平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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笹倉明『推定有罪』(岩波現代文庫)

推定有罪 (岩波現代文庫)

推定有罪 (岩波現代文庫)

労働者の街(横浜)で起きた殺人事件。やむなき偽りの自白で有罪とされた男の弁護を控訴審から引き受けた若き弁護士が、無実を信じて執念の闘いに挑む。審理を急いで真実の発見を怠る裁判官に、冤罪を訴える被告人と弁護人らの無償の努力は通じたのか。実在の事件をノンフィクション・ノベルとして丹念に描き、裁判員制度の下ではどう裁かれるのかを読者に問いかける。直木賞作家が渾身の筆で描く異色作。

1994年10月〜1996年8月まで、共同通信配信の連載小説として神奈川新聞、北國新聞山陽新聞他11紙に連載。1996年12月、文藝春秋より単行本刊行。2010年3月、一部改稿のうえ岩波現代文庫化。



事件に関わった方には申し訳ないが、事件そのものとしては小さな扱いしかされていない。こんな事件である。名前は小説に出てくる名義に書き直してある。



横浜市中区寿町四の寿町総合労働福祉会館北側階段下広場で1990年4月18日午後10時40分ごろ、北海道札幌市本籍で横浜市在住の土木作業員、謙太幸雄(42)が、北海道出身の住所不定、作業員、津久間貴広(40)と酒を飲んでいるうちに口論となり、持っていた果物ナイフで謙太が津久間をの首を刺して失血死させた。21日、県警捜査1課と伊勢佐木署は謙太を殺人容疑で逮捕。謙太は津久間に借金の返済を迫ったところ、借りていないと言われて口論になり刺殺したと供述している。

謙太は横浜地裁の公判で殺害していないと起訴事実を全面否認したが、1990年12月11日、横浜地裁は「自白、目撃者の供述調書、ナイフの証拠も信頼できる」として、懲役8年(求刑懲役15年)の有罪判決を言い渡した。



言っちゃ悪いが、新聞記事を読んだ限りではドヤ街における日雇い労働者同士の喧嘩にしか見えない。マスコミにも注目されてないのも仕方がない。公判で被告の謙太は殺人を否認しているが、事件から8か月後に一審判決が出るようでは、争点はほとんどなかったと新聞読者が見ても仕方がないだろう。いや、小さな記事でしかなく、気にすらされなかったと言っていいかもしれない。しかしこの小説を読むと、それは間違いであったことが分かる。

資格を得て4年目の奥村紀一郎は、国選弁護士を選ぶ資料として周ってきた一審の判決文を読んでいくつか疑問に思う。犯行に比べて、動機が軽すぎること(新聞記事には出ていないが、借金は5年前の5千円である)。果物ナイフにしては、被害者が深手を負いすぎていること。凶器の果物ナイフが発見されたのが、犯人の部屋の机の引き出しであること(一切隠そうとしていない)。判決文全体に消極的な肯定(「否定できない」「大筋で一致」「概ね一致」「合理的に説明できる範囲にとどまっている」などの表現)が多い。目撃者の供述が検察官作成の調書(検面調書)しかなく、法廷供述がないこと(通常、被告が公判で自白を翻した場合は、目撃者を読んで訊問する)。奥村は、国選弁護士を受任し、謙太のところへ面会に行く。任意出頭からわずか6時間後に自白した真意を聞くと、頭に来たから刑事に恥を書かせてやろうと思ったという。裁判になればすぐに真実がわかるから、と。そして一審を担当した国選弁護士は70歳くらいで、わずか4回しか面会に来なかった、弁護士は自分が自白を翻したことを疑ってかかっていたと告げた。奥村は謙太の言葉に真実があると感じ、目撃者探しを始める。



多分、一審ではまともな弁護は行われなかったのだろう。いくら裁判からの主張とはいえ、無罪主張の事件で事件から一審判決までわずか8か月というのはさすがに早すぎる。ただ疑問に思うのは、求刑に対する判決の短さだ。殺人事件で求刑のほぼ半分という判決は珍しい。この点については本の中でも触れられていなかったが、おそらく曖昧な証拠が多いことからによる裁判官の自信のなさが原因だろう。

謙太の弁護に就いた奥村弁護士は目撃者捜しを始めるとともに、控訴趣意書にて謙太の無罪を主張する。一審では提出されなかった各種調書は検察官があっさりと開示請求に応じた。奥村は、目撃者の供述調書がきわめていい加減なものであったことに驚く。あるものの調書では名前すら出ていない、あるものの調書では殺人であることすら知らなかったなどである。本来、裁判では「推定無罪」が原則であるのだが、日本の刑事裁判は警察の捜査に信頼を置く「推定有罪」で臨みがちである。しかも一審弁護人に尋ねてみると、謙太が犯人であると信じており、記録は一切見ていないといういい加減なものだった。1991年9月末に始まった控訴審初公判で、裁判長の早水芳郎は迅速な裁判をモットーとしており、事務的に処理することで評判の裁判長であり、今回も明らかに早く裁判を終わらせよう(いわゆる一丁上がり裁判)としていた。

奥村は謙太のアリバイが成立する人物を見つけ出し、裁判に証言させるも、彼は裁判で萎縮して満足に答えることができず、しかも検察官のみならず裁判長による誘導的な訊問に動揺し、満足に答えることができない。奥村は奥の手として国選弁護人を降り、同期である江坂光二、中原公三と私撰弁護団を結成することで時間稼ぎを図り、その後地道な調査で血痕の不信点、殺害家庭の矛盾、目撃証言の不一致・曖昧さ、警察の取り調べの問題点、アリバイの成立などを訴えていく。そしてとうとう事件の目撃者を見つけて裁判に立たせ、1992年6月17日の第7回公判で供述調書を翻す証言を行った。

しかし東京高裁は1993年3月3日、被告の控訴を棄却し、一審判決を支持した。裁判長は3人の目撃者のうち2人が弁護側証人として出廷し、「犯人の顔はよく見えなかった」と証言。事件直後に警察でとられた供述調書の内容を覆したことについて、「被告人や支援者の面前であることをはばかり、被告人をかばおうとして事実をわい曲し、あいまいにしようとする態度が顕著に表れている」と退けた。



小説では、奥村弁護士が弁護人として就くところから、控訴審判決が出るまでが描かれている。弁護活動と目撃者捜し、目撃者とのやり取り、裁判の状況が繰り返されるだけであり、これだけを読めば退屈な話だろうと思う人が多いかもしれない。しかし、これが面白い。警察の取り調べのいい加減さ、裁判所の証拠調べのいい加減さなどが弁護士の調査によって少しずつ明らかになっていく。この丁寧な筆致がいい。ドラマティックな展開ではないかもしれない。しかし弁護士たちの必死さがよく表れている。こればかりは、ノンフィクションという形式で描くことは無理だっただろう。おそらく事件の詳細と矛盾点を書くだけで終わっていたに違いない。ノンフィクション・ノベルであったからこそ、読み応えのある作品に仕上がった。

これを読むと、刑事弁護士というのがいかに報われない仕事であるかがわかる。金額こそ出てこないが、あまりにも報酬は低い。おざなりに終わらせてしまおうと思う弁護士がいるのも仕方がないのかもしれない。それでも被告の無実を信じ、動く弁護士がいることに我々は素直に感謝しなければならない。

もっとも、弁護士の活動は、被害者遺族から見たら憎いものに見えてくるだろう。本事件では被害者遺族は出てこなかったが、もし遺族から見たら裁判の引き延ばし、言い訳、呆れる主張のオンパレードとなるだろう。その点を考えると、弁護士の活動というのは本当に報われないものだと思えてしまう。もっとも、時には荒唐無稽としか思えない弁論をする弁護士もいるだろうから、結局人それぞれ、といったところなのかもしれない。

先に書いた通り、本事件で謙太の被告は棄却される。奥村はその節穴だらけのいびつな論理が展開されている判決文に怒りを覚え、呆れるのだが、どうにもならなかった。奥村は上告趣意書を提出後、弁護を後輩に引き継ぎ、海外へ留学する。そして、控訴審第1回公判で傍聴したときから奥村を応援してきフリーライターの蔵本秋彦は、この事件を執筆することを決意して、この物語は終わる。

文庫版あとがきでは、その後が簡単に綴られている。謙太の上告は1年以上の後、棄却されてしまった。謙太はこの本のことを、生涯の伴侶にしたいと言ったという。





文庫版で解説を書いている野村吉太郎弁護士が、奥村紀一郎のモデルである。同様に江坂光二のモデルは江口公一弁護士、中原公三のモデルは中田康一弁護士である。また、フリーライターとして登場する蔵本秋彦が、作者の笹倉明である。解説で裁判員裁判の話が出てきたのはやや唐突だったが、裁判のあり方という点を問いかける本書は、その時代に求められるべき一冊だったのかもしれない。

東京高裁で判決を言い渡す早水芳郎ももちろん仮名だが、裁判マニアだったら誰がモデルになっているかわかるだろう。本書では最高裁裁判官を目指していると書かれていたが、結局東京高裁裁判官で終わっている。彼はこの本が出たことについて、どう思っているのだろうか。