平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

ポール・ケイン『七つの裏切り』(扶桑社海外文庫)

 レイモンド・チャンドラーが「ウルトラ・ハードボイルド」と評した幻の作家の代表作7編を収録した傑作集。町なかで別人と間違われて呼び止められた男。そのまま倒れこんでしまった相手を助けてタクシーに乗せたものの、彼はすでに絶命していた。こうして町の裏世界に関わることになった男は、驚くべき行動に出る……強剛な文体とスピーディな展開、複雑なプロットと鮮烈な謎解き。1930年代、伝説の雑誌「ブラック・マスク」を飾るも早々に姿を消したポール・ケイン、復活。(粗筋紹介より引用)
 日本オリジナル短編集。2022年12月刊行。

 セント・ポールから来たばかりのブラックに、男はマッケアリーと呼び掛けた。ブラックは男を連れてタクシーに乗ったが、男はそのまま死んだ。ブラックはタクシーの運転手に命じ、玉突き屋のベン・マッケアリーへ会いに行く。「名前はブラック」。
 シェインはクラブ「71」で経営者のリガスに会った。幼馴染で好きなロレインがリガスと結婚したので、シェインはこの店に援助をした。リガスは告げる。ロレインと離婚したと。ホテルに戻ったシェインの部屋を、ロレインが訪れた。「“71”クラブ」。
 おれがドアをノックすると、ベラが出迎えた。バスルームにはガス・シェイファーがいた。そしてキッチンのベンチでは、一人の男が死んでいた。「パーラー・トリック」。
 おれはケベックの鉄道会社から15万ドル近くをだまし取ったヒーリーを、ネヴァダ州カリエンテのカード・ゲームの店で見つけた。ホテルを突き止め部屋を借り、どう接触しようかと思っていたら、ヒーリーが部屋を訪ねてきて、追いかけてきた女房から逃げるため、ロスアンジェルスまで乗せてほしいと頼んできた。了承した俺は車で待っていたが、荷物を取りに行ったまま戻ってこないヒーリーを捜しに行くと、ヒーリーは部屋で殺されていた。「ワン、ツー、スリー」。
 カルヴァー・シティ近くの有名キャバレー「ホットスポット」の個室にマシンガンを持った4人の男が侵入し、デトロイトのギャング一味の男2人を殺害した。それから約1か月、個室に同席していた者や廊下にいた者のうち2人が殺された。元スタントマンで無職のドゥーリンは、個室に居た大金持ちの遊び人、ネルスン・ハロランの屋敷へ行き、雇ってほしいとお願いする。「青の殺人」。
 百万長者ハナンの妻、キャサリンが運転する車がいきなり銃撃された。拳銃強盗の様だが、キャサリンは無事だった。キャサリンはギャンブル好きで、クランダルから68,000ドルを借りていた。それを返すために手を組み、キャサリンの家に伝わるルビー、ビジョン・ブラッドのアクセサリーセットの保険金13万5千ドルを騙し取った。クランダルはルビーのセットをキャサリンに返したが、それは模造品だった。ドルーズは揉め事を解決する依頼を引き受ける。「鳩の血」。
 トニー・マスキオの散髪屋で爆破事件が発生した。ニューヨーク市警九分署の記者室に居たセント・ニックことニコラス・グリーンは、スター・テレグラム紙の事件記者ブロンディー・ケスラーと一緒に事件現場へ向かう。「パイナップルが爆発」。

「ウルトラ・ハードボイルド文体のある種の頂点」(レイモンド・チャンドラー)、「ハードボイルド作家の中で最もハードな作家」(ビル・プロンジーニ)と評したポール・ケイン。ハリウッドで映画関係の仕事に就き、ピーター・ルーリック名義で『黒猫』(1934)等の脚本を執筆。1932年からポール・ケイン名義で「ブラック・マスク」誌に短編を書き続けるも、1936年には同誌を去った。その後は各地を転々とし、1966年に死亡。
 『ブラック・マスクの世界』(国書刊行会)に長編『裏切りの街』が分載されていたことは知っているが、手元にあるもののまだ読んでいない。河出文庫で出版されているとは知らなかった。そんな幻のハードボイルド作家の短編集。
 もう読むのが大変。言葉が極限まで削り落とされている。内容を理解するのが大変なのに、展開はスピーディーで、しかも人間関係や物語が複雑。普通に説明文を書いていたら、この2倍、3倍になるんじゃないかと言いたくなる内容である。1920~1933年の禁酒法時代を舞台としているのに、古臭さを全く感じないのは、この文体のおかげだろう。
 先に書いたとおり、人間関係や物語が複雑で、真相も意外なものが用意されている。とにかく感情がどこにもない。ただただ、事象が流れていく。それも早送りじゃないかというぐらいの速さで。ハードボイルドを極限まで追い求めると、ポール・ケインに辿り着くのでは、と言いたくなる。チャンドラーが“ウルトラ”とまで形容する気持ちがよくわかる。
 個人的な好みでベストは「名前はブラック」「青の殺人」。それにしても、20~30ページの短編を読むのにここまで疲れたのは、初めてだった。

フレデリック・フォーサイス『ネゴシエイター』上下(角川文庫)

 石油資源は確実にあと数年で枯渇する────モスクワとヒューストンで、二人の男がその不吉な予見に怯えていた。
 彼らの不安に追い打ちをかけるのが米ソの大幅な兵器削減条約であった。もし批准されれば軍と産業界の一部にとって痛烈な打撃となる。
 二人の男、ソ連国防軍参謀長と、テキサスの石油王は、それぞれ独自の方法でひそかに行動を開始した。
 その頃、合衆国大統領子息が何者かに拉致されるという事件が発生した。
 モスクワとヒューストンで芽生えた陰謀が、スペインの田舎町に引退したはずの交渉人を人質解放の任務へ引き戻すこととなる。(上巻粗筋紹介より引用)
 アメリカ兵器産業界の大物と石油王による陰謀が始動した。サウジアラビアの王政転覆、そして米大統領の政権追い落としが狙いである。大統領の子息誘拐事件はその発端に過ぎなかった。米英両国の危機管理体制も、周到な誘拐犯にただ翻弄されるのみ。その背後にひそむ真の意図に気づいた者は皆無だった。
 交渉人クインは、混迷する人質救出作戦に秘術を尽くし、ついに突破口をひらいた。そのとき、まったく意外な悲劇が発生する────。
 常に世界のエンターテインメント界をリードしてきた巨匠、フォーサイスが、綿密な取材を基に書きあげたベストセラー長編。(下巻粗筋紹介より引用)
 1989年5月、日・英・米同時発売。日本では角川書店より刊行。1991年3月、角川文庫化。

 フォーサイスの大ベストセラー作品。オックスフォードに留学しているアメリカ大統領の一人息子が誘拐されるというショッキングな作品。元ロイズ系列会社で交渉人の仕事をしていたクインが、犯人たちとの交渉に当たる。
 綿密な取材と構想力による物語の巧さはさすが。エンターテイメントとしては十分に楽しめる。ただ、黒幕こそ表に出てこないものの、事件を起こした背景などはほぼ最初から出ている。そのため、事件を企んだのは誰かというサスペンス要素が全くなく、迫力に欠けるのは残念。それに、クインが犯人を探し当てるのがスムーズすぎるのも引っ掛かる。アメリカ政府にも、誰がリークしたかぐらい調べろよと言いたい。
 フォーサイスの過去の作品と比べると、エンタメに軸を寄せすぎた感はある。面白かったことは面白かったのだが。

吉田修一『怒り』上下(中公文庫)

 若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。犯人は山神一也、二十七歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。そして事件から一年後の夏――。房総の港町で働く槇洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母と暮らす小宮山泉の前に、身元不詳の三人の男が現れた。(上巻粗筋紹介より引用)
 山神一也は整形手術を受け逃亡している、と警察は発表した。洋平は一緒に働く田代が偽名だと知り、優馬は同居を始めた直人が女といるところを目撃し、泉は気に掛けていた田中が住む無人島であるものを見てしまう。日常をともに過ごす相手に対し芽生える疑い。三人のなかに、山神はいるのか? 犯人を追う刑事が見た衝撃の結末とは!(下巻粗筋紹介より引用)
 『読売新聞』朝刊に2012年10月29日~2013年10月19日連載。加筆修正のうえ、2014年1月、中央公論新社より単行本刊行。2016年1月、文庫化。

 殺人事件を起こし、整形して逃亡した犯人。一方、房総、東京、沖縄の離島でそれぞれが出会う前歴不詳の3人の男。3人の中に犯人はいるのか。
 作者の吉田修一が、市川市英国人女性英会話講師殺人事件にヒントを得て執筆した作品。事件名を言ってもピンと来ないかもしれないが、犯人の市橋達也という名前を聞くとアッと言う人もいるだろう。
 読んでいるときは面白かった。誰が犯人なのかという興味もあるが、それぞれの舞台で繰り広げられる人間ドラマも面白かった。山神を追いかける八王子警察署の南條邦久警部補と北見壮介巡査部長も興味深い。それなのに、なんなんですか、この結末は。
 一つ一つの物語は面白かったのに、結局バラバラなまま終わっちゃう。まあ、これでそれぞれが繋がったら却ってわざとらしいけれど。最後、何もわからないまま終わっているのは、読者が想像してくださいってことだろうか。北見と恋人の話っていったい何だったんだ。
 申し訳ないけれど、このもやもやを与えた作者に「怒り」を感じてしまう。物語を思い出すたびに感じるこの不満、やってられない。

[本][感想]デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』(ハヤカワ文庫NV)

「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父レフの戦時中の体験を取材していた。ナチス包囲下のレニングラードに暮らしていた十七歳のレフは、軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された。饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索を始めることになるが、飢餓のさなか、いったいどこに卵が? 逆境に抗って逞しく生きる若者達の友情と冒険を描く、傑作長篇。(粗筋紹介より引用)
 2008年、アメリカで発表。2010年8月、ハヤカワ・ポケット・ミステリより邦訳刊行。2011年12月、文庫化。

 作者はニューヨーク生まれ。ベニオフは母親の旧姓。用心棒や教師、アイルランド留学、ラジオDJを経て、記事や短編を雑誌に寄稿。2001年、処女作『25時』を発表。自身の脚本で翌年に映画化されている。現在は脚本家、プロデューサーとして活躍。本作品は短編集『『99999(ナインズ)』』に次ぐ三作目。プロローグで作者らしき人物が女優と付き合っていると話しているが、実際にアマンダ・ピートと結婚している。
 主人公はレフ(リョーヴァ)・アブラモヴィッチ・ベニオフで、レニングラードに住む17歳の青年。本作品はデイヴィッドらしき人物が、戦争当時の祖父レフの話を聞くという形で始まっている。ある夜、撃墜されて落下傘で落ちてきた死んでいるドイツ兵の備品を近所の仲間たちと漁っていたレフは、ソ連の警護兵に捕まる。処刑されるかと思ったら、拘置所にいた脱走兵のニコライ(コーリャ)・アレクサンドロヴィッチ・ヴラゾフとともに秘密警察のグレチコ大佐のもとに連れていかれ、娘の結婚式のためのウェディングケーキを作るため、1週間以内に1ダースの卵を調達してこいと命じられる。しかし飢えに苦しむレニングラードのどこに卵があるのか。レフトニコライの卵探しが始まる。
 レニングラード包囲戦という過酷な戦況の中でも、17歳の青年らしく女の子のことばかりを考えたり、同年代のレフたちとやり取りしたりする姿はどことなくユーモラス。彼ら若者たちの明るさと、時に見せる影、そしてあまりにも悲惨すぎる周囲。明るさと暗さのコントラストが高すぎることが、余計に戦争の残酷さと虚しさを浮かび上がらせる。それでも暗くならずに済むのは、キャラクターの面白さと作者の筆力だろう。
 若者の冒険らしく、いつしかボーイミーツガールの要素が加わっていく展開は秀逸。最後の畳みかけは見事というしかない。特にラスト一行にはしびれた。映像化しても、印象的なラストシーンとなるだろう。
 50万部突破したベストセラーとのことだが、それも当然だろうと思われる傑作。原題は"CITY OF THIEVES"なのだが、この邦題も素晴らしい。

犯罪の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html
無期懲役判決リスト 2024年度」に2件追加。「各地裁別最新死刑・無期懲役判決」を更新。「求刑死刑・判決無期懲役」に2件追加。

 

 出張が長引いて、全然更新できませんでした。疲れた……。

貴志祐介『兎は薄氷に駆ける』(毎日新聞出版)

 ある嵐の晩、資産家男性が自宅で命を落とす。死因は愛車のエンジンの不完全燃焼による一酸化炭素中毒。容疑者として浮かんだ被害者の甥、日高英之の自白で事件は解決に向かうと思われたが、それは15年前の殺人事件に端を発する壮大な復讐劇の始まりだった。“犯罪者”を執念深く追い詰める警察・検察、英行を献身的に支える本郷弁護士、その依頼で事件調査を始めた元リストラ請負人の垂水、恋人の無実を信じて待つ千春。それぞれの思惑が絡み合い、事件は意外な方向に二転三転していく……。(帯より引用)
 『毎日新聞』夕刊2022年7月9日~2023年8月16日連載。加筆修正のうえ、2024年3月、単行本刊行。

 貴志祐介の新作は、冤罪問題を取り扱った社会派ミステリ。ストーリーは帯に書いている通り。警察の訊問に耐えかねて自白した日高英之だったが、送検された後の石川宏之検事の取り調べでは無罪を主張。そして裁判員裁判は、無罪を主張する英之、それを弁護する本郷、そして有罪を主張する石川検事との間の論戦となった。
 本は厚いが、1ページ当たりの文字数は若干少ないので、あっという間に読み終わってしまった。さすが貴志祐介、読み易さ抜群。と思いながらも、若干趣向はあるもののありきたりな冤罪もの(冤罪の定義は色々あるけれど、一般的な意味でこう書かせてもらおう)なのかな、などと読み進めていたら、最後にやられた。これはうまいわ。タイトルのつけ方も含め、見事。ストーリーにあまり触れられないからうまく伝えられないけれど、読み終わってとても満足した。
 ただ、わかりやすい展開ではあると思う。多分、勘のいい人なら、結末までの流れを大方予想できるのではないだろうか。私はそれを含めて十分に面白かったけれど、物足りないという人がいてもおかしくはない。
 気になったのは、マスコミの動きが鈍いこと。もっともっと騒いでいるだろうし、そもそも取材に動いている人も多いのではないだろうか。それと、無罪を主張する事件の割には、裁判員裁判が始まるのが早く感じた。こういうケースがある確率はゼロじゃないから、ただの難癖かも知れないが。警察の描き方が間抜けすぎる部分は、昨今の冤罪事件の捜査状況を見ると、仕方がないか。
 帯にある「稀代のストーリーテラー」にふさわしい作品。この重いテーマを、ここまで滑らかな筆運びができるのは、作者ならではだろう。ただ帯にある「これぞ現日本の“リアルホラー”」は完全な勇み足。「ホラー」なんて書くと、勘違いする人が結構出そうだけどな。現状では今年のベスト10候補だと思う。