平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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[本][感想]デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』(ハヤカワ文庫NV)

「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父レフの戦時中の体験を取材していた。ナチス包囲下のレニングラードに暮らしていた十七歳のレフは、軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された。饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索を始めることになるが、飢餓のさなか、いったいどこに卵が? 逆境に抗って逞しく生きる若者達の友情と冒険を描く、傑作長篇。(粗筋紹介より引用)
 2008年、アメリカで発表。2010年8月、ハヤカワ・ポケット・ミステリより邦訳刊行。2011年12月、文庫化。

 作者はニューヨーク生まれ。ベニオフは母親の旧姓。用心棒や教師、アイルランド留学、ラジオDJを経て、記事や短編を雑誌に寄稿。2001年、処女作『25時』を発表。自身の脚本で翌年に映画化されている。現在は脚本家、プロデューサーとして活躍。本作品は短編集『『99999(ナインズ)』』に次ぐ三作目。プロローグで作者らしき人物が女優と付き合っていると話しているが、実際にアマンダ・ピートと結婚している。
 主人公はレフ(リョーヴァ)・アブラモヴィッチ・ベニオフで、レニングラードに住む17歳の青年。本作品はデイヴィッドらしき人物が、戦争当時の祖父レフの話を聞くという形で始まっている。ある夜、撃墜されて落下傘で落ちてきた死んでいるドイツ兵の備品を近所の仲間たちと漁っていたレフは、ソ連の警護兵に捕まる。処刑されるかと思ったら、拘置所にいた脱走兵のニコライ(コーリャ)・アレクサンドロヴィッチ・ヴラゾフとともに秘密警察のグレチコ大佐のもとに連れていかれ、娘の結婚式のためのウェディングケーキを作るため、1週間以内に1ダースの卵を調達してこいと命じられる。しかし飢えに苦しむレニングラードのどこに卵があるのか。レフトニコライの卵探しが始まる。
 レニングラード包囲戦という過酷な戦況の中でも、17歳の青年らしく女の子のことばかりを考えたり、同年代のレフたちとやり取りしたりする姿はどことなくユーモラス。彼ら若者たちの明るさと、時に見せる影、そしてあまりにも悲惨すぎる周囲。明るさと暗さのコントラストが高すぎることが、余計に戦争の残酷さと虚しさを浮かび上がらせる。それでも暗くならずに済むのは、キャラクターの面白さと作者の筆力だろう。
 若者の冒険らしく、いつしかボーイミーツガールの要素が加わっていく展開は秀逸。最後の畳みかけは見事というしかない。特にラスト一行にはしびれた。映像化しても、印象的なラストシーンとなるだろう。
 50万部突破したベストセラーとのことだが、それも当然だろうと思われる傑作。原題は"CITY OF THIEVES"なのだが、この邦題も素晴らしい。

貴志祐介『兎は薄氷に駆ける』(毎日新聞出版)

 ある嵐の晩、資産家男性が自宅で命を落とす。死因は愛車のエンジンの不完全燃焼による一酸化炭素中毒。容疑者として浮かんだ被害者の甥、日高英之の自白で事件は解決に向かうと思われたが、それは15年前の殺人事件に端を発する壮大な復讐劇の始まりだった。“犯罪者”を執念深く追い詰める警察・検察、英行を献身的に支える本郷弁護士、その依頼で事件調査を始めた元リストラ請負人の垂水、恋人の無実を信じて待つ千春。それぞれの思惑が絡み合い、事件は意外な方向に二転三転していく……。(帯より引用)
 『毎日新聞』夕刊2022年7月9日~2023年8月16日連載。加筆修正のうえ、2024年3月、単行本刊行。

 貴志祐介の新作は、冤罪問題を取り扱った社会派ミステリ。ストーリーは帯に書いている通り。警察の訊問に耐えかねて自白した日高英之だったが、送検された後の石川宏之検事の取り調べでは無罪を主張。そして裁判員裁判は、無罪を主張する英之、それを弁護する本郷、そして有罪を主張する石川検事との間の論戦となった。
 本は厚いが、1ページ当たりの文字数は若干少ないので、あっという間に読み終わってしまった。さすが貴志祐介、読み易さ抜群。と思いながらも、若干趣向はあるもののありきたりな冤罪もの(冤罪の定義は色々あるけれど、一般的な意味でこう書かせてもらおう)なのかな、などと読み進めていたら、最後にやられた。これはうまいわ。タイトルのつけ方も含め、見事。ストーリーにあまり触れられないからうまく伝えられないけれど、読み終わってとても満足した。
 ただ、わかりやすい展開ではあると思う。多分、勘のいい人なら、結末までの流れを大方予想できるのではないだろうか。私はそれを含めて十分に面白かったけれど、物足りないという人がいてもおかしくはない。
 気になったのは、マスコミの動きが鈍いこと。もっともっと騒いでいるだろうし、そもそも取材に動いている人も多いのではないだろうか。それと、無罪を主張する事件の割には、裁判員裁判が始まるのが早く感じた。こういうケースがある確率はゼロじゃないから、ただの難癖かも知れないが。警察の描き方が間抜けすぎる部分は、昨今の冤罪事件の捜査状況を見ると、仕方がないか。
 帯にある「稀代のストーリーテラー」にふさわしい作品。この重いテーマを、ここまで滑らかな筆運びができるのは、作者ならではだろう。ただ帯にある「これぞ現日本の“リアルホラー”」は完全な勇み足。「ホラー」なんて書くと、勘違いする人が結構出そうだけどな。現状では今年のベスト10候補だと思う。

芦辺拓・江戸川乱歩『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』(KADOKAWA)

 あの中絶作を書き継ぎ完結させる! そして物語はさらなる仕掛けへ…
 江戸川乱歩昭和8年鳴り物入りで連載開始した「悪霊」は、傑作となるはずだった。謎めいた犯罪記録の手紙を著者らしき人物が手に入れ、そこで語られるのは、美しき未亡人が異様な血痕をまとった遺体で発見された密室殺人、現場で見つかった不可解な記号、怪しげな人物ばかりの降霊会の集い、そして「又一人美しい人が死ぬ」という予告……。期待満載で幕を開けたこの作品はしかし、乱歩の「作者としての無力を告白」した宣言で途絶した。
 本書は、乱歩がぶちあげた謎を全て解き明かすと同時に、なぜ「悪霊」が未完になったかをも構築する超弩級ミステリである。(帯より引用)
 江戸川乱歩が『新青年』1933年11月号~1934年1月号に連載した「悪霊」の第一回から第三回、および1934年4月号掲載「「悪霊」についてお詫び」に、芦辺拓が書下ろし原稿を追加し創作。2024年1月、刊行。

 江戸川乱歩が初めて長編本格探偵小説に挑みながらも、構想が固まらないまま出版社の要請に応じて見切り発車して行き詰まり、わずか三回の連載で中絶してしまった「悪霊」。横溝正史が犯人をばらしてしまったものの、密室殺人のトリックや記号の謎はそのままとなっていたこともあり、完結が待たれていた。かつて土屋隆夫が続編を構想したものの、出版が困難と断念したと言われている。そんな作品にあの芦辺拓が挑戦した。
 まず「悪霊」の伏線と思われる部分をほぼ回収し、結末をつけたところは凄い。犯人にしても、定説から踏み出したのはさすがと言えよう(新保博久の「あんな誰でも真相を知っている小説の結末を今さら付けるんですか」という言葉に触発されたんだろうなあ)。この点は、裏返しトリックを多用した乱歩らしさをうまく継承したと思っている。
 さらに乱歩が連載から逃がれて滞在した「張ホテル」を重要な舞台として登場させ、さらになぜ乱歩が「悪霊」を中絶したのかまでに踏み込み、「悪霊」にリンクさせたところは喝采を挙げたくなった。
 ただ、第四回連載で舞台を移し、迷宮パノラマ館などが出てくるところは、個人的には勇み足だと思った。今までの不気味な雰囲気がかえって台無しになっている。これが乱歩作品で初めての舞台というのならまだしも、『パノラマ島奇談』などの舞台の焼き直しにしかなっておらず、乱歩が自作解説で「また私の悪い趣味が出てしまった」と嘆きそうな内容になっている。
 趣向としては凄いと思うし、成功していると思う。ただ、物語として読むとどうか。申し訳ないけれど、面白くない。テクニックと比べて、ストーリーが追い付いていない。乱歩流の今までの味付けを排除しようとした作品、それが「悪霊」だったのではないだろうか。そう思い込んでいるので、乱歩らしさにあふれている本作は違うのではないか、そう思ってしまうのである。
 ただ、江戸川乱歩は長編本格探偵小説を書けない人、というのが私の認識である。戦後に挑戦した『化人幻戯』も結局は別方向に走ってしまった。「悪霊」も結末まで書かれていると、実は大したことがなかったのかもしれない。
 テクニックは素晴らしい。ただ、ストーリーは今一つ。それが私の本作に対する評価。だいたい、90年も昔の本格探偵小説に、今さら面白さと驚きを求めることが間違っていた。

神保喜利彦『東京漫才全史』(筑摩書房 筑摩選書)

 現在も人気のある日本の伝統的芸能「漫才」には「お笑い論」の書籍は数多く存在するが、「漫才」の、特に東京を地盤とした漫才の歴史に関する書籍は数少ない。この「東京漫才」に焦点を当て、漫才の源流にまで遡り、「東京漫才の元祖は誰か?」、「しゃべくり漫才流入と定着」、「戦後東京漫才の御三家」、「東京漫才専門寄席」、「MANZAIブームの功罪」、「爆笑問題、ナイツの活躍」等をテーマに、その発生と栄枯盛衰を、通説の誤解を正しつつ記した、画期的な「東京漫才」通史。(粗筋紹介より引用)
【目次】
序章 「漫才」以前
第一章 東京に漫才がやってきた
第二章 生まれる東京漫才
第三章 戦前の黄金時代
第四章 戦争と東京漫才
第五章 焼け跡から立ち上がる
第六章 東京漫才の隆盛
第七章 MANZAIブームと東京漫才
終章 新しい東京漫才の形

 漫才師研究家として活躍している神保喜利彦が、満を持してまとめたと言っていい東京漫才の全史。明治の東京漫才のはじまりから、黄金時代、戦後の東京漫才隆盛、MANZAIブーム下の衰退、その後の隆盛ぶりなどを一冊にまとめている。
 今までの通説と言われていたものを検証し、残されている資料を一つ一つ当たり、ご存命の関係者から証言を取りつつ、これだけの歴史をまとめたのは凄いの一言に尽きる。写真などの史料価値も非常に高い。
 そして凄いのが、当時の漫才師たちがどのようなネタをやっていたかについてまで書かれていること。どのように調べたのだろう。どれぐらい時間がかかったのだろう。ただ好きなだけではできないだろう。まさに執念を感じる。
 労作、という言葉がピッタリくる一冊。「漫才」の歴史を語るのであれば、まずはこの本に目を通すこと。そう言い切っていいだろう。何度でも読み返したい本だ。別の形で第二弾、第三弾と研究・調査結果を出してほしいものである。

阿津川辰海『黄土館の殺人』(講談社タイガ)

 殺人を企む一人の男が、土砂崩れを前に途方にくれた。復讐相手の住む荒土館が地震で孤立して、犯行が不可能となったからだ。そのとき土砂の向こうから女の声がした。声は、交換殺人を申し入れてきた――。同じころ、大学生になった僕は、旅行先で「名探偵」の葛城と引き離され、荒土館に滞在することになる。孤高の芸術一家を襲う連続殺人。葛城はいない。僕は惨劇を生き残れるか。(粗筋紹介より引用)
 2024年2月、書下ろし刊行。

 大晦日の夕方、小笠原恒治は、絵画、彫刻、建築の世界的アーティスト、土塔(どとう)雷蔵を殺すため、O県の山奥にある荒土館(こうどかん)に向かっていた。ところが地震による土砂崩れのため、一つしかない道はふさがってしまった。そのとき、土砂の向こうから交換殺人を申し入れる女の声が。小笠原は小さな集落の旅館の若女将、満島蛍を殺害するため、地震からの避難という名目で宿泊する。しかし「名探偵」葛城輝義に邪魔をされまくる。
 土塔雷蔵の長男・黄来と婚約した飛鳥井光流の助けに応じ、荒土館へ向かった葛城輝義、田所信哉、三谷緑郎の三人。ところが地震に伴う土砂崩れで、田所と三谷は葛城と分断されてしまった。孤立した荒土館で連続殺人事件が発生する。
 <館四重奏>シリーズ(と言う名前がついていたことを初めて知った)第三弾。クローズド・サークルと化した館を、「地水火風」の四元素になぞらえて形成するシリーズであるそうだ。
 『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』から三年経ち、葛城、田所、三谷は大学三年生。大学は別々だが、関係性は相も変わらず。第一部は小笠原視点による旅館「いおり庵」パート。第二部は田所視点による黄土館パート。第三部は謎解きパートとなる。
 前振りは第一部で、メインとなるのは第二部なのだが、読み進めても全然面白くならない。特に第二部はこれでもかとばかりの連続殺人が起きるのだが、機械トリックがメインで、しかも仕掛けばかりが大きくて肝心の中身が伴っていない。そもそもこの舞台にリアリティがなくて実現性に乏しい点も問題。電気引っ張るのも大変だろうし、メンテナンスも大変だっただろうな、などと考えてしまう。それにしても、謎が解き明かされても驚きがまったく生じない見掛け倒し感はどうにかならなかったのか。
 それに犯人が誰かが見え見えなのもどうなんだろう。もう一人か二人、容疑者ぐらい準備できだだろうに。おまけに動機にも説得力がない。過去二作は、この点だけは一応準備していたのにと思うと、今まで以上にがっかり感が大きい。舞台装置だけ大掛かりなわりにちゃちで、謎解きの部分に全く注意を払っていない印象を与えてしまう。
 結局作者が描きたかったのは葛城、田所、光流の関係性なんだろう。シリーズを起承転結で例えれば、まさに「転」の物語。作品自体が転んでしまっている気もするが、次がシリーズ最後だろうし、そこまで付き合おう。

犯罪の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html

「ノンフィクションで見る戦後犯罪史」を更新。

9か月ぶりの更新。最近手付かずだったが、桐島容疑者の件はさすがに更新しておこうと思った。書類送検されるまで待っていましたが。