平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

ルース・ホワイト『ベルおばさんが消えた朝』(徳間書店)

 十月のある朝、ベルおばさんは姿を消した。明け方、寝床を出ると、そのままぷっつりと行方がわからなくなったのだ。
 それから半年、うちの隣にあるおじいちゃんの家に、ベルおばさんの息子、いとこのウッドローがひきとられてきた。わたしと同じ十二歳。ウッドローは、おもしろいお話をたくさんきかせてくれるし、人の心の動きにも敏感な、ふしぎな魅力をもつ男の子だった。ウッドローなら、ベルおばさんが消えた謎について、なにか知っているのかもしれない……。
 かわいらしい顔立ちと長くのばした美しい髪のせいで、本当の自分をわかってもらえないと苦しむ、父親を亡くした少女と、母親失踪の秘密を胸に抱く少年。ふたりの友情を軸に、それぞれが心に負った傷をいやしていくさまを繊細に描いたニューベリー賞オナーブック。五〇年代アメリカの山間の小さな町を舞台にした感動的な物語。(粗筋紹介より引用)
 1996年発表。2009年3月、邦訳単行本刊行。

 

 羽生飛鳥がインタビューの中でマイベストミステリ海外部門としてタイトルを挙げていたので、興味を持って購入。しかし読むのは買ってから1年後(苦笑)。
 作者のルース・ホワイトは、バージニア州生まれ。学校教師、学校図書館員を経て、公共図書館に勤務。他の著書に『スイート川の日々』がある。
 舞台は作者の生まれと同じバージニア州のアパラチア地方。主人公の少女はジプシー。幼いころに父親のエイモスを亡くし、母親ラブの再婚相手のポーターのことは気に入らずに無視している。母親の妹、ベルが1953年10月のある日曜日、山の上にある小さな谷の家の寝床を早朝五時に出たまま行方が分からなくなった。部屋を出たときは靴を履いておらず、着ていたのも薄い寝間着だけ。昼間着る服と靴は全部、いつもの場所に置いたまま。山の捜索は行われたが誰も見つからず、町を寝間着とはだしで歩いていた人も見つからなかった。家の周りに不審な足跡もないし、夫で炭鉱夫のエヴェレットも、屋根裏部屋で寝ていた息子のウッドローも、不審な物音を聞かなかった。
 冒頭から不思議な謎が提供されるも、その後はジプシーの家の隣に住む祖父母の家に引き取られたウッドローとの交流に重点が置かれる。やはり児童小説なのだな、と思いながら読んでいた。確かに12歳のころの少女は多感な時期で、まだまだ子供でありながら、大人の階段へのステップに躊躇するところもある。ウッドローも母親失踪という心に傷を負っている。ある意味無邪気、ある意味残酷な子供たちの世界の、成長物語であった。アパラチア地方の舞台もふんだんに盛り込まれ、当時のアメリカの地方の風景が見事に切り取られた作品である。
 最後におばさん失踪の謎も解かれるが、ある重大な事実が隠されていることもあり、さすがに本格ミステリというには躊躇される。しかし、ミステリへの目覚めという意味では面白い。
 とまあ、結局ミステリファンの目線で読んでしまったが、小中学生が読む分には十分面白いんじゃないかな。

羽生飛鳥『揺籃の都』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

 治承四年(一一八〇年)。平清盛は、高倉上皇や平家一門の反対を押し切って、京から福原への遷都を強行する。清盛の息子たち、宗盛・知盛・重衡は父親に富士川の戦いでの大敗を報告し、都を京へ戻すよう説得しようと清盛邸を訪れるが、その夜、邸で怪事件が続発する。清盛の寝所から平家を守護する刀が消え、「化鳥を目撃した」という物の怪騒ぎが起き、翌日には平家にとって不吉な夢を喧伝していた青侍が、ばらばらに切断された屍で発見されたのだ。邸に泊まっていた清盛の異母弟・平頼盛は、甥たちから源頼朝との内通を疑われながらも、事件解決に乗り出すが……。第四回細谷正充賞を受賞した話題作『蝶として死す』に続く、長編歴史ミステリ―。(粗筋紹介より引用)
 2022年6月、書下ろし刊行。

 

 前作『蝶として死す』でスマッシュ・ヒットを飛ばした作者の、初の長編ミステリ。前作と同様、平清盛の異母弟であり、父忠盛の正室の子である平頼盛が主人公である。
 前作が第四回細谷正充賞を受賞としたとあるが、聞いたことがなかったのでどんな賞かと調べてみると、一般社団法人文人墨客が主催で、前年の9月からその年の8月に刊行された本を対象に、文芸評論家の細谷正充が選んだ5作品が対象とのこと。申し訳ないが、初めて聞いた。
 平清盛が福原に遷都していた時期の話。粗筋紹介に書かれている事件に加え、清盛の飼い猿である福丸が殴り殺される、さらに消えた守護刀の小長刀を取り上げた神から返してもらうべく、祈祷所で祈っていた七歳の小内侍が翌朝、逆さ吊りにされて重体となる事件も発生。なぜか祈祷所からは頼盛が使う香の匂いが濃厚に残っていた。しかし、小内侍が吊るされたと思われる時間帯は、頼盛は甥の宗盛・知盛・重衡と祈祷所の前で食事をしながら出てくるのを待っていたし、その後は寝所にいて部屋を出なかったのは、警護をしていた蝙蝠衆が確認している。祈祷所の周りの雪には足跡一つなく、さらに警護隊も見張っていた。そして祈祷所の扉には、清盛が書いて封をした札が貼られたままになっていた。
 複雑怪奇、さらに不可能犯罪が同時かつ立て続けに発生。話し合いや調査によってそれぞれの行動や持ち物を覚書に書き記す、本格ミステリ特有の事件のまとめ書きも使われる。トリックそのものは既存の応用であるが、平安時代という舞台ならではの脚色が、読者の目くらましとなっている。それぞれの会話や覚書の中に、謎を解く重要な手掛かりが隠されている、フェアプレイに徹した謎解き。さらに頼盛と知盛との推理合戦。これでもかというばかりの、本格ミステリのガジェットがそろっている。そして元々清盛に疎んじられていることに加え、挙兵した源頼朝と繋がっているのではないかと一門から疑われている四面楚歌の状況で、一つ間違えれば清盛たちに犯人との濡れ衣を着せられるタイムリミットサスペンスの面白さも加わっている。
 さらに、史実が物語の中に絶妙に織り込まれている。家来も含めた実在の登場人物に加え、厳島大明神の小長刀(宝刀)といった小道具、さらに知盛が「万死に一生」の重病となったことや重衡が琵琶を弾くなど、当時の日記や歴史書、軍記物語に書かれているエピソードも巧みに盛り込まれている。在学中は日本中世史を専攻し、平頼盛を研究対象にしていたという作者でなければ、ここまで書けなかったであろう。清盛たちはこういう人物だったのだろう、と読者に納得させてしまう人物描写も見事。私たちが頭の中に浮かべている人物像に、作者の知識に基づいた創造部分が巧みにブレンドされているところが凄い。そして、歴史ミステリならではの面白さも控えているのだ。よくぞここまで考え抜いたものだ。文体が軽いという人がいるかもしれないが、これはあえて読みやすくした結果だろう。
 前作で完結している平頼盛を主人公にしたということでそれほど期待はしていなかったが、良い意味で裏切られた。あえて書かなかったところも含め、歴史ミステリと本格ミステリが濃厚にブレンドされた傑作。今年のミステリベスト候補間違いなし。

佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)

 メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へ向かった。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年、土方コシモは、バルミロに見いだされ、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく。海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国(アステカ)の恐るべき神の影がちらつく。人間は暴力から逃れられるのか。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。(帯より引用)
 『カドブン・ノベル』2020年12月号に第一部掲載。第二部以降を書き下ろし、2021年2月、単行本刊行。同年、第34回山本周五郎賞受賞、第165回直木賞受賞。W受賞は2004年、熊谷達也『邂逅の森』(文藝春秋)以来17年ぶり。

 

 分厚くてなかなか手に取る勇気がなかったのだが、遠方出張が入ったので新幹線の中で読もうと発奮。
 主人公って誰なんだろう。メインとなるのは次の二人。メキシコからの密入航者の母と暴力団幹部の父を持つ少年、土方コシモ。メキシコの麻薬密売のカルテル、ロス・カサソラスの幹部で、他組織につぶされて復讐を誓うカサソラ四兄弟の三男バルミロ・カサソラ。他にもカサソラ四兄弟の祖母で、アステカの儀式が受け継がれた村育ちのリベルタ。元天才心臓血管外科医で、新たな臓器ビジネスのアイデアを持っている末永充嗣。ドラッグ中毒の元保育士、宇野矢鈴。ペルー人の父と日本人の母を持つナイフ作りの天才、座並パブロ。個性的な人物たちが次々と登場する。
 これらの登場人物の経歴が時には手短に、時には生から詳細に書かれて平行に進むものだから、いったい何が軸になっているのかわからないまま、ページが進んでいく。圧倒されてしまう暴力とドラッグの渦。それでも目を離すことができない魅力が物語から生まれてくる。
 メキシコから逃れたバルミロが新たな臓器ビジネスに乗り出すまでの過程については、所々で簡単すぎるぐらいの文章で流される部分があるので、実際にここまでスムーズに進むとは思えない。だけど読んでいる分には、そんなことはどうでもいいのだ、というぐらいに面白い。ただし、人によっては冗長と感じる部分があるのも事実で、これは好みだろうと思う。
 タイトルの“テスカトリポカ”とは、永遠の若さを生き、すべての闇を映しだして支配する、「煙を吐く鏡」という神である。アステカ文明・神話と現代が絡み合う暗黒物語。ただ、結末に至る流れは、思っていたストーリーと違う残念な方向だった。今まで積み重ねてきたものは何だったのか、と言いたくなるのだが、文明の終わりって考えてみるとこんなものだよな。そういう歴史的事実をあえて現代に投影したのかもしれない。
 もうちょっと暴走癖を押さえてもらえると、もっと面白くなるんだよな、と思いながらも、この行き過ぎたストーリーこそが作者の魅力なんだろうと感じてしまう。読者を選ぶ作品ではあるが、楽しめて満足。

早見和真『イノセント・デイズ』(新潮文庫)

 田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪により、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人など彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がる世論の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士は再審を求めて奔走するが、彼女は……筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 2014年8月、新潮社より単行本刊行。2015年、日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。2017年3月、文庫化。

 

 死刑囚を扱ったものなのでいつかは読みたいと思っていたのだが、今までなんとなく気が乗らなかった。時間ができたので、手に取ってみた。
 死刑囚となった田中幸乃に生まれから関わった人物を各章に配置し、幸乃がどういう人物だったかを少しずつ明らかにしていく。元恋人の妻と双子の子供を放火で殺害した罪で死刑判決が確定したというのだから非常に残酷な人間のように思えるが、過去に関わった人物たちの見る目線は異なる。死刑囚の実際が、マスコミによって植え付けられたイメージとは実際には異なる、というのは実際にも出てくる話。幸乃の体質の点、そして生まれと育ちから持ち合わせた性格の点は本作品ならではの部分なのかもしれないが、これだって強者に従順で損をする犯罪者というのがよくある話なので、それほど惹かれるものはなかった。結末に向かって徐々に明らかになっていく事件の真相についてもよくあるパターンだと思った。
 リーダビリティはあると思ったが、新味は感じられなかった。まあ、人って自分のこと以外については身勝手なんだな、と自分の反省も振り返りつつ思った次第。それだけかな。

多岐川恭『氷柱』(創元推理文庫)

《氷柱》紅塵を離れて雁立市の一角に三万坪の居を構える風変わりな男“氷柱”。ある日遭遇した少女の轢き逃げ事件を契機に、彼自身をも途惑わせる情熱の赴くまま、権勢を振りかざし私曲に走る街の巨悪を懲らすべく、策動が始まった――。
《おやじに捧げる葬送曲》元刑事の青砥五郎を「おやじさん」と慕い、入院先へ再々やってくる探偵社の調査員「おれ」こと白須健一。おやじさんの求めに応じ十億円の宝石強盗や宝石商殺しについて話していくと、次第に事件の全貌が見えてくる。意思疎通は時に困難を極めつつ、ベッド・ディテクティヴは永眠の日まで。(粗筋紹介より引用)
 『氷柱』は1958年6月、河出書房新社より書下ろし刊行。『おやじに捧げる葬送曲』は1984年11月、講談社ノベルスより書下ろし刊行。本書は2001年2月、刊行。

 

 『氷柱』は多岐川恭の第一長編。河出書房が1956年、『探偵小説名作全集』の別巻として書下ろし公募したときの次席入選作品である。この時の第一席入選作品は仁木悦子『猫は知っていた』である。しかし河出書房が1957年に倒産したため、出版されることはなかった。『猫は知っていた』は江戸川乱歩賞に回され、1957年に第3回江戸川乱歩賞を受賞する。本書は1958年に再建された河出書房新社より刊行された。同年、『濡れた心』で第4回江戸川乱歩賞を受賞するのも、作者の実力を示したものであろう。
 感じの冷たい男という意味で「氷柱」とあだ名される主人公が、少女の轢き逃げ事件を発端に、街の巨悪を懲らすために立ち上がるのだが、単純なクライムストーリーかと思いきや、最後まで仕掛けが施されていることに感心。技巧派の片鱗がデビューのころからうかがえる。ただ、結末には賛否両論がありそう。これが次席止まりだった理由だろうか。読者としては主人公が冷たくても、中身はもう少し熱いものが欲しかった。
 『おやじに捧げる葬送曲』は江戸川乱歩賞が30回を数えた記念として、講談社ノベルスから出版された乱歩賞作家のオール書き下ろし長編企画「乱歩賞SPECIAL」の一冊。しばらく時代小説が中心だった多岐川恭が、久しぶりにミステリに戻ってきた全力投入作品ということで結構騒がれていたと思うのだが、解説の川出正樹によると、「当時ほとんど話題になることもなく」とある。新保博久戸川昌子『火の接吻』とともに協会賞候補に挙げていた記憶があるのだが、違っただろうか。この乱歩賞SPECIAL、他にも『チョコレートゲーム』『ダビデの星の暗号』『倫敦暗殺塔』といった力作があった。
 見舞客の「おれ」が、ベッドに寝ていて余命わずかな「おやじさん」に宝石強盗事件や宝石商殺人の話をするうちに、「おやじさん」の「推理」によって事件の全貌が徐々に明らかになるという、究極のベッド・ディテクディヴミステリである。「おやじさん」はもうほとんど会話ができないこともあり、「おれ」の一人称ですべての話が進んでいく内容になっている。この見舞客の「おれ」が全てを語っているわけではない、というところにミソがあり、全容が複雑になっている。これだけのベテランになっても、新しいものを生み出そうとする執念には恐れ入る。一人で語る形式になっていることもあり、やや間延びしてしまったところがあるのは否定できないが、最後まで読み通すと作者の狙いのすべてが明らかになり、驚くこと間違いなし。まあもっと驚いたのは、この作品が本書に収められるまで文庫化されていなかったということなのだが。
 出版社があえて第一長編と最晩年の長編をカップリングしたのは、さすがというべきか。チャレンジし続けた作者を知るのにふさわしい一冊となった。