平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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西村望『蜃気楼』(徳間文庫)

蜃気楼 (徳間文庫)

蜃気楼 (徳間文庫)

昭和42年6月、暴風に見舞われた大阪郊外の街で警邏中の巡査が刺殺された。府警あげての大捜査網にもかかわらず、強盗・強姦、そして殺人事件が17件も連発する。

昭和46年11月、犯人逆木は広島県警によって逮捕された。が、事件は終結したわけではない。取調べる者、取調べられる者の虚々実々のかけひきが始まり、前代未聞の大事件も白昼夢に終ろうとしていた……。

大阪府警の必死の捜査を描く犯罪小説。(粗筋紹介より引用)
1978年5月に立風書房から『鬼畜』でデビューした西村望が、『水の縄』(1978年10月)に続いて1979年5月に書き下ろしたノンフィクション・ノベル第3弾。1982年5月、徳間文庫化。



タイトルの「蜃気楼」は、犯人が目の前に見えていても捕まえることができない状態を表したものだろう。これを読む限りではあるが、若い逆木がここまでのらりくらりと警察の追求をかわしていく姿は、読んでいて本当にじれったくなる。こういうのを見ると、思わず力を使って自供させてしまいたくなる気持ちもわからないではない。もちろん暴力を使うなんてもってのほかなのだが。

最初の部分は巡査殺害の捜査であるが、これは全く手掛かりのないまま時間ばかりがすぎていく。それから場面は変わり連続強姦事件の捜査となるのだが、被害者への取り調べが中心であり、似たような内容の繰り返しなので、読んでいても面白くない。どこまで脚色されているかは知らないとはいえ、被害者には申し訳ない話であるが、小説として退屈なことは事実。中盤以降は逆木の取り調べが中心であるが、先に書いたとおりこれがじれったいし、話が全然進まないので苛々してくる。これがノンフィクション・ノベルであり、「大阪府警の必死の捜査を描いた」という作品だから仕方がないのだろうが、フラストレーションが溜まる一方であった。

さらに言えば、捜査陣内部での不協和音などもこれまた丁寧に描かれており、読んでいて腹が立ってくる。刑事ドラマなどのような一体感を求めるなんて無理なのはわかっているのだが。

いずれにしろ、これが現実だ、と言われてしまうと納得するしかない。ただ、小説にするには少々不向きだった気もする。



本書で述べられている事件の犯人・逆木信行のモデルは、「西の大久保(清)」と書かれたこともあるA・Hである。ただし、逆木信行(ここからはこの名前に統一する)の犯行は大久保清とは内容が全く異なる。

本書に書かれている内容だけとしても、大阪、兵庫、奈良などで良家に侵入し、家に居る20〜60歳代の主婦や女中を強姦し、金銭を強奪するという強盗強姦を繰り返している。強盗に入った家に居た女性だったら無差別に強姦しており、そこに女性の好みというものが全く存在しない。だからといって女性に対する恨み等があるとも思えないし、性欲が強い様子も見られない。この本からは、なぜ逆木が女性を強姦し続けたのかはさっぱりわからないのは残念だ。

逆木はその後、谷山巡査殺しで起訴されるのだが、そのことについては小説では書かれていない。もっとも小説の前半で、巡査殺しの裁判の大詰めの状況が描かれる。老弁護士は情状酌量をもらう作戦か、傍聴席にいる巡査の両親に詫びるよう促すも、逆木は拒否。しかも逆木は悪いことをしたとは思わない、と言い切り、弁護士からも呆れられてしまうありさまだった。裁判官も「人間らしい気持になったらどうかね」と注意されるも逆木は「なめたことをいわんといてもらいたいな。人間らしい気持とはどういうことや。あんあたはちゃんとした学校出とるかもしらんが、わしは中学校しか出とらんのや。中学校しか出とらんもんに、人間らしい気持やなんやいう曖昧な言葉を使われても理解に苦しむだけや。だいたいあんたの識はいつも的がはずれとるわ」と噛みついたのだ。この本を書きおろした1979年5月だったら、すでに判決は出ているだろう。もしかしたら確定しているかもしれない。せめてそれぐらい、あとがきでもいいから書いてほしかった。

警官殺しだから、無期懲役であってもおかしくないと思ったのだが、よく考えると巡査殺害事件の時はまだ未成年であった可能性が高い。せいぜい懲役15年程度だったのだろうか。

なお逆木は他に7件の殺人事件を自供しているのだが、証拠不十分ということもあり起訴されていない。捜査本部の感触では、そのうち3件については逆木の犯行という心証だったが、残り4件はガセとのことである。