平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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芦沢央『神の悪手』(新潮社)

神の悪手

神の悪手

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 26歳までにプロになれなければ退会――苛烈な競争が繰り広げられる棋士の養成機関・奨励会。 リーグ戦最終日前夜、岩城啓一の元に対局相手が訪ねてきて……。追い詰められた男が 将棋人生を賭けたアリバイ作りに挑む表題作ほか、運命に翻弄されながらも前に進もうとする人々の葛藤を、驚きの着想でミステリに昇華させた傑作短編集。(帯より引用)
 『小説新潮』『週刊新潮』に2020~2021年に掲載された5短編をまとめ、加筆修正のうえ、2021年5月、単行本刊行。

 

 2011年。石埜女流二段と一緒に、震災後の避難所で行われた将棋大会に参加した北村八段。優勝した11、12歳ぐらいの少年と二枚落ちの記念対局を行った。少年は駒の持ち方や挨拶こそできていないが定跡を知っており、北村八段は緩めずに進めるも終盤、上手である北村八段の王に七手詰めの局面を迎えた。しかし少年は別の手を刺し、局面は長引く。「弱い者」。これは傑作。全然想像もつかなかった展開。舞台や心理描写、そして将棋の使い方がうまい。
 2004年。17歳で三段になった岩城啓一だが、三段リーグはこの九期目もすでに昇段の眼はない。最終日は1局目に、リーグ1期目なのにトップで最終局を迎える17歳の宮内冬馬。2局目は暫定二位タイ、順位差で三番手の村尾康生だった。最終日の前日、岩城のところに村尾が訪れてきた。村尾は特例で奨励会に残ってきたが既に29歳、後がなかった。「神の悪手」。自らが意図しないアリバイを背景にした作品ではあるが、さすがに無理があると思う。それに、正直言って将棋を知らない人にはわかりにくい描写ではないだろうか。
 1998年。『詰将棋世界』に投稿されてきた14歳の園田光晴の作品は、単純な五手詰めで余詰めだらけであった。しかも作意は七手詰めとなっているが、まったく詰んでいない。投稿作の検討担当である常坂は、作意では詰まないこと、余詰めの手順を書いて送り返した。しかし園田少年は、基本ルールを無視した意味不明な手順の反論を送ってきた。その後、編集長の金城からある事を聞かされる。園田少年は、4年前に起きた大量の死体遺棄及び殺人事件が起きた「希望の村事件」の唯一の生存者だった。「ミイラ」。これは将棋を知らないと浮かばない発想ですね。何とも奇妙な、そして何とも哀しい作品。こんなのを、どうやって考え付くことができるのだろう。
 2018年。亀梅要は18年前の8歳の時、家族でドライブ中にトラックの横転事故に巻き込まれ、両親を亡くした。そして要は、目にしたものを正しく認識することができなくなった。祖父母に育てられ、18歳で祖父に続いてプロ棋士となった。そして数年が過ぎて迎えたタイトル戦。向島久幸は要の指し手の意味を必死に考える。「盤上の糸」。これはやや独りよがりな作品。アイディアにおぼれたかな。
 2019年。棋将戦七番勝負第二局。タイトル保持者の国芳は対局前日の検分で兼春、雅号春峯が作った駒を選んだ。喜ぶ兼春に、師匠の白峯は微笑みながら「恩返しだな」と声をかける。ところがその数分後、国芳は駒を戻し、改めて検分後、白峯の駒を選んだ。国芳はなぜ駒を選びなおしたのか。兼春は苦悩する。「恩返し」。

 

 将棋にまつわる5短編をまとめた一冊。「ミイラ」のインスピレーション、詰将棋作成は、詰将棋作家の若島正が、「弱い者」「神の悪手」「盤上の糸」は飯塚祐紀七段が監修と棋譜考案、「恩返し」は駒氏の掬水氏から助言、という風にそれぞれ専門家が関与している。他にも全編監修が朝日新聞の村瀬信也(将棋の担当記者)氏、また報知新聞の北野新太(将棋の担当記者)氏、AIについては安野貴博氏からも話を伺っている。
 よくぞこれだけ将棋を題材に、それぞれ毛色の違う作品を書くことができたものだという点については感心した。その分思い入れが強かったのか、わかりにくい表現、独りよがりな表現があるのは残念。題材の都合上、一人称視点で書くしかなかったのだろうが、それが感情の先走った書き方になった原因だと思う。出来不出来、というと言い過ぎなんだが、まとまり具合の善し悪しが見られた。個人的には「弱い者」が傑作、「ミイラ」が次点。「恩返し」はまあまあ、「盤上の糸」はやや独りよがり、「神の悪手」は無理筋。
 面白かったけれど、もう少し結末まで丁寧に描いてほしかったかな、と思う。前のめり過ぎ、先走り過ぎ。将棋で言うなら、指しすぎな作品集。ところどころで他の作品にも出てきた登場人物が出てくるなどの遊び心がもう少しあれば、なんて思ってしまう。直線的過ぎたかな。もう少し含みがあった方がよかった。