平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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古処誠二『分岐点』(双葉社)

分岐点

分岐点

戦争も終末を迎えつつあった1945年8月。中学生の対馬智も勤労動員として駆り出され、陸軍中隊の築城要員として同級生とともに分隊に入れられた。すでに本土決戦が当たり前のことと認識され、あとはいつ米軍が上陸してくるかという状況。大陸帰りの軍人に虐められ、ひもじさに耐えつつ働く少年たち。すでに敗戦ムードが漂うなか、成瀬憲之だけは皇国民として教え通りの行動をとっていた。そんな彼の態度は、他の中学生から見たら反発を招くだけだった。ある日、壕を掘っているときに空襲警報が鳴った。そして成瀬は、一緒にいた伍長を刺し殺した。

「自分の意思で殺した。後悔はしていない」という13歳の皇国民。彼はなぜ、伍長を刺し殺したのか。そして戦争は終わりを迎えつつあった。

「小説推理」2002年2月号〜12月号連載作品を加筆・訂正。



新刊で買って、今頃読む。いつものことだ(なら書くなって)。

『ルール』に続く戦争を舞台にした作品。戦争という時代を知らない我々にとって、戦争を知らない世代である作者が書いた作品をどう読みとるべきか。答えは非常に難しいと思う。一部の人は、戦争を知らない人が書いた作品など、現実と違うから意味がない、みたいなことを言っていた。本当にそうだろうか。それだったら、体験しないことは小説に書くことができなくなってしまう。第二次世界大戦における日本の悲惨さを伝え続けるためにも、このような戦争小説は必要であると考える。

純粋な、あまりにも純粋すぎる少年。それが成瀬の姿である。国の教え通りの思想を持ち、国の教え通りに動く姿。これを今の我々は笑うことが出来るだろうか。これが昔、日本で本当にあった姿であり、模範とされるべき美しい姿であるといわれたのだ。戦争が終われば、思想は180度変わってしまう。成瀬のような少年たちは、いったいどんな思いを抱いたのか。今でも戦争は正しかったと訴える人たちは、戦争によってもたらされた悲劇を見ようとはしない。

この作品をミステリとして読むことは出来なかったが、戦争末期の悲惨さや情けなさ、当時の日本の狂気が伝わってくる切ない作品である。あのころに時代を戻してはいけない。このような発言はいつまでできるだろうか。いつしか日本は、当時のあのころのように戻ってしまうのではないだろうか。そんな恐ろしいことを考えながら、読んでしまった。