平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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幸森軍也『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』(講談社)

ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語

ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語

アニメファンの間で名前も存在も知られすぎるほど知られているにもかかわらず、まとまった文献が存在していない幻のアニメ製作会社、2013年に設立50周年を迎える「スタジオゼロ」。設立者のひとり鈴木伸一氏をはじめ、膨大なインタビューと調査により、初めて「ゼロ」の作ったもの、もたらしたものが明らかになる。漫画史、アニメ史のミッシング・リンクをつなぐ、野心的な「集団の評伝」。(折り返しより引用)

「第二のトキワ荘」となった幻のアニメ・マンガ製作会社『スタジオゼロ』初の評伝! 東映動画、TCJ、タツノコプロなどアニメ産業の創成期も活写!(帯より引用)
2012年10月刊行。



藤子不二雄安孫子素雄藤本弘)、石森章太郎つのだじろうが、おとぎプロを退社した鈴木伸一とともに設立したアニメ会社、それがスタジオゼロ。後に赤塚不二夫が加わる。いずれもが新漫画党のメンバーである。石森章太郎が書いている通り、「青春よもう一度。トキワ荘時代の連帯感を、みんなで何か一つの同じことをすることによって味わいたい」という想いから設立された。アニメに対する思いはあったとしても、実際にアニメに携わったことがあるのは鈴木伸一のみ。スタジオゼロが作った『鉄腕アトム』「ミドロが沼」は、安孫子アトム、藤本アトム、つのだアトム、石森アトムと誰が描いたか一目瞭然だったというぐらいひどい出来だったという。その後、『レインボー戦隊』の企画(後にアニメ化)、『オバケのQ太郎』他における雑誌部の設立、市川ビルへの引っ越しと角田次郎、藤子不二雄赤塚不二夫らのスタジオ引越し、アニメ『おそ松くん』『パーマン』等。そして解散、ゼロから始まりゼロに還る……。昭和38年から44年までの、わずか7年間の活動だった。もっともスタジオゼロの名前は、鈴木伸一の個人事務所として運営される。

藤子不二雄トキワ荘出身漫画家にとっては伝説ともなっているアニメ会社、スタジオゼロ。名前はとても有名だったが、参加した各漫画家の自伝等で語られるのみであり、その詳細な活動についてはほとんど語られてこなかった。そういう意味では貴重な一冊であり、アニメ史を語るうえでも欠かせない一冊となるだろう。

とはいえ、それほどアニメに興味がない私にとっては、やはり「第二のトキワ荘」としての読み方をしてしまった。ただ、あのころの金はないが希望があふれ出ていた時代の物語ではない。すでにそれぞれが中堅漫画家となり、スタッフ(や家族)を抱えている身なのだ。あの頃の無邪気さは失われつつあった。青春成長物語とは違っていた。

読み方としては色々あるだろうが、貴重な一冊であることは間違いない。ただ、第二のトキワ荘的な面白さを求めてはいけない。