平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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アンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』(創元推理文庫)

 ロンドンはテムズ川沿いの閑静な高級住宅地リヴァービュー・クロースで、金融業界のやり手がクロスボウの矢を喉に突き立てられて殺された。紋と塀で外部と隔てられた、昔の英国の村を思わせる敷地のなかで6軒の家の住人たちが穏やかに暮らす――この理想的な環境を、新参者の被害者は騒音やプール建設計画などで乱していた。我慢を重ねてきた住人全員が同じ動機を持っているこの難事件に、警察から招聘された探偵ホーソーンは……。あらゆる期待を超えつづける〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ第5弾!(粗筋紹介より引用)
 2024年4月、イギリスで発表。〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ第5作。2024年9月、邦訳刊行。

 まさか出版されてから数か月で邦訳が出るとは思わなかった。ただ前作『ナイフをひねれば』が期待ほどではなかった分、本作がどうなるかとても心配だったが、杞憂であった。
 第一部を読み始めると、まさかの三人称視点。過去四作がホロヴィッツの一人称視点だったため、そこにびっくり。しかもコージー・ミステリのような舞台で、舞台設定と登場人物の説明、そして小さな社会における異分子に対する不満が延々と語られる。作中でホーソーンが愚痴るように、「読者もさすがにうんざり」してしまう退屈さだ。とにかく第二部が始まるまでは我慢して読むこと。そこから面白くなる。
 第二部でホロヴィッツの一人称視点によるホーソーンホロヴィッツのやり取りが始まり、2019年現在より5年前、2014年の事件が舞台だということがわかる。この頃のホーソーンは、ジョン・ダドリーを助手としていた。初めて出てくる人物に興味津々のホロヴィッツ。一方ホーソーンはこの作品を小説化することに躊躇するようになっていく。
 ということで、事件と現在が交互に語られていく。作者の執筆状況と並行するので、作中作が入ったメタミステリのような奇妙な感覚に捉われた。ホーソーンの過去がわかるかもしれないと、事件の5年後にいるホロヴィッツは登場人物たちのその後を追うのだ。
 事件自体はそれほど面白いものではない。特に二番目のガレージでの密室は、つまらないと切り捨ててもいいものだ。とにかく本作の面白さは、過去と現在が交差するところ。シリーズ全体の謎であるホーソーンの正体と目的が横軸であり、ホーソーンが遭遇した事件の謎を解くのが縦軸。解説の古山裕樹も同様のことを書いているが、シリーズ全体の謎がここまで事件と絡み合うのは本作が初めてだ。それが本作に深みを与えてくれる。事件自体のフーダニットはそれほど面白くないが、登場人物をめぐる謎が抜群に巧い。そして、ホーソーンの過去が少しずつ明らかになるにつれ、謎が深まっていくというのはシリーズのお約束とはいえさすがだ。それにしても、なぜホーソーンはこの事件の資料をホロヴィッツに渡したのか。本作最大の謎は語られなかったな
 個人的に横軸の真実は、ツンデレホーソーンとストーカー・ホロヴィッツの鬼ごっこという気がしなくもないけれどね。そして縦軸は、作者であるホロヴィッツ自身が面白いと思っている本格ミステリの舞台を毎回移殖しているのだと思う。作中で『斜め屋敷の殺人』や『本陣殺人事件』にも言及されているので、いつか日本屋敷を舞台にしたミステリを書いてくれると信じている。
 この作品単独で読んだ場合は、今一つだと思う。ただ、シリーズの折り返し地点として読むと、非常に面白い秀作。さすがホロヴィッツと言っていいだろう。次作がまた楽しみになってきた。