平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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夏樹静子『女優X 伊沢蘭奢の生涯』(文春文庫)

女優X―伊沢蘭奢の生涯 (文春文庫)

女優X―伊沢蘭奢の生涯 (文春文庫)



“ああ、私も女優になりたい!" 夫も愛児も故郷の津和野も棄てて、松井須磨子亡きあと、築地小劇場から新時代の女優たちが輩出するまでの約十年間、日本の新劇界を支えて華々しく活躍し、そして彗星のごとく、忽然と逝った伝説の大女優・伊沢蘭奢(らんじゃ)。謎多き女優の波瀾の人生を感動的に描いた著者初の伝記小説。(粗筋紹介より引用)



伊沢蘭奢は明治22年11月16日、島根県津和野町の紙問屋、三浦五郎兵衛の次女として誕生。家業が行き詰まって11歳で一家離散後、東京の伯母宅に身を寄せ、日本女学校を卒業。同郷の薬種問屋である伊藤家に嫁ぎ、男子佐喜雄を産んだ。

夫の仕事の関係で息子と離れ東京に住む。そこで文芸協会の公演「人形の家」を見、松井須磨子の熱演ぶりにうたれると同時に、主人公ノラに感銘を受ける。夫の縁戚にあたる福原駿雄(後の徳川夢声)と交渉を持ち、女優への憧れを捨てきれず大正5年10月に協議離婚。東京に出て上山草人の「近代劇協会」に参加。「ヴェニスの商人」の侍女役で初舞台を踏む。

大正8年島村抱月の死と松井須磨子の自殺。さらに上山夫妻が渡米したことにより、パトロン・愛人だった内藤民治のすすめで畑中寥坡の「新劇協会」に加わり、女優として数々の舞台に立つ。また三浦しげ子の芸名で松竹蒲田へ入社し、映画に出演している。昭和3年の舞台「マダムX」ヒロイン役で大喝采を受けるが、6月7日に脳出血で倒れ、翌日死亡。享年38。



不勉強なことに、伊沢蘭奢という女優がいたことすら知らなかった。この時代に夫と子を捨てる形で東京に出て、女優として一世を風靡するというのは、よほどの苦労をしてきたのだろうと思うが、夏樹静子の淡々とした筆はそのあたりの苦労をあまり感じさせない。女優としての一生よりも、女優としての道を選んだばかりに離ればなれになった息子、佐喜雄への慕情について多く描かれている。作者らしい視点だと思う。伝記文学は誰が書いても面白く読める……かどうかはわからないが、少なくとも私は面白く読んだ。

写真で見る彼女はとても美人で、彫りの深い顔立ちは舞台映えしただろうなと思う。性についてもかなり奔放で、当時出版された自叙伝には、ソビエトへ旅立った愛人のことを思い、秘所へ手を伸ばすなどのシーンが描かれている(当時のことなので、さすがに伏せ字だが)。