「県警の至宝」と呼ばれた刑事・赤松完治。だが彼が行っていたのは、拷問による悪質な自白強要と、司法さえ手なずけた巧妙な犯人捏造であった――。
 拷問捜査を告発した現場刑事、赤松の相棒であった元刑事、昭和史に残る名弁護士・清瀬一郎。正義を信じた者たちが繋いだ、無罪判決への軌跡。

 そして事件を追い続けた著者だけが知りえた、「真犯人」の存在とは?(粗筋紹介より引用)
 『中央公論』2020年4月号~2021年4月号連載。加筆修正のうえ、2021年11月、単行本刊行。

 作者の安東能明は静岡県生まれ育ちで、18歳まで二俣町に住んでいた。冒頭では父親が妹と映画を見に来たが二俣事件のことと犯人が捕まっていないことを知り、慌てて帰る姿が描かれている。本書は作者の初のノンフィクション・ノベルである。
 作者は菩提寺への彼岸参りの帰りに友人の家へ寄った際、たまたま吉村省吾『元刑事の告白 二俣事件の真実』という自費出版のコピーを見せられる。地元ということで、拷問王として名高い赤松完治警部のことに興味を持っていたが、この本については知らなかった。そして友人の母親は、二俣事件の目撃者だった。友人は被害者の長兄と知り合いであり、後日紹介してもらうことにした。さらに別の友人の家に寄った際にコピーを見せたら、その友人は冤罪が張れた人物のことを知っていたという。そして、事件のことに詳しい住職を紹介してもらった。作者はこの事件のことを小説にすることを決め、事件をよく知る人たちに取材を始めた。
 「二俣事件」は静岡3大無罪事件の一つとして有名である。残りの二つは1948年に発生した「幸浦事件」(二審死刑判決が最高裁で高裁に差し戻され、高裁で無罪判決、最高裁で確定)と1950年に発生した「小島事件」(一・二審無期懲役判決(求刑死刑)が最高裁で高裁に差し戻され、高裁で無罪判決がそのまま確定)である。全て昭和の拷問王と呼ばれた紅林麻雄警部補(後に警部)主導による拷問によって犯人が捏造された事件である。二俣事件は幸浦事件の公判が静岡地裁で行われている途中で発生していた。この公判では、被告(のちに無罪確定)が紅林麻雄警部補が主導による拷問があったことを訴えており、小説の中でも紅林がモデルである静岡県本部刑事課強力班主任の赤松完治が幸浦事件の公判の模様が書かれた新聞を読んでいるシーンが描かれている。それでも拷問を止めなかったというのだから、呆れるしかないのだが、当時としては当たり前の感覚だったのだろう。
 本書は、作者が当時の事件関係者たちに取材を重ね、事件のすべての概要を浮かび上がらせている。赤松警部主導による拷問の様子、容疑者のアリバイを無くすための犯罪発生時間の捻じ曲げ、その他の捏造などをあからさまにするとともに、当時の静岡地裁の裁判長が、被告側の拷問の主張については一切耳を傾けず、被告に有利な証言を遮えぎり、検察、警察の主張のみを簡単に取り下げるさまが描かれている。
 当時の裁判所なんてそんなものなんだろうなと思ってしまう。検察側の主張をうのみにする裁判員が多いのは今も昔も変わらないとは思うが、この頃は特にそうだったのだろう。
 ただ作者は、当時町警と呼ばれる自治体警察である二俣警察署の刑事係で巡査であり、静岡地裁の公判で紅林の拷問を警官の立場のまま証言した吉村省吾の自費出版『元刑事の告白 二俣事件の真実』(実際の出版物とはタイトルがちょっとだけ異なる)で名指しされた人物については、被害者の家族から直接聞き取った話により否定している。おそらく2012年1月19日放映の『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ)だとは思うが、吉村省吾のモデルとなった元刑事の手記に従ってある人物を犯人扱いしたこと、そして被害者遺族に打診や断りもなく放送したこと、被害者を呼び捨てにしたことなどについて怒っていることが描かれている。
 本書ではさらに、後に衆議院議長になる清瀬一郎(実名)が弁護士に就くことが決まった後に、赤松が初めて手柄を立てたとされる「浜松事件」についても詳細に書いている。こちらについては、当時赤松の同僚刑事で、事件時には退職して板金屋を営み、二俣事件でも被告人側の証人に立った城戸孝吉(仮名)の話をもとに書かれている。
 「浜松事件」は1941年8月から逮捕される1942年10月までの間に計4件、9名が殺害され、6名が重傷を負った連続殺人事件である。犯人は耳の不自由な少年で、第3の事件では実兄を殺害し家族5人を負傷させているが、赤松は同居していた犯人の身体捜検とガサを行わず、犯人を見抜けなかったにもかかわらず、異動させられたところで遭遇した第4の事件で証拠物件の出所を突き止めただけなのに、他の3名と一緒に検事総長による捜査功労賞を受賞して英雄扱いされたと書かれている。その後、警防予算の使い込みをしたり、落とした腕時計を拾って警察に届けず自分のものにした男性を脅して現金をせしめたという噂があったという。実際、当時の署長などが後に辞表を提出しているが、当の本人は何のお咎めも無しだった。
 本書のタイトル「蚕の王」は、第3の事件の家が蚕農家であり、この事件から予期せぬ怪物=赤松を産み落とされたことから来ている。
 本書の第四章から、幸浦事件でも弁護を務めている清瀬一郎が登場する。清瀬一郎が終戦の年の10月に「拷問根絶趣意書」をまとめてGHQに乗り込み、直談判した後に、アメリカ側から見せられた日本国憲法の草案に主張がそっくり載っており、そのまま日本国憲法第三十六条の拷問の禁止に繋がったことが会話文で書かれており、こんな規定があるのは世界の中でも日本だけだと話している。
 差し戻し審の静岡地裁で、清瀬弁護士が赤松と対峙し、検察・警察側の主張をことごとく打ち破っていく姿は本作品の見どころの一つである。
 二俣事件で確定、そして小島事件で無罪が確定、幸浦事件で無罪が確定。赤松完治は「殺しの神様」から「拷問王」へと呼び名が変わり、左遷させられ、亡くなったところまで書かれる。なお三事件と近い時期に起きた御殿場殺人事件も担当して死刑が確定しすでに刑が執行されているが、誌面では自ら冤罪をほのめかすようなことを語っていると本書では書かれている。
 1954年に起きた島田事件は赤松の部下が捜査を担当し、証拠の捏造や拷問の末、死刑が確定したが、再審で無罪が確定している。1955年に発生した丸正事件では血液検査を名目に血を抜き取るという拷問も行われた。この事件では被告2人が無罪を訴えるも有罪が確定し、再審も棄却されている。さらに1966年に発生した袴田事件でも、拷問による自白調書が作られたことは裁判でも認定された。現在も第二次再審請求の審理が続いている。
 終章では、当時吉村の部下だった中里に作者が取材し、中町は上からの指示によってある人物を威圧するために、容疑者の逮捕後、そして無罪後もずっと張り込んでいたという話を聞かせた。作者は、この人物が真犯人ではないかと考えている。

 正直、無罪確定から65年以上も経つ今になって二俣事件を取り扱う理由がわからなかった。しかし、紅林麻雄が主導した拷問捜査は静岡県警にその遺伝子が受け継がれ、2022年になった今でも、その遺伝子によって引き起こされた袴田事件の再審請求の審理が続いている。今でも警察に残る自白偏重主義、そして裁判官による警察・検察主張型の裁判審理などは無くならない。今なお続く日本の警察、検察、裁判所の問題点を考えるうえで、本書もその入り口の一つになるのかもしれない。