平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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平林初之輔『平林初之輔探偵小説選I』(論創社 論創ミステリ叢書1)

原田老教授は篠崎予審判事に、息子が殺人を犯したと自首したのは精神病にかかっているためだと訴える。篠崎は原田に、事件にはあいまいな点があると言って、状況を説明する。「予審調書」。平林の探偵小説の代表作。展開に無理があるような気もするが、当時の状況なら仕方のないところか。親子の情愛といった意外な面白さもある。

船の中で起こった惨劇の記事を、夕刊までに間に合わせなければいけない。競争相手である新聞記者の田中と里村は、港から郵便局へ駈け込んだ。「頭と足」。掌編ともいうべきものだが、ちょっとしたコントになっている。

事務員の今村謹太郎は、平凡ながらも一戸建てを夢みて暮らしていた。ところが会社からの帰り道、誰かに頭を殴られ、気絶。目が覚めたのは1時間後だった。ようやく家に着いた途端刑事に捕まった。会社で小使が殺害され、手袋がそばに落ちていたのだ。「犠牲者」。冤罪の恐怖を書いた社会派色の強い一編。この頃からこのような小説があったことに驚く。

4年前に行方不明となった恋人の浅田雪子から便りが届いた私は、日曜日、外出した妻のみな子に黙って雪子へ会いに横浜へ行った。ところが外出中、みな子らしき姿を見かける。もしかして後を付けているのでは。「秘密」。出だしからは予想もできなかったラストに驚くが、何もそこまで、とは思ってしまう。現代感覚からすると、ラストに首をひねる作品。

大宅三四郎は大学三年の時、カフェの女給だった朝吹光子と秘密裏に親しくなり、就職後はカフェを辞めた光子に毎月三十円を渡していた。二人は綺麗な関係であったが、許婚の嘉子は二人の仲を誤解していた。三四郎と嘉子は同棲していたが、今日の朝、光子の件で二人は喧嘩をし、嘉子は光子のところに行くと宣言していた。そして役所からの帰る途中で光子の家に行ったが、光子は殺されていた。「山吹町の殺人」。倒叙ものとみせかけて心理サスペンスに変わり、最後は名探偵によるアリバイ崩しという意外な作品。この時代に時刻表トリックが出て来るとは。心理描写面にもっと筆を割くことができれば、中編ぐらいには仕上がったかもしれない。そうすれば傑作になったかも。考えてみると、惜しい一作。

地蔵盆の京都の夜。二人の私服刑事は、強欲な金貸しの島田家から男が逃げ出したのを怪しんで入ってみると、島田が殴られ両手を縛られ、猿轡をはめられていた。金庫の中にあった証文は灰になっていた。そして娘が麻酔薬を嗅がされていた。警察の捜査中、「覆面の男」から犯行内容について書かれた手紙が速達で届く。「祭の夜」。背景の説明が不足しているので、わけがわからない。どんでん返しの結末も、本来なら有り得ないはず。

寒い朝、下田の妻は隣の柴田が門の前で死体となっているのを発見する。叫び声で気づいた下田、そして間借りしている安田も駆け付けた。細君は柴田の妻を家から呼び、隣の林夫妻も出てきた。柴田は2年前にこの家に来てから5度も細君を変えており、今の妻も「妻求」という新聞広告を見てきたものであり、虐待されていた。柴田は結婚詐欺師で、毎晩のように二課で賭博を開いていた。「誰が何故彼を殺したか」。迷宮入りした事件を、ある事件をきっかけに推理するもの。何ら証拠もない想像でしかないし、つまらない。

村木博士は動物実験で人工生殖の実験を成功させた。そして人間についても実験を始め、第二村木液に浸けた妊娠三ヶ月くらいの人造胎児が試験管の中にいると学会で報告する。「人造人間」。オチは見えているし、ネタもありきたりなものだが、時代を考えるとアイディアとしては早いほうか。意外な作者による古典SFと言えるかもしれない。

半年ほど前に会社を放り出され、下宿代すら払えなくなった私は、最後の十選を20年ぶりに訪れた上野動物園の入場料に代えた。近くに落ちていた動物にあげるはずのビスケットを拾って空腹をしのぐ。橋の真下に隠れ、夜になって出てきた私に、ピストルを持った男が声をかけた。「動物園の一夜」。意外な展開が待ち受けているのだが、前半のムードと比べると唐突過ぎ。

成金実業家の青木夫妻は、明日の園遊会を世間に吹聴させるため、金持ちばかりから宝石や貴金属を奪って慈善団体へ寄付するという、いつもおかめの仮面をかぶっていて話題の「仮面強盗」に扮することを計画する。一方、警視庁の芦田名探偵のところに亜細亜新聞の東山社会部長が訪れ、明日青木邸の園遊会に訪れるという予告状を持ってくる。「探偵戯曲 仮面の男」。ありきたりというか、つまらない戯曲。宝石の隠し場所も、普通ならもっと調べるだろうと言いたいところ。

鉄工だった船井三郎の死後1年経ってから手紙が届いた、不思議な物語。普通選挙による第一回の総選挙が行われた時、船井は某無産党から公認され、東京から立候補しようとしたが、戸籍抄本を取り寄せようとした郷里の役場から、船井は3日前に死亡したという驚きの通知が届いた。「私はかうして死んだ!」。動機としては面白いが、なぜ結末のような判断を取ったのか、そしてなぜ手紙を送ったのかが何も書かれていないので、不自然なままの話で終わっているのが残念。

妻が夫の書斎に入り、本を借りようとしたら、その本からオパール色の一通の封書が足元に落ちた。その手紙の送り主であるT子が、夫と通じ合っているというものだった。さらにオパール色の封書が届き、妻は思わず中身を見てしまう。「オパール色の手紙―ある女の日記―」。妻の日記形式で書かれた短編。よくある話かと思ったら続きがあり、全てが疑惑につつまれたままに終わっている。どちらかといえば、こういう話は苦手。あ、乱歩もよくこの手の話があったな。影響されているのか。

菅井博士の帰朝歓迎会で、あの人は私のテーブルの前に座った。会では何もしゃべらなかったが、帰り道が一緒になり、二人は名刺を交換する。いつしか二人は愛し合うが、あの人には妻も子供もいた。私は舞台で、カルメンを演じる。「華やかな罪過」。『朝日』に掲載され、ヒロインの行動の是非と、自分ならどうするかという二点について、読者の意見を求める懸賞が掛けられたが、回答18,234通のうち是が9,198通、非が9,026通と僅差だった。恋愛小説であり、探偵小説ではない。

遠藤博士は、妊娠中に夫人が思想や徳行の勘かを受けると、それが胎児に影響して精神のみならず容貌や肉体上の特質まで似てくるという「胎教」についての新学説を発表した。もちろん、専門家から見たらあり得ない話。新聞記者の私は、博士がなぜこのような出鱈目な学説を言いだしたのか、調べることとした。「或る探訪記者の話」。特ダネが悲劇をもたらした話。どちらかといえば今向きな話で、この時代にマスコミに対する批判的な視線を向けていたことには感心する。

2003年10月刊行。



プロレタリア文学の理論家であったが、関東大震災後は民衆不在であったと反省し、大衆文学に活路を求めたという平林初之輔。その過程で、探偵小説の批評と実作に手を染めるようになった。本作品集は1926年に書かれた探偵小説デビュー作「予審調書」から1929年までに書かれた作品のうち、連作『五階の窓』第2回と、長編『悪魔の戯れ』を除いた短編すべてが収録されている。

「健全派」「不健全派」の名前を提唱した平林。後の「本格」「変格」という概念を日本探偵小説界にもたらしたことで有名な平林だが、今まで探偵小説評論は余技と見られていたが、近年は積極的な意味を見出そうとする論文があるとのこと。そして創作はさらに余技と見られており、「予審調書」を除くといくつかの短編がアンソロジーに編まれているに過ぎない。
帯に「本格派探偵小説の先駆!」と書かれているが、残念ながら「本格」と思われる作品は「山吹町の殺人」と、広義的に「予審調書」ぐらいしかない。そしてまた、改めてこれは、と思わせる作品もない。せいぜい「人造人間」が、日本の古典SFと思わせるぐらいだ。これでは創作が余技だったと思われても仕方がないし、今まで纏められてこなかったのも当然と言える内容である。

厚さのわりに活字が大きいからスカスカ読めるが、内容も今一つ。まあ、こんな作品もあったよ、程度の一冊である。