平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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柴田哲孝『下山事件 最後の証言 完全版』(祥伝社文庫)

 「私の祖父は、実行犯なのか?」昭和二四年七月六日、初代国鉄総裁下山貞則が轢死体で発見された。戦後史最大の謎「下山事件」である。戦時中は陸軍、戦後はGHQの特務機関員だった祖父。彼が在籍した「亜細亜産業」に蝟集する政財界人、日米諜報員の実態を親族、特務機関長の生々しい証言をもとに暴く第一級のドキュメント。新たな取材、情報を加筆した完全版!(粗筋紹介より引用)
 2005年7月、祥伝社より単行本刊行。2016年、日本推理作家協会賞(評論その他の部門)と日本冒険小説協会大賞(評論・実録部門賞)を受賞。2007年7月、大幅に加筆修正のうえ、文庫化。

 

 1999年の夏、『週刊朝日』8月20日・27日合併号に掲載された「下山事件国鉄総裁怪死)謀殺説に新事実」という記事が載った。この記事の中で、フリージャーナリストの森達也は「彼」と称する人物の証言を元に、「彼」の祖父とある組織の代表者「Y氏」が事件の実行犯であるとほのめかしながら、同様の記事を計五回にわたり同誌に連載した。
 この記事を書くきっかけとなったのは以下のエピソードである。
 1986年、「彼」の祖父の十七回忌が済んだ後、酔いが回ったのか、祖父の妹に当たる大叔母が「彼」につぶやいた。「そういえば、おまえのおじいさん、下山事件の関係していたんだよ」。
 連載後の2002年12月、『週刊朝日』の連載に協力した社員記者の諸永裕司は、『葬られた夏―追跡・下山事件』を朝日新聞社より発表した。そして2004年2月、森達也は『下山事件』を出版。内容のほとんどは『葬られた夏』と重複するが、「Y氏」について矢板(やいた)玄(くろし)と暴露している。
 『週刊朝日』の連載から森達也の出版の経緯に至るまでは、森達也下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮文庫)に詳しい。事件の真相に迫る苦闘と、テレビや出版社の商業主義に翻弄される姿と、事件を追いきれない言い訳を、WETな文章で飾り立てた一冊である。
 この「彼」が柴田哲孝である。ジャーナリストであった柴田が今まで下山事件について語らなかった理由は、血族が当事者であったからである。

 

 下山事件について知らない人はいないだろう。その死が自殺か他殺か長い間議論され、いまだに決着せず、そして平成の時代に時が変わっても未だに出版されている。
 本書は祖父をはじめとする親族が事件に関わっていたという柴田哲孝が、遺された資料や証言を元に、下山事件の真相を追うノンフィクションである。哲孝の祖父、柴田宏(ゆたか)は実行犯なのか。大叔母が漏らした言葉をきっかけに、柴田哲孝下山事件の謎に挑む。そして大叔母が勤務していたという亜細亜産業、さらに社長だった矢板玄に迫り、インタビューを試みる。

 

 下山事件の謎を追うことが、戦後日本政治・経済の闇の部分に繋がっていく。占領者であるアメリカの意思に逆らえない日本。しかしアメリカも一枚岩ではなく、様々な思惑が交錯する。
 この真実に迫る過程が実に面白い。たとえ想像が混じっていたとしても、一級のドキュメントである。特に、歴史の表舞台に出てこない重要人物、矢板玄へのインタビューは圧巻である。この部分だけでも、この本を読む価値はある(もちろん、他の部分も価値はあるが)。
 証言が主となっているので、この著書の結末が下山事件の「真相」である保証はない。ただ、矢田喜美雄『謀殺 下山事件』、斎藤茂男『夢追い人よ 齊藤茂雄取材ノートI』、諸永裕司『葬られた夏』、松本清張『日本の黒い霧』、春名幹男『秘密のファイル CIAの対日工作』を初めとし、膨大な下山事件研究本、週刊誌などの資料を用いつつ、柴田本人でなければ迫ることのできなかった様々な証言、インタビューの成果をまとめた本書は、今後下山事件を語るうえで外せない一冊である。
 下山事件に興味がない人でも、戦後の日本の裏歴史という捉え方で読んでみても面白い一冊である。ノンフィクションの傑作であることに間違いはない。