平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

小泉悦次『史論―力道山道場三羽烏』(辰巳出版)

史論‐力道山道場三羽烏 (G SPIRITS BOOK)

史論‐力道山道場三羽烏 (G SPIRITS BOOK)

  • 作者:小泉 悦次
  • 発売日: 2020/05/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  力道山が産み落とした3人の弟子が織りなす“冷戦時代の日・米・韓プロレス史”。馬場vs猪木vs大木の20年戦争「力道山の後継者」は誰だ?
 「アメリカマット界のレスリングウォー」、「極秘裏に行われた力道山の登韓」、「世界3大王座連続挑戦」、「ヒューストンの惨劇」、「最初の目玉くり抜きマッチ」、「日韓国交正常化」、「大熊元司リンチ事件」、「グレート東郷殴打事件」、「日本プロレスのクーデター未遂騒動」、「韓国大統領・朴正煕の暗殺」――複雑に絡み合う物語を紐解きながら、隠された史実を読み解く。(帯より引用)

 『Gスピリッツ』に連載された「ショーヘイ・ババのアメリカ武者修行」「キンタロウ・オオキのアメリカ武者修行」「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」を大幅に加筆修正し、新たな書下ろしを加え、2020年6月刊行。

 

 「力道山道場三羽烏」と称されたのはジャイアント馬場アントニオ猪木大木金太郎の3人である。ちなみにデビューは、大木が1959年9月4日(樋口寛治に負け)、馬場と猪木が1960年9月30日である(馬場は田中米太郎に勝ち、猪木は大木に負け)。最も三羽烏と呼ばれるようになったのは後年の話らしい。1960年時点で馬場は22歳、猪木は19歳、大木は27歳(サバを読んでいて、実際は30歳)だった。
 日本プロレスの頃は様々な証言がなされ、出版物も多いが、当時は記録が完全ではなかったこともあり、また記憶違いなどもあって不完全な部分も多い。当時の日本プロレス暴力団が絡んでいた(これは当時の芸能界なども同じ)こともあり、表に出せない部分も多かったと思われる。記憶違いや自分に都合の良い発言もあるため、食い違っている部分も多い。作者は丹念に記録を追い、プロレス史の実像に迫っている。
 海外にもプロレスマニアがいて、様々な記録を保管、公開しているのは知っているが、それにしても馬場、猪木、大木のアメリカ武者修行時代の全試合記録を負うのは相当なことだっただろう。また韓国時代の大木のプロレスの記録を追うのも大変だったと思われる。特に韓国は朴正煕大統領時代であり、政権にとって都合の悪い部分など簡単に消されていた時代だ。まずその労力に拍手を送りたいし、辻褄の合わないデータの取捨選択の確かさに感嘆するばかりである。
 馬場の世界三大タイトル挑戦の「真相」、意外と活躍していた渡米時代の猪木など、アメリレスリングウォーや日本プロレスとの絡み方が、知らなかった一面を見せてくれた。
 特に本書は、馬場と猪木の下に着くしかなかった大木金太郎の悲劇と密接につながっている。早期帰国やヒューストンの惨劇(ルー・テーズにセメントを挑んで返り討ち)、日韓国交正常化など、力道山になりたくて、とうとうなれなかった大木金太郎と時代の移り変わりの絡み方が泣けてくる。この本ではほとんど触れられていないが、猪木と馬場が去り、ようやく日本プロレスのトップになったと思ったら人気が急落してあっという間につぶれたという残酷さと、大木の時代の読めなさが悲しい。もちろんこういう事態になったのも、大木自身に原因があるのだが。もし力道山が生きていたら、大木は韓国で力道山の名をついてでいただろうか。それとも日本でトップを取っていただろうか。
 プロレスが政治や世間と密接につながっていたことを示すデータになっていることも興味深い。日米間のプロレス史を知るうえで、貴重な一冊だろう。それにしてもプロレスは、いつの時代でも語るものがあって、そして現代につながっていることが実に興味深い。