平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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大藪春彦『野獣死すべし/無法街の死』(創元推理文庫 日本ハードボイルド全集第2巻)

 1958年、無名の青年が大学在学中に書いた作品が雑誌<宝石>に一挙掲載され、大反響を巻き起こす――大藪春彦の鮮烈なデビューは、まぐれもなく日本ミステリ史上の事件であった。本書はその記念すべきデビュー中編「野獣死すべし」を巻頭に据え、大藪版『血の収穫』ともいえる初期長編『無法街の死』を収録。さらに50年代から60年代にかけて発表された八つの傑作短編を加え、伊達邦彦や田島英雄、そして彼らにはなれなかった男たちが織りなす、狂熱と冷酷さが渦巻く大藪ハードボイルドの世界を俯瞰する。巻末エッセイ=馳星周/解説=杉江松恋(粗筋紹介より引用)
 2021年10月、刊行。

 

 大藪の前に大藪はなく、大藪の後に大藪はなし。孤高のヒーローを産み出していった大藪春彦こそ、まさに孤高の存在である。しかし、大藪はハードボイルド作家である。大藪の分身ともいえる伊達邦彦の大学の卒論は、「ハメット=チャンドラー=マクドナルド派に於けるストイシズムの研究」である(大藪本人は、早稲田中退)。大藪の考えるハードボイルドは、1960年4月に出版された短編集『歯には歯を』のあとがきに書かれている。「ハードボイルドは幻滅の上に立っている。僕が好んで書くのは非情の死と略奪である。したがって、ハードボイルドには論理というものはない。あるとすれば、信じられるのは凶暴な自我と、行動をささえるストイシズムであろう」である。まずはここを押さえないと、大藪とハードボイルドの関わりは語れない。「野獣死すべし」は大藪にとってのハードボイルドを小説化した作品であり、処女作にしてその最高峰なのである。
 解説の杉江松恋は、大藪の膨大な世界をコンパクトにまとめて解説しているのだが、なぜ車のことについて触れないのだろう。「大藪作品は銃器の説明を取ったら何も残らないという物言いがある」と書いているが、これは「大藪から銃と車を取ったら何も残らない」ではなかっただろうか。大藪の最高傑作『汚れた英雄』について、「大藪版教養小説の最高峰」の一言で終わらせるのは誤りだ。杉江はハードボイルドという言葉に捉われすぎたのではないだろうか。
 今回収められた作品群であるが、長編『無法街の死』は手に入りにくいのかもしれないが、何もこれを選ばなくてもと思ってしまう。まだ『血の罠』の方がよかったんじゃないか。ほかの短編集だが、半分は連作短編集の中の一編。大藪と短編は相性があまりよくないのか、前半で書きすぎて後半が駆け足になったり、素っ気無く突き放して終わったりという作品が多い。やはり徹底的に書き込める長編の方が、大藪と相性が良かったのだろう。中編なら「若き獅子の最後」あたりじゃダメだったのだろうか。
 大藪春彦の一端は見える作品集ではあるが、やはり大藪春彦を知るのであれば、傑作の一つ『蘇える金狼』あたりを読んでほしいと思う。