平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

長浦京『リボルバー・リリー』(講談社文庫)

 小曾根百合(おぞねゆり)――幣原機関で訓練を受け、東アジアなどで三年間に五十人超の殺害に関与した冷徹非情な美しき謀報員。「リボルバー・リリー」と呼ばれた彼女は、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・細見慎太と出会い、陸軍の精鋭から追われる。大震災後の東京を生き抜く逃避行の行方は? 息をもつかせぬ大藪春彦賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2016年4月、講談社より単行本刊行。2017年、第19回大藪春彦賞受賞。2019年3月、講談社文庫化。

 大藪賞受賞ということでずっと気になっていた作品。ようやく手に取りましたが、うーん。
 小曾根百合と細見慎太がひたすら逃げる物語。かつて息子を亡くした百合が心を取り戻したり、慎太が成長したりする部分はあるのだが、それでも逃げ回る部分が圧倒的に多い。現代が舞台だったら、読むのをやめていたかもしれない。
 この作品の面白いところは、関東大震災後の東京の描写である。復興への活力と、震災の傷跡の苦しみと、そして迫りくる軍人の時代の恐怖。それらが入り混じって丁寧に描かれているから、百合と慎太の逃避行が面白く読める。
 足の悪い少年連れで、隠密行動とはいえ陸軍からの追跡を逃れられるかという点については無視しよう。逃げ切れるかどうかというサスペンスの部分については、あまり面白みがない。百合が活躍する活劇ハードボイルドとして楽しむ一冊。

麻耶雄嵩『メルカトルかく語りき』(講談社ノベルス)

 ある高校で殺人事件が発生。被害者は物理教師、硬質ガラスで頭部を5度強打され、死因は脳挫傷だった。現場は鍵がかかったままの密室状態の理科室で、容疑者とされた生徒はなんと20人! 銘探偵メルカトルが導き出した意外すぎる犯人とは――「答えのない絵本」他、全5編収録。麻耶ワールド全開の問題作!!(粗筋紹介より引用)
 『メフィスト』掲載の4短編に書下ろしを加え、2011年5月刊行。

 ドイツ人が建てたという一階が洋風レンガ造り、二階が和風木造の売り物の屋敷に集まった高校三年男女6人のグループ。夏休みの楽しい集まりのはずが、一人が墜落死。事故死の結論となったが、一年後に五人が同じ屋敷に集まり、殺人事件が起きる。「死人を起こす」。
 メルカトルに完成直前の短編を消されてしまった美袋。メルカトルは次の短編のアイディアを提供しようとやってきたのが、美袋が住むマンションの同じ階の三〇一号室。早く原稿を済ませれば九州旅行に行けるかもしれないと美袋はほくそ笑んでいたが、部屋の中のこたつの脇に、背中に包丁を突き立てられた若い男がいた。「九州旅行」。
 宗教家と、彼を信奉する五人の若者と、使用人二人が住む孤島。“祝福の書”を取り戻してほしいという依頼で訪れたメルカトルと美袋。しかし台風の夜、宗教家が殺害された。「収束」。
 アニメおたくの物理教師が、高校の理科準備室で殺害された。現場は密室、容疑者は放課後に残っていた高校生20人。メルカトルは同推理をするのか。「答えのない絵本」。
 信州の“密室”という地区にあるメルカトルの別荘、“密室荘”。締め切り疲れの美袋はゆっくり休んでいたが、早朝にメルカトルに起こされて連れていかれた地下室には、初めて見る男の死体があった。「密室荘」。

 この短編集を読んでいなかったことに気付き、手に取ってみた。それにしてもメルカトル、ひどい奴。こんな人物に付き合っている美袋の神経が信じられない。
 この短編集に収録されている作品、いずれもとんでもないものだ。推理はあるのだが、そこから先がない。現場の状況と証拠と証言から、緻密な推理がメルカトルの口から流暢に語られるのだが、事件は解決しない。いったいどういう意味か、それは読めばわかる。これも一応本格ミステリなのか。やはり麻耶雄嵩、とんでもない作家である。
 ただ、麻耶ワールドを把握している読者なら楽しめるかもしれないが、それ以外の読者からしたら、何にも面白くない。本格ミステリの読了後に得られるはずのカタルシスが、どこにもない。一昔前の編集者なら絶対書き直させるよな、と思ってしまう。そもそも、麻耶をデビューさせないか。
 麻耶を好きな人にはたまらない、それ以外の人にはもやもやしか残らない短編集。これでも商売が成り立つから、作家としてやっていけるのだろうけれども。

フレデリック・フォーサイス『売国奴の持参金』(角川文庫)

 引退を勧告されたマクレディの聴聞会が再開された。ソ連軍将校団がイギリス軍の演習に招待された時のことだ。演習は、それぞれの思惑を秘めながらも穏やかに進んでいた。ところが一人のソ連将校が逃亡し、アメリカへの亡命を申し入れた。彼の正体はKGB大佐。アメリカは亡命を受け入れた。亡命者は多くの情報をもたらした。CIAはその情報の裏付けをとり、彼を信用し始めていた。だが、マクレディは何か腑に落ちなかった。亡命者の真意は何なのか、スパイ対スパイの息詰まる駆け引きが始まる――。“最後のスパイ小説”マクレディ・シリーズ四部作第二弾。(粗筋紹介より引用)
 1991年、イギリスで発表。1991年10月、角川書店より邦訳単行本刊行。1993年1月、文庫化。

 イギリス秘密情報機関SISのベテラン・エージェント、DDPS(「欺瞞、逆情報及び心理工作」部)部長、通称騙し屋ことサム・マクレディ四部作の第二作。1986年、ピョートル・アレクサーンドロヴィチ・オルローフKGB大佐がアメリカに亡命した事件である。オルローフはCIAに数々の情報をもたらし、CIAの特別プロジェクト部長であるキャルヴィン・ベイリーやその部下のジョー・ロスはオルローフを徐々に信じるようになるが、マクレディはある疑問点を抱く。
 オルローフ、ロス、マクレディというスパイたちによる高度な心理戦。ゴルバチョフペレストロイカ、キム・ウィルビーなど過去のスパイたちといった実在世界を織り交ぜ、ソ連アメリカ、イギリスという大国の思惑も混じり、虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。
 一行も見逃せない、手に汗握る攻防。供述が中心であり動きそのものは少ないが、一つ間違えると地獄へ落ちてしまうという緊迫感がたまらない。これは見事としか言いようがない。第一部より好きだな、自分は。
 フォーサイスってすごいと思わせる一冊。下手に行動するよりも、スパイの世界の恐ろしさを教えてくれる。

トマス・W・ ハンシュー『四十面相クリークの事件簿』(論創社 論争海外ミステリ95)

 元怪盗、現在は名探偵。顔を自由に変えることができる怪人にして、謎の経歴を持つ紳士、四十面相ハミルトン・クリーク。J.D.カーが愛読し、江戸川乱歩が「怪人二十面相」のモデルにしたと言われるクリーク譚の第一作品集を初完訳。「ホームズのライヴァルたち」第五弾。(粗筋紹介より引用)
 1918年に発表した短編集"The Man of the Forty Faces"の内の九編を使って連作長編化し、1913年にイギリス、アメリカで発表。1968年、ポプラ社より児童書として刊行。2011年5月、論創社より新訳単行本刊行。

 イギリスの大衆作家、トマス・W・ ハンシューの晩年の作品。四十面相のクリークといえば、江戸川乱歩怪人二十面相のモデルにした人物。顔がグニャグニャに変化して別人になれる、元は怪盗だったが後に探偵になる、というのは結構有名だったと思うが、肝心の話をほとんど読んだことがない。出版された時から気にはなっていたのだが、ようやく手に取ってみる。Amazonの新刊で買ったのだが、10年経ってもまだ初版だった。
 目次に作品名がない。あれ、事件簿だろ、これと思いながら読み始めてみると、プロローグで怪盗から探偵になってしまう。意外だなと思いながら読み進めると、章分けしかないのに一つ一つ事件を解きながら、話が進んでいく。長編なの?、それとも連作短編集?などと思いながら読み進めていった。解説を読んで、ようやく短編集を連作長編化したと分かった。
 それにしても、古色蒼然とした作品である。貴族の娘に恋して怪盗を辞め、探偵に生まれ変わる。稼いだ金は今まで迷惑をかけてきた人たちにこっそり返す。娘に恋人がいると知ってがっくりし、事件の解決に失敗する。なんなんですか、この人。あまりにも人間臭い。そして大時代的。小学校の頃に図書館で南洋一郎のルパンを読んで楽しんだ人には、楽しめるかもしれない。それぐらい懐かしい。それ以外の人には……どうだろう。子気味よいテンポで話が進むので、100年以上も前に書かれたということを頭に入れておけば、トリックのあるサスペンスロマンスとしてそれなりに楽しめるとは思う。
 プロローグの交通巡査をだますトリックは、横溝正史が後に少年もので多用する。第一、第二章は長編化に際しての書き下ろし。第三~五章は短編「六本の指」("The Riddle of the Ninth Finger")。第六~十章は短編「赤い蠍」("The Problem of the Red Crawl")。ほとんど乱歩の少年ものである。第十一~十四章は短編「鋼鉄の部屋の秘密」("The Mystery of the Steel Room")。第十五~十八章は短編「ライオンの微笑」("The Lion's Smile")。藤原宰太郎の推理クイズでよく見たあのトリックが出てくる。多分一番有名な短編じゃないだろうか。第十九~二十三章は短編"The Riddle of the Sacred Son"。この時代に指紋を調べるミステリがあったことにちょっと驚き。第二十四~二十六章は短編「魔法の帯」("The Wizards Belt")。人間消失もの。第二十七~二十九章は短編「木乃伊の函」("The Caliph's Daugtter")。第三十~三十五章は短編集にはない話。この時代にこのトリックがあったのかと思った。エピローグは短編「虹の真珠」("The Riddle of the Rainbow Pearl")。クリークの過去が明かされる。

オーエン・セラー『ペトログラード行封印列車』(文藝春秋)

 1917年、ロシアで二月革命が起きた。世界戦争(第一次世界大戦)中のドイツはロシアを戦争から切り離すため、ドイツとの和平を条件にチューリッヒに亡命しているヴラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフ(後のレーニン)と妻ナージャ、その片腕グレゴリー・ジノヴィエフらをロシアへ帰国させようとする。チューリッヒからドイツ、スウェーデンフィンランドを経てロシアのペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)へ向かうのだが、ドイツ領内では列車から離れず、ドイツ市民と接触させないようにしたため、封印列車と呼ばれた。ドイツ外務省帝国東方情報局員であり、内心ではウリヤーノフを尊敬しているカスパー・エーラーは、作戦を成功させるべくチューリッヒに飛び、ウリヤーノフと接触するが、ロシア秘密警察も動いていた。
 1979年、イギリスで発表。1981年8月、邦訳単行本刊行。

 実際に起きた、封印列車によるレーニンの帰国を舞台としたエスピオナージ。ということで、実在の人物と小説の人物が入り混じる。この人数が多い。多すぎる。登場人物一覧にも載っていない人物が山ほど出てくるし、ドイツ名やロシア名だから読みにくいし覚えづらい。それに、このレーニンの封印列車は有名らしいのだが、全く知らなかった。この歴史的事実を知っていれば、もう少し楽しく読めたのだと思う。
 中盤になってエーラーが動き出すと、ようやくページをめくる手に力が入ってくる。ウクライナが絡むところは、現状を考えると色々と考えさせられる。ロシア秘密警察との攻防は、読んでいて迫力がある。
 ただレーニンのその後を多少なりとも知っていると、読了後の満足度はもう一つ。史実を知っていても楽しめるほどの面白さには、残念ながら到達しなかった。歴史の裏舞台をもう少し匂わせてくれると、まだ違ってくるのになと思いながら読み終わってしまった。
 オーエン・セラーはスパイものを中心に執筆していて、イギリスでは有名な作家とのこと。ロンドン在住の公認会計士だそうだ。