平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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押川曠編『シャーロック・ホームズのライヴァルたち 1』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 19世紀末から今世紀初頭は、名探偵シャーロック・ホームズの活躍が読者の熱い支持を受けていた時代だ。そして、かの名探偵のライヴァルともいうべき名探偵たちもまた、この時代に数多く登場している。科学者探偵、悪徳探偵、怪盗、義賊、パロディ探偵……ホームズを意識つつも独自の魅力を発揮した多士済々の名探偵を一堂に集めた本書は、名探偵の黄金時代に憧れ、胸ときめかす読者には垂涎の書といえよう。(粗筋紹介より引用)
 1974年2月からほぼ2年間、『ミステリ・マガジン』に断続的に連載された「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」が母体。1983年6月、刊行。

 

 22歳のルシーラ・スタッドリーが開業医のハリファックス博士を訪ねる。20歳年上の夫、ヘンリー卿が極度の神経状態にあるのだが、屋敷を出たがらないのでぜひ来てほしいと依頼した。ハリファックス博士は、ルシーラも病で重態の状況と診て、屋敷を訪ねる。ヘンリー卿が言うには、夜中に幽霊が出るとのことだった。『ストランド・マガジン』に1893年6月から連載された「ある医師の日記から」の第七話、L・T・ミード「スタッドリー荘園の恐怖」(ハリファックス博士)。古臭いゴシックロマンス風ミステリ。謎自体も単純だし、今読むと歴史的な価値しかない。掲載当時はホームズと人気を二分していたとのこと。
 マーチン・ヒューイットを訪れたのは、F・グレアム・ディクソン。新型の移動式魚雷の設計図の写しが事務所から盗まれたという。盗まれた当時事務所にいたのは二人の助手だけ。ヒューイットは事務所を訪れ、盗んだ犯人を捜す。『ストランド・マガジン』に1894年3月号から連載されたヒューイット譚の第四話、アーサー・モリスン「ディクソン魚雷事件」(マーチン・ヒューイット)。ヴァン・ダインに「ホームズの足跡をたどった最初の注目すべき探偵」といわれたマーチン・ヒューイット。創元推理文庫で一冊にまとめられており、本編も収録されている。ホームズの連載が一時終了した後に連載されている。残された現場の状況から犯人を推察し、さらに設計図を取り返して背後を探り当てるのだが、ヒューイット自身がちょっと地味なところが残念。
 南アフリカの百万長者であるチャールズ・ヴァンドリフト卿と、その義兄で秘書のシーモア・ウィルブラハム・ウェントワースは、ニースにホテルを取り、休暇を楽しんでいた。そのころニースで有名になっていたのは、信者に"偉大なるメキシコの預言者"と呼ばれ、千里眼の能力を持つ男のことであった。チャールズ卿はペテンを暴いてやると、その予言者を呼び出す。『ストランド・マガジン』に1896年6月から一年間連載された「アフリカの百万長者」の第一作、グラント・アレン「メキシコの予言者」(クレー大佐)。本シリーズで登場するのは、ゴムのような顔を持つ変装の名人、クレー大佐。言ってしまえば詐欺師であり、この後もチャールズ卿との追いかけっこが始まるとのことだから、ホームズのライヴァルとは違う気もするが。その後の詐欺については謎が解き明かされるが、他についてはそのままということもあり、冒険活劇として読んだ方が正しいシリーズ。クレー大佐は藤原宰太郎の本で知っていたので気になっていたのだが、できればシリーズで読んでみたい。
 シドニー・ハーコートは婚約者のリリアン・レイに渡すため、半世紀にわたってロンドン社交界のあこがれの的であったダイヤモンドを、宝石店の目の前で新しいケースに入れてもらい、包んでひもでくくったままの状態で持ってきた。しかしケースを開けてみると、中は空であった。宝石店に伝言を届けると、一時間後にアルフレッド・ジャギンズという私立探偵が宝石店の依頼で現れ、ハーコートから話を聞いて出ていった。すると今度は別の男が、同じくアルフレッド・ジャギンズと名乗って表れた。『ビアスンズ・ウィークリー』1897年1月23日号から12回にわたって掲載された名探偵アルフレッド・ジャギンズ譚の第一話、マクドネル・ボドキン「消えたダイヤモンド」(ジャギンズ氏)。どことなくユーモラスな中年男が探偵で、出だしの突飛さと比べるとなんとも地味な終わり方であり、探偵役もこれまた地味で面白みに欠ける。このシリーズは単行本"The Rule of Thumb Detective"では加筆され、主人公も青年私立探偵ポール・ベックに書き改められており、クイーンの定員にも選ばれている。作者は、ポール・ベックとドラ・マールの二つのシリーズを持ち、結婚させて生まれた息子とともに事件に当たる作品を書いたことで知られる。
 ジプシー娘のヘイガー・スタンリーが営む質屋のところへ一人の若者が持ってきたのは、高価な珍本である『神曲』第二版だった。売りたくないので来たという若者に四ポンドを渡したが、一週間後に質札を持ってきたのは下品な男だった。質草を渡さなかったヘイガーは、若者の亡くなった叔父の遺産探しに挑む。1899年、ロンドンのスケフィントン社から出版された「質屋のヘイガー」に収録、ファーガス・ヒューム「フィレンツェ版ダンテ」(質屋のヘイガー)。ファーガス・ヒュームといえば『二輪馬車の秘密』で有名な多作家。本作はヘイガーというキャラもいいし、ミステリの謎と結末もよくできている。一冊丸ごと読んでみたい。
 クイーンズフェリー界隈の大邸宅の何軒かで、不可解な方法で貴重品がごっそり持ち去られる事件が続いたが、警察は誰も逮捕できなかった。盗まれた人々たちが集まって相談しあい、ロンドンの私立探偵、タイラー・タットロックが呼ばれた。しかしタットロックが来てから二日後、また強盗事件が起きた。1900年にチャトー・アンド・ウィンダス社から刊行された短編集"The Adventures of Tyler Tatock; a Private Detective"の巻頭に収められている、ディック・ドノヴァン「クイーンズフェリー事件」(タイラー・タットロック)。作者は当時の多作家ということで、作者と同じ名前の探偵が活躍する短編集シリーズがある。事件が起きて、探偵が現れてすぐ消えて、次に現れたときは解決を話すだけ。しかも犯人の目星を付けるのは、本能的。全然魅力ないんだけど。
 大英博物館閲覧室の常連であるプリングル氏は、ある一人のドイツ人らしき男が気になった。多数の本に囲まれ、色々考えながら手紙を書き終わった男が周りの本を落としたすきに、プリングル氏はランディ侯爵と書かれた宛先をこっそりと見た。さらに男が本を返している隙に、吸取紙つづりをすり替えた。ブリングル氏は吸取紙から文字の判読を試み、文章を再現する。R・オースチン・フリーマンが無名時代、ホロウェイ刑務所の嘱託医を務め、当時の上司であったJ・J・ビトケアンと合作したクリフォード・アシュダウンが1902年6月より『キャッセル』誌に連載された「ロムニー・プリングルの冒険」の三作目、クリフォード・アシュダウン「シカゴの女相続人」(ロムニー・プリングル)。ロムニー・プリングルは40歳を過ぎた独身の詐欺師。表向きは出版代理人だが、裏では法律の抜け穴を利用する悪徳紳士である。悪事を探り出し、脅迫者の裏をかいてちゃっかりと儲ける主人公の姿が小気味よい。
 ロンドンで探偵事務所を開いているユージェーヌ・ヴァルモンのところへ、若いチズルリッグ卿が仕事を依頼に来た。六か月前に吝嗇の伯父が亡くなり、甥であるチズルリッグ卿に遺産を残した。遺言書には図書室の二枚の紙の間に財産があるという。チズルリッグ卿はその図書室兼寝室兼鍛冶場を隅から隅まで探したが、遺産を見つけることができなかった。そこでヴァルモンに遺産を見つけてほしいという。ヴァルモンはその図書室へ向かった。1906年にロンドンのハースト・アンド・ブラケット社から刊行された短編集『ユージューヌ・ヴァルモンの勝利』に掲載された、ロバート・バー「チズルリッグ卿の遺産」(ユージェーヌ・ヴァルモン)。ユージェーヌ・ヴァルモンは元パリ警視庁の警視で、今はロンドンで探偵事務所を開いている。「忍耐と刻苦」が捜査信条。エルキュール・ポアロの原型として知られているが、ヴァルモンは失敗ばかりしている滑稽な人物。代表作「放信家組合」は乱歩のいう「奇妙な味」を象徴するような短編である。本作品における遺産の隠し場所は、推理クイズでも引用されている有名なトリックであるが、本作品の面白さはヴァルモンとチズルリッグ卿のユーモラスなやり取りと、失敗を繰り返す過程である。
 “正義の三人”の住み家へ、魅力的な女性のミス・ブラウンが訪れてきた。レオン・ゴンザレスが対応するが、ブラウンは顔を知られたくないので明かりをつけないでというので、偽名のようだ。彼女は6年前、聖ジョン病院の医学生だった。同級生の男性、ジョン・レスリットに熱を上げ手紙をやり取りしたが、深い関係になる前に奥さんがいることを知った。そしてブラウンは、堕落したジョンに強請られた。去年のクリスマス、ブラウンは教会で賛美歌を歌っているジョンを偶然見てしまった。そして2か月後、ジョンから強請の手紙が来た。おそらく女性が婚約したニュースを新聞で読んだからだった。レオンはジョンに交渉に行く。1912年、「ノヴェル・マガジン」に発表。1931年、"The Law of the Three Just Men"に収録された、エドガー・ウォレス「教会で歌った男」(正義の三人)。レオン・ゴンザレス、レイモン・ポワカール、ジョージ・マンフレッド、ミゲル・テリーによる「正義の四人」は、社会の害虫どもを退治する任侠の士。作者の処女長編『正義の四人』で登場し、以後、四人目のメンバーを入れ替わりながら続く人気シリーズとなった。ただし、途中から三人になっている。こういう作品を読むと、当時の読者はスカッとしたのだろうなと思う、テンポの良い作品。
 ソープ・ヘイズルは、大学で同じ寮だった外務次官のモスティン・コットレルから依頼を受ける。外務省から重要な書類が盗まれ、現在、その書類はドイツ大使の手中にあるという。大使館付きの送達便の一員であるフォン・クリーゲン大佐に、急送公文書が入った公文書送達箱を持って出発するように命令が下り、その中に目的の書類がまぎれている。ヘイズルに、その書類を奪ってほしいというのだ。1912年、C・アーサー・ビアスン社から刊行された『ソープ・ヘイズルの事件簿』に収録されている、V.L.ホワイトチャーチ「ドイツ外交文書箱事件」(ソープ・ヘイズル)。ソープ・ヘイズルは書物蒐集家で菜食主義者で鉄道マニアの素人探偵である。最も短編集15編のうち9編しか登場しない。列車消失トリックの名作「ギルバート・マレル卿の絵」で知られている。本作品は残念ながら、当時のイギリスの列車の構造がわからないと、ピンと来ない。
 わたしとノヴェンバー・ジョーは森の猟からの帰り道、杣道にある足跡を見つけ、誰が通ったかを聞いてみた。するとジョーは、「白人で、重大ニュースを運んでいて、遠くから来たわけではない。おそらく私の小屋にいるだろう」と推理した。その通り、ジョーの小屋にはクローズというリヴァー・スター・バルブ会社のCキャンプ監督が来ていた。部下の樵夫であるダン・マイケルズが襲われ、もらったばかりの給料が奪われたという。実は去年も五回、路上で強盗事件があった。1913年にボストンのホートン・ミフリン社から刊行された短編集『ノヴェンバー・ジョー』に収録されている、H・ヘスキス・プリチャード「七人のきこり」(ノヴェンバー・ジョー)。ノヴェンバー・ジョーはカナダに住む24歳のきこり兼狩猟ガイドだが、迷宮入りの事件を解決して森の名探偵と言われるようになった。本作品はホームズよろしく、残された手がかりから消去法で犯人を言い当てる作品である。
 ジョージとルーシーのイーデンバロー夫婦は、新婚旅行に来たウィンタワルトのエクエルショル・ホテルにジョン・ダラー博士を招待し、一緒に食事をとった。話はストリキニーネ事件のことになる。必要量の百倍のストリキニーネを患者に与えたという。その患者はジャック・ラベリックといい、ジョージの同級生だったという。1913年から『レッド・マガジン』に連載され、1914年にイーヴリ・ナッシュ社から出版された短編集""に収録された、F・W・ホーナング「的外れの先生」(犯罪博士ジョン・ダラー)。コナン・ドイルの義弟で、怪盗ラッフルズの作者として有名なホーナングのシリーズ・キャラクター。トボガン(アメリ先住民族が使っていたソリ)競争にかかわる話に続くのだが、背景の説明が省かれていて、とにかく読みにくいし、わかりにくい。
 ポットソンは夏季休暇中にジェームズ・シルヴァーのアンブロザ屋敷で過ごしていた。友人のピックロック・ホールズはポットソンに、今夜この屋敷に強盗が入ると予言する。イギリスの有名な滑稽新聞『パンチ』の1983年11月4日号に掲載された、R・C・レーマン「アンブロザ屋敷強盗事件」(ピックロック・ホールズ)。ホームズのパロディ・ショートショートだが、個人的には特に笑えなかったな。
 ヘムロック・ジョーンズはブルッグ街の下宿で悩んでいた。なんと、ジョーンズがトルコ大使から送られた葉巻入れが盗まれたという。ジョーンズは医者のわたしに、必ず自部一人の力で取り戻すと告げた。『ビアスン』1900年10月号に匿名で発表して掲載された、ブレット・ハート「盗まれた葉巻入れ」(ヘムロック・ジョーンズ)。ホームズものなら誰かは一度手を付けていそうなパロディだが、結末までの怒涛な展開には驚かされる(笑わされる)。

 

 名探偵の代名詞はシャーロック・ホームズ。その人気ぶりを見て、当然他の作者も、ホームズのような、あるいはホームズとは真逆な名探偵たちを登場させていった。それが「ホームズのライバルたち」。ホームズのような「名探偵」だけでなく、ドジな探偵、義賊、怪盗、悪徳探偵、パロディ探偵など、様々なキャラクターたちが生まれ、その多くが消えていった。そんなホームズのライバルたちの作品を集めたアンソロジー全3巻の第1巻。
 それにしてもこれだけの探偵たちがいることに驚かされるし、魅力的なキャラクターから失笑するキャラクターまで、様々な探偵たちが世界を駆け巡っていると思うと、非常に面白い。もちろん、作品自体は首をかしげるようなものもあるけれど、それでもこれだけのキャラクターが一堂に会する短編集は素晴らしい。
 貴重なアンソロジーだと思うし、資料的価値も高い。絶版にしないことを祈る。