平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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ロバート・バー『ヴァルモンの功績』(創元推理文庫)

 吾輩はウジェーヌ・ヴァルモンである。日本での名声はまだない。没分暁漢(わからずや)のパリ警察に放り出され、渡英してから私立探偵の看板を掲げている。大隠は市に隠るを地で行く吾輩が目を光らせているによって、今日も霧の都は平和に暮れゆく。吾輩の辞書に「とんと見当がつかぬ」はなけれど、もそっと人(にん)に合った格調高い依頼が舞い込まないものか。遺産探しや身の上相談はともかく、脱獄の手引きと来た日には……。諧謔を好むロバート・バーの遊び心が炸裂するヴァルモン譚に、アーサー・コナン・ドイルとの交友から生まれたホームズものの仁輪加(パロディ)二編を配す。(粗筋紹介より引用)
 1906年アメリカ向け、イギリス向け、イギリス植民地向けと三社で刊行された短編集『ヴァルモンの功績』の全訳とホームズパロディ二編を合わせ、創元推理文庫より2020年11月刊行。

 

 1893年マリー・アントワネット王妃に献上されるはずが行方知れずとなったダイヤの頸飾りが発見された。フランス政府による競売でアメリカ人が落札し、フランス国家警察の刑事局長であるヴァルモンは、落札者がフランスを出るまで監視しようとしていたが、当の落札者が姿をくらました。ヴァルモンは必死に落札者を追いかける。「〈ダイヤの頸飾り〉事件」。ヴァルモンがフランス国家警察を追い出されることになった事件。正直、この程度のことでという気がしなくもないが、当時の警察は予想以上にプライドが高かったのかも。追跡劇が面白い作品だが、それだけでもある。ところで、ロンドンに事務所を構えるイギリス随一の私立探偵って、誰なんでしょうね。
 解雇されたヴァルモンはロンドンで私立探偵として成功し、事務所を開く。フラットをこっそり改築し、バスティーユ並みの堅牢な部屋も用意した。一方、ソーホーの最底辺で裏店住まいをするポール・ドゥシャームというフランス語講師の無政府主義者にも化け、犯罪者を追っていた。英仏の友好を阻む無政府主義者は、爆弾を仕掛けているという。「爆弾の運命」。ヴァルモンがイギリスで地位を高めてきた話が最初に出てくるが、フランスとイギリスの警察の違いが出てきて面白い。いわゆる推定無罪の原則を押し通すイギリスと、無罪が証明されるまでは有罪であるとして捜査を進めるフランスである。そしてヴァルモンはイギリスのやり方にいら立っている。事件の方はごちゃごちゃしていてわかりにくい。
 ヴァルモンの事務所を訪れたのは、テンプル法学院に事務所を構えている法廷弁護士のベンサム・ギブス。先日、自室で六人の親友と晩餐会を開いたが、食堂の椅子に置きっぱなしの上着に入っていた二十ポンドの紙幣五枚が無くなっていた。従僕や給仕は犯人ではない。となると親友である六人のうちの誰かが犯人と思われるが、事を荒立てなくないので、こっそり犯人を捜してほしいという依頼であった。「手掛かりは銀の匙」。オチは面白いが、ヴァルモンが振り回されるだけの間抜けに見えないこともない。
 若いチゼルリッグ卿が仕事を依頼に来た。六か月前に吝嗇の伯父が亡くなり、甥であるチズルリッグ卿に遺産を残した。遺言書には図書室の二枚の紙の間に財産があるという。チズルリッグ卿はその図書室兼寝室兼鍛冶場を隅から隅まで探したが、遺産を見つけることができなかった。そこでヴァルモンに遺産を見つけてほしいという。「チゼルリッグ卿の遺産」。本作品における遺産の隠し場所は、推理クイズでも引用されている有名なトリックであるが、本作品の面白さはヴァルモンとチゼルリッグ卿のユーモラスなやり取りと、失敗を繰り返す過程である。
 ロンドン警視庁のスペンサー・ヘール警部はヴァルモンに、ラルフ・サマーツリーズという人物が贋金造りの犯人ではないかと疑っているのだが、証拠がないので捕まえられないと訴える。ロンドン警視庁の捜査のやり方にいら立ったヴァルモンは、自らサマーツリーズを調べることにした。「放心家組合」。乱歩が短編ベスト10「奇妙な味に重きを置くもの」で選んだ作品でもあった。今のオレオレ詐欺にもつながりそうな、とぼけた味わいのある傑作。今読むと、イギリスとフランスの捜査の違いが浮き彫りになっているんだな。
 翻訳事務所で働く、ソフィア・ブルックスがヴァルモンの事務所を訪れた。六週間ほど前、古城で第十一代ラントレムリー卿と老執事が亡くなった。十年前、秘書として雇われたソフィア、子息のレジナルドと恋仲に落ち、結婚式を挙げたが、ラントレムリー卿と老執事に無理矢理別れさせられ、レジナルドは行方不明となり、ソフィアは恐喝未遂の告白状を無理矢理書かされ、追い出されてしまった。翌日、後を継いだラントレムリー伯爵がヴァルモンを訪れ、古城に現れる幽霊の正体を探ってほしいと依頼してきた。「内反足の幽霊」。古城の冒険もので、珍しくヴァルモンが活躍。ロマンスもあり、読んでいて楽しい一編。
 ダグラス・サンダーソンという人物が事務所を訪れた。息子はアメリカで悪い仲間と付き合うようになり、ワイオミング・エドの通り名で知られたが、五年前に列車強盗で終身刑となった。しかし無罪を信じるダグラスは、お金を積めば逃亡させられると知り、ヴァルモンに依頼する。しかしヴァルモンはその話の裏を見抜く。「ワイオミング・エドの釈放」。アメリカまで出かけるヴァルモンだが、展開はどんどん別の方向に流れていくので、楽しい作品ではなかった。
 二か月前、ブレア侯爵のエメラルドが盗難にあった。英国警察の捜査は失敗に終わり、ブレア侯爵はヴァルモンに捜査を依頼した。ヴァルモンがブレア家に呼ばれるも、ケチなブレア侯爵からの報酬金額は低いし扱いは悪いしで断ろうとしていた。しかし、美しい姪のレディ・アリシアから丁重な扱いを受けたヴァルモンは、依頼を引き受けることとにした。「レディ・アリシアのエメラルド」。これぞヴァルモンものといいたくなる作品。結末が愉快である。
 ホームズパロディの掌編「シャーロー・コームズの冒険」「第二の分け前」。

 

 ロバート・バーといえば、江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』(創元推理文庫)に収められた「放心家組合」が最初に頭に浮かぶ。犯罪内容の面白さの方ばかり頭に残っており、そこに出ていたウジェーヌ・ヴァルモンについては全く覚えていなかった。とはいえ、本短編集が『クイーンの定員』に選ばれていたことは知っていた。国書刊行会からは『ウジェーヌ・ヴァルモンの勝利』というタイトルで2010年に邦訳されている。
 こうして改めてまとめて読むと、エルキュール・ポアロの原型とも言われたヴァルモンという人物の尊大な態度とは裏腹の失敗譚を楽しむ話だと思っていた。まあ確かにヴァルモンの一人称で進む物語は名探偵物のパロディとしか思えないのだが、実のところ、イギリスとフランスの違いを皮肉った風刺を楽しむ作品のように思えてきた。
 それでも「内反足の幽霊」のように粋な扱いをすることもあるから、吾輩という一人称で語られてもヴァルモンという人物が憎めない。「放心家組合」ばかりじゃないぞ、ということがわかったのは収穫であった。やはりクイーンの定員に選ばれるだけはある。
 個人的に好きなのは、「内反足の幽霊」「レディ・アリシアのエメラルド」。結局、犯罪の中で語られるロマンスが好きなんだな、私は。