平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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島田荘司『写楽 閉じた国の幻』(新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈下〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈下〉 (新潮文庫)

世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎―。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは……。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。(上巻粗筋紹介より引用)

謎の浮世絵師・写楽の正体を追う佐藤貞三は、ある仮説にたどり着く。それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった……。田沼意次の開放政策と喜多川歌麿の激怒。オランダ人の墓石。東洲斎写楽という号の意味。すべての欠片が揃うとき、世界を、歴史を騙した「天才画家」の真実が白日の下に晒される―。推理と論理によって現実を超克した、空前絶後の小説。写楽、証明終了。(下巻粗筋紹介より引用)

週刊新潮』2008年9月4日号〜2009年10月29日号連載。2010年6月、新潮社より単行本刊行。2013年1月、文庫化。



久しぶりに島田荘司を手に取った。私の中で島田荘司は、既に「さして読みたいとは思わない作家」までランクが落ちているのだが、本作品は構想20年ということと御手洗が出てこないというので読んでみようと思った。やっぱり読まなくてもよかった、という結論に達したが。

東洲斎写楽とは誰か、という話は山ほどあるので、よっぽどの新説でもないと面白味に欠ける。どう持っていくかと思っていたら、主人公である浮世絵研究家・佐藤貞三の息子が回転ドアに挟まれて死亡したという、現実を模した事件でスタートする。もうこれだけで読む気を無くしたのだが、さらに義父が回転ドアのビルの持ち主と設計会社を訴え、逆に佐藤貞三の過去の研究書が週刊誌上でバッシングされるという展開。ええっと、写楽は一体どこへ、といったあたりから、ようやく写楽の正体探しが本格化。これ、どう考えても、上巻要らないだろう。

写楽=外人説も過去に読んだ記憶があるのでそんなに目新しいものではないと思う。ただ、江戸編において蔦屋重三郎と絡む部分の話は面白かった。もちろん、小説としての話であり、現実味がとても欠ける話だったが。空想として読む分にはいいけれど、これで正体看破!と言われても、誰も納得しないな。

あとがきで島田荘司はページが足りないだのなどと言い訳しているが、現在編一切要らない。子供が死ぬ話は不要かつ不愉快だし、署名の入った肉筆画の謎もそのまま。美人教授が佐藤に絡んでくる理由も不明。いくら金を出しても、無名の研究家の売れてもいない著書なんか、週刊誌で取り上げるとはとても思えない。そもそも佐藤の陰々滅々たる愚痴なんか、読みたくもなかったし、写楽と何も絡まない。息子のことも欠片も思い出さず、嬉々として写楽を追う姿は、もはや吐き気もの。

現在、最も有力な写楽=斎藤十郎兵衛説を否定する根拠が弱すぎ。ドイツの浮世絵研究家ユリウス・クルトが1910年に発表した『SHARAKU』で、「レンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家」と評したとあるけれど、クルトはそんなこと書いていないはず(昔、そう読んだ記憶がある)。調べてみたけれど、そう書いていたという証拠(文章)は見つからなかった。なんかこういうのを見てしまうと、後の部分もどこまで信用してよいのやら、疑問。

こうやって見てみると、作品の悪いところばかりを見つけてしまう。島田荘司は昔から強引だったが、それを読者に納得させる力を持っていた。ところが本書を読む限り、その力が無くなっているとしか思えない。手を出す分野を間違えたんじゃないの、と言いたい。