平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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逸木裕『虹を待つ彼女』(角川文庫)

 2020年、研究者の工藤賢は死者を人工知能化するプロジェクトに参加する。モデルは美貌のゲームクリエイター、水科晴。晴は“ゾンビを撃ち殺す”ゲームのなかで、自らを標的にすることで自殺していた。人工知能の完成に向け調べていくうちに、工藤は彼女に共鳴し、惹かれていく。晴に“雨”という恋人がいたことを突き止めるが、何者かから調査を止めなければ殺す、という脅迫を受けて――。第36回横溝正史ミステリ大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2016年、第36回横溝正史ミステリ大賞を受賞。応募時タイトル『虹になるのを待て』。応募時ペンネーム木逸裕。改題、加筆のうえ、2016年9月、KADOKAWAより単行本刊行。2019年5月、文庫化。

 

 作者はフリーランスのウェブエンジニア業の傍ら、小説を執筆。本作受賞後もコンスタントに執筆し、2022年には「スケーターズ・ワルツ」で第75回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞している。
 主人公の工藤賢は京大卒。優秀すぎて、自分の実力と予想できる限界点に虚しさと退屈を覚える毎日。女性すらサプリメントと変わらない。現在はフリーランス人工知能研究家で、今は友人が経営するシステム会社モンスターブレイン社と契約している。暇つぶしに作って会社に売った囲碁ソフト「スーパーパンダ」は、すでにプロを上回っている。恋愛AIアプリ「クリフト」を共同開発し、破竹の勢いで伸びている。工藤はCTOの柳田からの提案で、死者の人工知能化というプロジェクトに参加する。モデルである水科晴は、若くして癌で余命いくばくもなかった6年前、自ら作ったゾンビを撃ち殺すというオンラインゲームで、特定のプレイヤーに黙ってドローンを実際に動かせるプログラムに切り替え、自ら標的となって自殺した。今でもカルト的な人気のある水科晴を人工知能として甦らせようとするが、調べていくうちに工藤は晴に惹かれていく。一方ネット上で調べて言ううちに晴は、HALという人物から脅迫を受ける。
 工藤の経歴を並べていくだけで腹が立ってくる(苦笑)。成功者に有りがちな経歴ではあるが。そんな三十代のおじさんによる死者へのボーイ・ミーツ・ガールではあるが、やっていることはストーカーと変わらない。ここまで粘着質に追いかけられては、周りの人も敬遠するだろう。脅迫を受けても仕方ないんじゃない、というぐらい主人公に感銘を受けなかった。「自分は他人と違う」と人を見下してばかりいるのだが失敗も多く、頭がよいけれど単に生き方が下手な人物にしか見えない。「クリフト」の問題点なんて、最初から予想できていたことだと思うし、そんなリスクも考えない開発者はいないだろう。
 それよりも周囲の人物が共感を持てるし、描き方も巧い。特に大学時代からの友人である探偵事務所のオーナーの娘、森田みどりはもっと活躍させてほしかったところだ。モンスターブレイン社の面々も面白いし、囲碁棋士の目黒隆則ももうちょっとストーリーに絡めてほしかった。主人公や重要人物より脇役の方が光ってみえるのだから、もう少し人物描写を考えてほしかった。
 一方、ストーリーの方は今一つ。展開の盛り上げ方は悪くないのだが、ミステリとしては非常に弱い。犯人の動機の点について特に弱さを感じるのは2022年に読んでいるからかもしれないが、それを抜きにしても、犯人が動いたからかえって話が進んでしまったという内容になっているのが非常に残念。工藤にも犯人にも、どっちにも共感できないまま物語が進んでいるから、先が気になる割には面白さに欠けてしまう。それと、肝心の水科晴の魅力がわからない。だから工藤や犯人に共感が持てない。こここそ、もっと筆を費やすべきでなかったか。変な言い方だが、味はまずいがとりあえず完食させてしまうような作品であった。作者の力があることは感じ取れた。
 文庫版の表紙がとても綺麗だし、タイトルからしても非常に爽やかな青春ミステリを予想したのだが、全然違っていた。せめて主人公たちの年齢を二十代にすべきじゃなかったのだろうか。そうすれば、もうちょっと印象が違っていたと思うのだが。