平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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松本泰『松本泰探偵小説選I』(論創社 論創ミステリ叢書4)

松本泰探偵小説選〈1〉 (論創ミステリ叢書)

松本泰探偵小説選〈1〉 (論創ミステリ叢書)

永く海員生活をしていた伯父に呼ばれ、三か月前に倫敦に来た坂口は、ここの所家にいない伯父がいるのではないかと、伯父の古い友達であるエリス・コックスの家に向かうと、家の前で女性が酒を飲み過ぎたせいで蹲っていた。家に帰ると、数日旅行へ行くという伯父の書置きが残っていた。そんなある日、エリスの娘であるビアトレスが誘拐される。「P丘の殺人事件」。女性が誘拐されて捜すというサスペンスだが、単調な流れで、読んでいても退屈。“殺人事件”という今では当たり前の言葉をタイトルに使った早い例らしい。

警察に追われている男が自殺する前に、友人のAに手紙を残す。そこには麻薬密売人まで落ちた流れが書いてあった。「最後の日」。少しずつ犯罪に手を染めていくようになる男の感情が描かれているが、短すぎて迫力に欠ける。

帰朝した私の歓迎会の席で、大阪の貿易商だった水野と再会する。水野は、英国美術院で有名な若手画家のHの絵を、私の名前で美術学校へ寄付してほしいと依頼する。数日後、私のところに叔父の警部補がやってきて、先日起きた殺人事件の話をするが、写真を見るとそれは水野だった。「眼鏡の男」。家には厳重に鍵がかかっているか、というから密室かと思ったら、窓のガラスが割れているというからなんじゃそりゃ。迷宮入りかと警察で騒ぐわりに、私のひとことで簡単に事件が解決してしまうのだから、つまらない。

2年前に銀行の貯金帳をさらって逃げていったグインという女を、泉原は今も想って倫敦にいた。ある日、泉原は停車場で二人の男女と歩くグインを見かけ、後を追ってマーゲートまで来たが、出札口で手間取って見失った。すると車に乗った三人がそのまま走り去ってしまった。明日から探そうとホテルを探していると、ギル探偵が声をかけ、部屋まで提供してくれる。「緑衣の女」。女に捨てられた男が女を追いかけるうちに、偶然犯罪と遭遇するサスペンス。主人公の姿が何とも情けなく、この時代にしては珍しい気がする。

湘南K町に居住し、記者で東京あるいは横浜へ通う連中で成り立っている社交クラブ、K会の友人富田に誘われ、榎は飛び入りで出席した。会員の広井と一緒に帰った後、自宅に付いたら、広井の妻から電話がかかってきて、広井がまだ帰っていないから何か知らないかと電話が来た。広井の事務所があるY町が火事なのに、連絡が取れず困っていた。気になった榎は、広井家を訪れた。警察へ行くと、焼けた事務所から黒焦げの死体が見つかった。名前入りのカフスから、死体は広井のものと判明。「焼跡の死骸」。珍しい本格探偵小説。時代としてはあまりにも古いからかもしれないが、内容は他愛ない。

5年住んでいた倫敦を離れることとなった私は、かつて事件のあった家の近くに滞在したことがあったという理由で、ノルマン・ベイリー事件のことが気にかかっていた。それは休職中の陸軍少佐、ノルマン・ベイリーが妻を殺害した後、今も逃走中という事件である。ある日、外から帰ってきた私は下宿に戻ったが、玄関には見慣れぬ女中がいるし、部屋は片づけられていて、トランクが2つだけ残っていた。よくよく考えるとそこは自分の下宿ではなかったことに気付いたが、そのとき隣の部屋の美人が出てきて、荷物を届けてほしいと私に封書と十円を渡したのだった。「ガラスの橋」。巻き込まれ型のサスペンスかと思ったら、最後は夢オチ。ガクッと来た。ロンドンを騒がしたという設定のノルマン・ベイリー事件だが、本当にあったわけではなく、創作らしい。

私は雷屋という金融取扱の店に給仕として勤め、早川という出納係とともに店で寝泊まりをしていた。ある日、私は早川に頼まれ、店員の進藤が忘れていった小包と封書を出しに行き、ついでに早川が頼んだ煙草のバットを二つ買ったはいいが、帰り道に喧嘩の野次馬をして遅くなってしまった。慌てて店に代えると、早川が死んでいて、店にいたはずの店主、小山がいなくなっていた。さらに三千円が盗まれていた。「タバコ」。意外な証拠からあっという間に犯人が捕まってしまう話。他愛ないものだが、警察が自殺ではなく他殺だと断定してからのたたみかけはなかなか。

警察の目を隠れて賭博が行われている支那料理店で、中毒者のジョンス夫人がコカインを摂りすぎて死亡した。その際、右手の指環が紛失していた。脛に傷を持つ亀田は警察に追われて逃げ出していると、横浜で出会った支那人から、月給百円で百日間、決められた下宿に住むという仕事を請け負った。「ゆびわ」。冒頭の指環紛失と、それ以後の亀田の奇怪な体験が如何にして交わるかというのが話の興味の一つだが、冒頭と結末だけが指輪の話で、後は亀田の話という点が、物語を断絶してしまっている。

倫敦で遊民生活を送っていた私は、親が残してくれた金をほとんど使い果たしてしまった。そして、残った百円を友人で画家の柏と使い果たそうとホテルで晩餐を取っていたら、美人と出会った。柏と別れた後、サボイ劇場へ行った帰り、街角で先ほどの美女と出会い、タクシーを呼んでほしいと叫ぶ。私は大通りへ出てタクシーを掴まえ、彼女を載せると、近くの路地で人だかりを見つけた。前に出てみると、劇場の隣に座っていたフランス人が刺されて死んでいた。「日陰の街」。本作品集の中ではやや長め。そのせいか、町の風景なども描写されており、多少読みごたえがある。巻き込まれ型スリラーは相変わらずだが、結末の虚しさがちょっといい。

遠戚の商家に寄宿している私は、商家の御嬢さんと仲良くなっていた。一方、商家の旦那は震災で商売が思わしくないせいで酒が増え、芸者を落籍して家を建てていた。そんな旦那が、ネズミ用に用意した猫いらず入りのおはぎをつまみ食いして死んでしまった。「毒死」。短くて、話の盛り上がりも何もないが、明るい希望を抱いた結末だけはちょっと良い。

寺田刑事は目を付けている隼の哲治が川崎家に入った帰り、百円という大金を持っていたから問い質したが、川崎さんが渡したと本人も認めたため、やむなく開放する。しかし哲治の態度が気になっていた。「指輪」。小品すぎて、特に書くこともない。

青物を商っている村田屋の亭主は、先妻が残した10歳のお千香に煙草を買って来いと金を渡したが、そのまま帰ってこなかった。そして翌日、絞殺死体となって発見された。「蝙蝠傘」。意外な手がかりから犯人がわかる話。枚数がもうちょっとあれば、事件周辺の書き込みができたと思うと、ちょっと惜しい作品。事件が起きた土地の見取り図が掲載されており、このような試みとしては最初期のものらしい。

私立探偵事務所を細菌学者の沢井博士が訪れ、もうすぐ結婚する姪へ送ろうと首飾りを買ったが、テーブルの上に置いたまま窓際でぼんやり外を見ていたたった5分の間に盗まれてしまった。警察を呼びたくないという博士の依頼に応じ、探偵は捜査を始める。「不思議な盗難」。密室状態からの消失という不可能犯罪を取り扱ったものかと思って期待したら、最後は裏切られてしまった。ただ、ちょっとペーソスにあふれているかも。笑い話と思って読んだ方がいいかもしれない。

金持ちのワット氏が、永い間別居している夫人と和解したいので斡旋してほしいとマーシャル探偵のところへ依頼に来た。マーシャルは夫人のところへ行くが、家に帰るつもりはないと追い返される。「ワット事件<土曜物語―その一>」。作者が土曜日ごとに聞き行くという老探偵の回顧録だが、翻訳かどうかは不明とのこと。変梃りんな事件だが、なんとなく創作という気がする。

未亡人からの依頼は、モルヒネを愛用する17歳の息子が、夏休みが終わって学校の寄宿舎へ帰るのを停車場から見送ったが、学校へ着いていないので捜してほしいというものだった。「少年の死<土曜物語―その二>」。タイトルでネタバレしているが、最後が悲しい物語。

未亡人からの依頼は、目をかけている女性秘書のところに、毎日気味の悪い脅迫状が投げ込まれ、しかも探偵を雇って見張らせていたのにだれがいつ持ってくるのか全くわからないままなので、解決してほしいというものだった。「毒筆<土曜物語―その三>」。筆跡で犯人がすぐにわかるという、あまりにも退屈な話。



作者が主宰していた『秘密探偵雑誌』『探偵文藝』へ大正時代に発表した作品を中心に構成された作品選。江戸川乱歩以前にデビューした作者の一人だが、何とも捉え難い作風である。乱歩の「軽い意味の「謎」と、停車場の待合室に佇んで静かに雑踏を眺めているような旅行記風の、「味」のある文章とが、記憶に残っている」というのが的確な評だろう。とはいえ、本格でも変格でもない作風が、探偵小説界からはさして評価されてこなかったのも仕方がなかったかもしれない。本作品集はとにかく短く、筆足らずなものが多い。読んでいて物足りなさを覚えるものばかり。そのせいで、作者が売りにすべき異国情緒も今一つ。まあはっきり言って、読んでいても退屈だった。それ以上、どういいようもない。