平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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金井貴一『毒殺―小説・帝銀事件』(廣済堂出版)

毒殺―小説・帝銀事件

毒殺―小説・帝銀事件

昭和23年1月、東京の帝国銀行椎名町支店で惨劇は起きた。行員たち十六名が、「GHQの命令で消毒に来た」という男に青酸性と思われる毒物を飲まされ、次々と倒れていった。警視庁は捜査員一万五千人以上という未曾有の体制で犯人の手掛かりを追う。一方、事件を知って顔色を変えた男がいた。彼は戦時中、満州七三一部隊に送り込まれ、細菌研究に従事していたが、毒物の種類、それを飲ませる手口などに共通点を感じたのだ。捜査の手はやがて、彼の周辺にも及ぶ。戦争のために別れたままになっている恋人を探すため、北日本へ向かう男は、容疑者として追われる。しかし、捜査の方向はGHQ関係からと思われる圧力によって奇妙にねじ曲げられ、真相はより深い闇の中へと―。昭和史に新たな光を当てる長篇本格推理。(「BOOK」データベースより引用)

1999年3月、書き下ろし刊行。



戦後の混乱期に起きた帝銀事件であるが、毒物の知識がない平沢貞道が犯人であると信じているのが世の中に一体何人いるのだろうか。予防薬と偽って自らが実演してみせ、行員たちに毒物を飲ませる手際の良さなどから、毒物の知識があるものが犯人であると当時から言われていたにも関わらず、GHQによる旧陸軍関係への捜査中止が命じられたことからしても、旧陸軍731部隊関係者などが関わっていた可能性は高いと思われる。

帝銀事件については真犯人像やその背景、さらには毒物についてなど、様々な観点から語られることが多い。必然的に、それに関するノンフィクション、研究書は多い。それと同時に、この事件を取り扱ったミステリも存在する。本書もそんな一冊である。

昭和22年10月、偽名を名乗り、八木桐子とともに満州から引き揚げてきた小原沢誠次と酒木善信。小原沢は故郷の能登に戻るも、小原沢は敵前逃亡を企て射殺されたことになっていた。そして非国民の母親と村中から後ろ指を指された母親は自殺していた。結婚する予定だった木次綾子の兄はマルキストということで拷問され、家族は家に火をつけて心中。そして綾子は結核で入院し、そのまま行方不明になっていた。綾子の消息を追い、綾子の両親の骨をひきとった左翼の活動家を探すために東京へ来る小原沢。東京で酒木と再会するも、戦犯指定されていると聞き、担ぎ屋をしながら息をひそめて生きていた。酒木も小原沢も、関東軍防疫給水部隊、別名満州七三一部隊に所属していた。何をする部隊なのか知らないまま、医師の手伝いをしていたというだけで配属されたものだった。

目白署刑事課の若狭武史警部補は帝銀事件の一報を聞き、現場に駆けつけると、既に現場は消防署員や近所の人物に踏み荒らされた状態だった。事件はそのまま検察庁が捜査を引き受ける。若狭が手掛けたGHQ方面への捜査は上からストップがかかった。警視庁捜査二課の成岡智郎警部補は帝銀事件の捜査本部に入り、捜査会議で軍の関係者が犯人ではないかと意見を出すも誰も取り上げようとしなかった。しかし藤村刑事部長は極秘で七三一部隊方面を捜査してほしいと命令する。



作者はあとがきでこのように書いている。「戦後日本の基盤をつくって来たのは、果たして日本人だったのかという、素朴で大きな疑問です」。戦後日本の形が日本人の意思で掴み取ったのではなく、何者かの意思が介在していたのではないか、今の日本という国は、砂土に組み上げられた楼閣のような危うさがあるのではないか、と。そんな疑問への答えを、昭和二十年代前半に起きたいくつかの不可解な事件が用意してくれているような気がする、ということで書かれた作品の一つが本書である。

とはいえ、本書の書き方をされると、今の日本の形成にアメリカが大きくかかわっていたとしか読めないのだが、何をいまさらという気がしなくもない。アメリカが大きくかかわらなければ、日本は再生できなかったのだから。



本書では七三一部隊、そしてGHQ帝銀事件に関わってきたという形になっており、戦争や事件という運命に巻き込まれた一人の男が追われながらも恋人の姿を求めて逃避行を続けるというストーリーとなっている。

犯人とされた平沢貞道の実名が出てくるなど、事実と虚実がないまぜとなっているが、それは作者の狙いとのこと。それだったらもう少しノンフィクションで書かれた疑問点を表に出してもよかったと思うのだが、それはドラマに不要と作者が判断したのだろう。結局メロドラマに近い仕上がりになっており、最初からそう思って読む分にはまあまあ楽しめるが、事件の重さ、そして小説の長さの割には小説の重みには欠けているだろう。



何といっても本書の不満は終わり方。小原沢側のドラマはまだしも、追う刑事側はいったい何をやっているのだろうと聞きたいところ。ここまで真相に迫りながらも、その後の平沢の逮捕には何ら関与していないのだ。エピローグの意気込みが、その後に全く関与してこない。この乖離が、最後のがっかりした読後感につながっている。

結局、脚本家による映像映えするドラマの盛り上がりしか考えなかった、そんな作品に終わっているのが残念。帝銀事件GHQ七三一部隊の関与なんてありふれた材料だし、もう少し新しい何かを見せてほしかった。