平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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ミステリー文学資料館編『江戸川乱歩と13人の新青年 〈論理派〉編』(光文社文庫)

江戸川乱歩と13人の新青年 〈論理派〉編 (光文社文庫)
 

 この雑誌の歴史は即ち日本探偵小説の歴史である――江戸川乱歩がこう言い切ったのは、一九二〇年創刊の「新青年」だ。一九三五年、その乱歩が長文の評論「日本の探偵小説」を発表した時、各作家の代表作として挙げられていたのは、ほとんどが「新青年」に発表の作品だった。乱歩の目にかなった、「新青年」の新たな傑作集の一冊目は、〈論理派〉編である。(粗筋紹介より引用)
 甲賀三郎「ニッケルの文鎮」、海野十三「爬虫館事件」、小栗虫太郎「聖アレキセイ寺院の惨劇」、大阪圭吉「石塀幽霊」、木々高太郎「網膜脈視症」、石浜金作「変化する陳述」、小酒井不木「痴人の復讐」、米田三星「蜘蛛」、浜尾四郎「彼が殺したか」、山本禾太郎「開鎖を命ぜられた妖怪館」、羽志主水「監獄部屋」、平林初之輔「予審調書」、角田喜久雄「現場不在証明」を収録。江戸川乱歩の評論「日本の探偵小説」における解説と作家紹介の項目を適宜引用。2008年1月、刊行。

 

 解説の山前譲曰く、乱歩「日本の探偵小説」における各作家の評価を基に編んだアンソロジー。〈論理派〉というのは当時の江戸川乱歩が「日本の探偵小説」の中で探偵小説家を分けた分類の一つである。〈論理派〉はまたは「科学派」でもあり、外の如何なる形式よりも理知探偵小説への執着の一層強い作家たち。一方の〈文学派〉は、論理よりも何かしら芸術的なものへの憧れの強い人々、彼等の嗜好は「探偵」よりは「犯罪」、「論理」よりは「感情」、「正常」よりは「異常」に傾き、その作品も怪奇、幻想の文学が大多数を占めているような作家群、とある。さらに〈論理派〉は「理化学的探偵小説」「心理的探偵小説」「医学的探偵小説」「法律的探偵小説」「社会的探偵小説」「その他の理知的探偵小説」に細分化され、〈文学派〉は「情操派」「怪奇派」「幻想派」に細分化される。違和感のあるセレクトである石浜金作「変化する陳述」と米田三星「蜘蛛」は「医学的探偵小説」、羽志主水「監獄部屋」は「社会的探偵小説」という乱歩の分類になる。
 光文社文庫の他のアンソロジーとは被らないようにセレクトされているとはいえ、ほとんどが各作者の有名作・代表作ということもあり、他のアンソロジーや作者自身の傑作選などで読んだものばかり。中身を忘れていたものがあっても、読み始めるとほとんどは結構思い出したので、意外と記憶力あるじゃないか、などと思ってしまったり。個人的に好きなのは小酒井不木「痴人の復讐」(これは本当に怖い)、羽志主水「監獄部屋」(これはプロレタリア文学としても傑作じゃないのかな。プロレタリア文学、ほとんど読んだことないけれど)。
 『新青年』の果たした役割、などといった観点から読もうとすると、ちょっと薄い内容。あくまで江戸川乱歩の当時の探偵小説の視点、という観点で読むべきアンソロジー。まあ、昔の『新青年』関連のアンソロジーを持っている人に入らないだろうけれど。

 

 昔から『13の密室』『13の暗号』みたいに「13」の数字がアンソロジーに使われることがあるけれど、やっぱり忌み数だからかな。