平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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夕木春央『方舟』(講談社)

 大学の登山サークルに所属していた野内さやか、高津花、西村裕哉、絲山隆平、絲山麻衣、越野柊一の六人と、柊一の従兄である篠田修太郎は、裕哉の父親が持つ長野県の別荘に二年ぶりに集まった。隆平と麻衣は夫婦だが、一年前から夫の不満を麻衣が柊一に相談していたことを隆平が知り、トラブルがあってはと頼み込んで修太郎に来てもらっていた。
 七人は裕哉の案内で、山奥にある地図にも載っていない謎の地下建築を見に出かけたが、見つけるのに時間がかかり、到着したときはすでに夕方になっていた。そしてきのこ狩りの途中で道に迷ったという矢崎幸太郎、弘子、隼人の三人家族とともに、その日は地下空間の中にある各部屋で泊ることとなったが、地震が発生して入口の扉が巨大な岩でふさがれ、閉じ込められてしまった。山奥でスマホは繋がらない。さらに地下三階を水没させていた水が、少しずつ高くなっていた。しかもその直後に殺人事件が発生。岩に巻き付けられた鎖を巻き取る装置を動かせば、脱出できる。しかし、その装置を動かす者は岩に閉じ込められ、犠牲になる。その犠牲者は、殺人事件の犯人がなるべき。「方舟」と名付けられていた地下建築の中で、タイムリミットは水没するまでの一週間。
 2022年9月、書下ろし刊行。

 

 メフィスト賞作家による前評判の高い一冊。帯を見ると、15人の作家・評論家が絶賛している。さすがにこの人数と顔ぶれを見ると、手に取ってみたくなる。ただ先に言っておくと、ややネタバレなものもあるので、読む前に帯は見ない方がいい。
 典型的なクローズドサークル本格ミステリ。地下三階は水没しているものの、地下一階、二階があって、しかも各階に二十部屋もある広さ。専門家はいないし、絶対的な証拠があるわけでもない状況で、どうやって論理的に犯人を導き出すのだろうと思いながら読んでいた。本当にそううまくいくだろうかとも思うが、犯人を導き出すロジックは悪くない。ただこれだけだとちょっと弱いなと思っていると、そこに「トロッコ問題」が掛け合わされることで、うまくエピローグまでつながった。これは作者のアイディア勝ち。なるほど、絶賛の声が多いのもうなづける。
 ただもっと感心したのは、この状況下で殺人を行った動機。言われてみるとものすごく腑に落ちるのだが、これは予想付かなかった。この点はもっと絶賛されるべき。
 どうやってこんな地下建築を誰にも知られずに作ることができたのか(資材の運搬だけでも大変そう)とか、人物造形が甘いとか、欠点もあるだろうが、それは些細な傷だろう。このアイディアを小説として仕上げてくれたことに感謝したい。
 今年の収穫と言えるべき一冊で、ミステリベスト候補。本ミスならベスト5に間違いなく入るだろうし、このミスやミス読みでもベスト10には入りそう(文春はベスト20止まりかな)。この作者の作品は初めて読んだのだが、他の本も読んでみたくなった。