平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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笹本稜平『駐在刑事』(講談社)

駐在刑事

駐在刑事

殺人事件の取調中に容疑者の女性が自殺したことで、警視庁捜査一課から青梅警察署水根駐在所所長へ左遷させられた江波淳史。組織に縛られ、駆け抜けてきた結末による挫折と自責の呪縛。傷だらけだった江波は、地元住民の暖かさと、奥多摩の自然によって少しずつ癒されていく。

山から落ちて死んでいたのは、旦那の借金を背負わされてしまった女性。事故死か、自殺か、他殺か。江波が山中で出逢った若い女性は、山岳ガイドとして女性と親しく付き合っていた。「終わりのない悲鳴」。

小学5年生の真紀が江波に、島本画伯の様子がおかしいと訴えてきた。真紀とともに島本画伯の家に行ってみたら、島本画伯の姿はなく、血痕が残っていた。「血痕とタブロー」。

山で知り合った矢島遼子の父親が行方不明になった。老人性鬱病俳諧癖のある父親が発見されたのは、ワサビ田がある小屋の中だった。隣には若い男の死体。そして手に持っているのは血痕の付いたスコップだった。「風光る」。

池原孝夫とともに槍ヶ岳北鎌尾根を縦走する池波。途中で一緒になったのは中学二年生の少年。家出をしてきた彼はなぜ登頂にこだわるのか。「秋のトリコロール」。

真紀とクラスメイトが拾ってきた犬。プールと名付けたその犬はとても賢かった。ところがそのプールが男に浚われた。浚った男が乗っていた車は、前科二犯の暴力団員の持ち物だった。遼子が写真で見つけたプールの持ち主は、殺人事件の被害者だった。「茶色い放物線」。

トンネルで故障したまま放置されていた車の持ち主は、青梅に住む大学助教授。先日買い物に出かけたおりに盗まれていた。車に乗っていた7歳の息子とともに。「春嵐が去って」。

 冒険小説の旗手が挑んだ異色の山岳警察小説。2004年〜2006年、「小説現代」に掲載された六編を収録。



笹本稜平の新刊は、前作『マングースの尻尾』に続く連作短編集。2004年に『太平洋の薔薇』で大藪春彦章を受賞した前後から、原稿依頼が多くなったと考えればよいのだろうか。『極点飛行』も連載だったし、取材が必要と思われる分野ばかりなのに、よくぞこれだけの量を書き続けられたものだと感心してしまう。

本作は、作者にしては珍しい山岳警察小説。人との触れあいと捜査が中心となっているが、サントリーミステリー大賞受賞作『時の渚』も私立探偵小説だったし、こちらの方面の作品を不得手としているわけではないようだ。逆の言い方をすれば、フィールドが広いということである。頼もしい。

本短編集は、心に深い傷を負った江波が山や人を通して少しずつ癒される姿が描かれている。もちろん警察小説なのだから、事件も起きる。人との暖かい触れあいがどれだけ素晴らしいものなのか。自然とはなんと厳しく、美しいものなのか。事件の捜査を通しながら、江波は少しずつ人の心を取り戻していく。定型かもしれないが、短編を一つ読み終わる事に、感動がゆっくりと心に染みていく。

警察小説であるから、もちろん事件があり、謎があり、そして解決がある。現場に残された意外な証拠から、江波は鮮やかに事件の謎を解き明かす。特に「秋のトリコロール」では、「日常の謎」もので時々見られる”とんでもはっぷん連想ゲーム”みたいな推理に驚かされる(念のために書くが、本作品が本格ミステリであるとはこれっぽちも思っていない)。

作者にしてみれば新境地といったところか。新しいジャンルを開拓できたようだ。続編を楽しみにしたいシリーズである。

個人的には今年の収穫の一つであるし、ベスト10に入れたいぐらいだが、インパクトに欠けるので、多分年末のベストには選ばれないだろうな。