平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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奥田英朗『罪の轍』(新潮社)

罪の轍

罪の轍

 

  昭和三十八年。北海道礼文島で暮らす漁師手伝いの青年、宇野寛治は、窃盗事件の捜査から逃れるために身ひとつで東京に向かう。東京に行きさえすれば、明るい未来が待っていると信じていたのだ。一方、警視庁捜査一課強行班係に所属する刑事・落合昌夫は、南千住で起きた強盗殺人事件の捜査中に、子供たちから「莫迦」と呼ばれていた北国訛りの青年の噂を聞きつける―。オリンピック開催に沸く世間に取り残された孤独な魂の彷徨を、緻密な心理描写と圧倒的なリアリティーで描く傑作ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 「霧の向こう」のタイトルで『小説新潮』2016年10月号~2019年3月号(2017年10月号除く)連載。改題の上、2019年8月、単行本刊行。

 

 シリーズ化されているわけではないだろうが、『オリンピックの身代金』で事件解決に挑んだ落合昌夫をはじめとする警視庁刑事部捜査一課五係のメンバーが再登場する。もっとも事件は前作の一年前。ノンフィクションと断り書きはあるものの、有名な「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を元ネタにしている。とはいえ、犯人像も事件解決の経過も全然異なるのだが。
 当時の社会情勢を描写しながら、落合たち刑事の必死の捜査と、犯人の孤独で不幸な過去を対比して書いた犯罪小説であり、リーダビリティは抜群だと思う。だけど読んでいる途中から違和感が出てきて、それが結末に向かうにつれてどんどん大きくなっていった。結局作者、何を書きたかったんだろう。
 なぜ実在の事件をモチーフに使ったのか、それがわからない。この展開ならはっきり言って不要だったはず。わざわざリアリティを出すために、実在事件を使う必要はないだろう。正直言って読み終わった後は、不快感しかなかった。なぜ誰もが頭に思い浮かべるような事件を用い、中途半端に展開を捻じ曲げるのだろう。いくら考えてもわからない。実在事件をモチーフにしないと、当時の社会のリアリティを出すことができなくなるほど、作者の筆力が落ちたとも思えない。
 登場人物も過去に出てきたメンバーを使う必要性がなかったと思う。手抜きのようにしか見えないが、何らかの意図があったのだろうか。所轄の刑事たちが失敗ばかりしているのも、あまりにもわざとらしい。
 作者の意図や目的が全然わからない作品。単なる娯楽作品を書こうと思ったわけではないだろうに。