平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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垣根涼介『ワイルド・ソウル』上下(幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈下〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈下〉 (幻冬舎文庫)

一九六一年、衛藤一家は希望を胸にアマゾンへ渡った。しかし、彼らがその大地に降り立った時、夢にまで見た楽園はどこにもなかった。戦後最大級の愚政<棄民政策>。その四十数年後、三人の男が東京にいた。衛藤の息子ケイ、松尾、山本――彼らの周到な計画は、テレビ局記者の貴子をも巻き込み、歴史の闇に葬られた過去の扉をこじ開けようとする。(上巻粗筋紹介より引用)

呪われた過去と訣別するため、ケイたち三人は日本国政府に宣戦布告する。外務省襲撃、元官僚の誘拐劇、そして警察との息詰まる頭脳戦。ケイに翻弄され、葛藤する貴子だったが、やがては事件に毅然と対峙していく。未曽有の犯罪計画の末に、彼らがそれぞれ手にしたものとは――? 史上初の三賞受賞を果たし、各紙誌の絶賛を浴びた不朽の名作。(下巻粗筋より引用)

2003年8月、幻冬舎より書き下ろし刊行。2004年、第25回吉川英治文学新人賞受賞、第6回大藪春彦賞受賞、第57回日本推理作家協会賞受賞。2006年4月、幻冬舎文庫化。



史上初三冠受賞……確か『カディスの赤い星』は直木賞日本推理作家協会賞日本冒険小説協会大賞を受賞していたような、なんてことを最初に思い出したのだが、まあ野暮なことを言うのはやめよう。傑作であることに間違いはないのだから。

上巻第一章は、外務省移民課、そして下部組織の海外協会連合会(現在のJICA)主導によるブラジルへの移民政策。それは戦後日本の食糧難時代を乗り切るために、人口を口減らしするための棄民政策に過ぎなかった。そうとも知らず、開墾した土地、灌漑用水、入植者の家などがすでに準備され、土地が無償で配分されるという外務省の言葉に騙され、夢を見てアマゾンへ渡った日本人たち。実際にあったのは、酸性が強くてコメなど育たない、未開のジャングルでしかなかった。さらに代表者がベレンの領事館へ行っても、門前払いにさせられた。入植者が逃げ出さないよう、ブラジル政府の国立植民農地改革院(INCRA)によるパスポート没収も容認した。そんなことも知らず、夢を見て渡った衛藤は現実に絶望しつつも必死に生き抜くが、地獄は地獄でしかなく、やがて一緒に渡った妻や弟は黄熱病で亡くなる。衛藤はその土地を捨て、必死で生き抜く。

第二章以降は、三人の男による外務省、そして日本への復讐劇が静かに準備される。衛藤をかつて助けた同じ入植者である野口夫妻の息子であり、後に衛藤の養子となった野口・カルロス・啓一、通称ケイ。かつて衛藤と一緒に仕事をしたことのある同じ移民者である山本正仁。ケイの幼なじみであり、その後コロンビアの麻薬シンジケートのドン、アンドレス・パストラーナ・バルカスに拾われ、いまでは宝飾品小売業の社長という表の顔と、麻薬売買のトップという裏の顔を持つ松尾。計画が進行する中、ケイはテレビのニュース番組の落ちこぼれディレクターである井上貴子と深い関係になる。最初は貴子を利用するために近づいたケイであったが、いつしかケイは貴子に惚れ込んでしまう。

そして下巻に入り、遂に事件は動き出す。

単純に言えば、国に騙された男たちやその子供たちによる復讐譚である。確かに非合法な復讐ではある。外務省仮庁舎の屋上からの巨大な垂れ幕による宣戦布告。そしてマシンガンによるビルへの掃射。さらには当時の総領事館を初めとする関係者3人の誘拐劇。しかし死者は出ない。だからこそ、読者は喝采の声を上げる。日本国の闇を抉り出す彼らに。闇が深ければ深いほど、その闇を表にさらけ出す彼らはヒーローとなる。

やっていることは犯罪なのに、それでも爽やかな風が吹いたような爽快さを感じるのは、ケイという人物の、南米育ちならではの陽気さである。呆れながらも、結局は彼の考えを追認する松尾。利用されたことを恨みながらも、いまだ惹かれている貴子。そんな形の楽天振りと爽快さは、読者をも爽やかな気分にさせる。

また、視聴率という実態の知れない物に一喜一憂するテレビ局の中で、必死にもがく貴子の姿も美しい。一つの事をきっかけに、生き方が変わる。人は誰しも、生まれ変わることができるのだ。

いざとなれば民を簡単に捨て去る日本国への憎悪があふれかえっていた、初期の大藪春彦を彷彿させるような復讐譚。大藪賞の名に相応しい傑作。しかし、大藪ほどの闇を感じさせない爽快さもここにある。第一級のエンターテイメントがここにある。