- 作者: 吉永春子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/03
- メディア: 単行本
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裁判では有罪、死刑判決を受け、執行されることなく獄死した平沢貞通が犯人ではないだろうということは、すでにほとんどの方が確信している“事実”だろう。ただし、数々の証拠を突きつけられても、法務省も裁判所もいまだにその“事実”を認めようとしないが。
作者はTBS報道部に勤めていた1963年頃、デスクに呼ばれ「帝銀事件など戦後の三大事件の調査をやってみないか」と言われたことから、帝銀事件の調査に係わるようになる。
もっとも最初は違った。資料を調べてみても、作者はこの事件にドラマ性を感じなかった。そんな彼女の一言はデスクに罵声を浴びる結果となる。
「ドラマ性がない。単なる毒殺事件。えらそうな口をきくな。小一時間で何がわかったのだ」
作者は顔を上げることが出来なかった。
確かに報道に携わる人の発言としては不用意な一言である。しかし、我々も同じような愚を犯しているのではないだろうか。新聞記事をちょっと呼んだだけで、評論家気取りに事件の背景を蕩々としゃべり、犯人を罵倒する。のちにその犯人が無罪となったら、今度は警察を罵倒するのみ。
もちろん、我々はただの一市民だから、固いことを言う必要はないかもしれない。しかし、そのような不用意な考えが多数組合わさり、勝手な世論を形成しているという事実は忘れては行けない。
以後取材を続けるうちに、この事件における「毒」の謎について示唆を受けることになる。そして田所氏の尽力により、毒は「シアン配糖体」と「酵素」の組み合わせであることを「発見」する。
正直なことを言ってしまえば、作者である吉永春子は、取材こそやっていたものの、肝心の毒物に関する追求についてはほとんど人任せだったという印象しか受けない。その点が、この本における欠点だと思われる。
もちろん、専門的な毒物の研究を、一ジャーナリストが行うことなど不可能である。とはいえ、毒物に絡んだ事件の背景等をもっと掘り下げることは出来なかったのだろうか、という疑問が湧いてくるのも事実である。
戦後すぐの事件であり、真実を追い求めるのは難しいことだろう。しかし、帝銀事件の「毒」そのものに着目したという意味では高い評価が与えられても良いと思う。