平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

森詠『雨はいつまで降り続く』上下(講談社文庫)

 元M新聞サイゴン特派員の矢沢建彦のもとへ、シェーというベトナム人から一通の手紙が届いた。ベトナム戦争当時、戦闘中に死んだはずの友人でジャーナリストの叶吾郎が生きているというのだ。叶の行方を探すため、矢沢は急遽、バンコックへ向かった。ベトナムに生き、愛し、闘った男たちへのレクイエム。(上巻粗筋紹介より引用)
 花は揺れていた。咲いた花が雨に打たれる。雨よ、いつまで降り続くのか……矢沢の耳には、昔の恋人で反戦歌手だったドー・チー・ナウの悲哀に満ちた歌声が今も響く。ナウの悲惨な死には隠された大きな謎があった。ベトナムに潜入し、叶を探すうちに矢沢はナウの死の謎をも図らずも解くことになったのだった。(下巻粗筋紹介より引用)
 1985年2月、講談社より単行本刊行。1988年2月、文庫化。

 

 森詠の作品を読むのは久しぶり。解説によると本書は「80年代のいまもなおベトナム体験にこだわりつづけている一人の男の行動を描いて、日本人にとってベトナムとはなんであったか」を追求した作品とのことである。
 ベトナム戦争終了後のベトナムを描いた作品で、当時の戦争の傷跡と、そして残された混乱が色濃く残っている。10年前の戦争当時に死んだはずの友人が生きていたという話を聞き、社会主義国家となったベトナムへ潜入した元日本人記者の苦闘を描いた冒険小説。ベトナム戦争というと、あの有名な絵本と、『サイボーグ009』などで描かれているのを読んだくらい。『マンハッタン核作戦』では、武器商人がお金の代わりにヘロインで武器を北ベトナムに売っていたなあ。さすがに当時の報道は見ていないので、ベトナム戦争そのものを自分はほとんど知らないといっていい。だからこそ、そしてこんな時期だからこそ色々興味があったのだが。
 ベトナムの風景はよく描けているとは思うけれど、展開はやっぱり都合がいいなと思わせるもの。いくら当時のベトナムにいたことがあるとはいえ、やっぱり素人だろ、主人公、とは言いたくなってしまう。いくら仲間がいるとはいえ、素人がプロに勝つには、それなりのリアリティが欲しいよね、特に冒険小説だったら。それに矢沢という人物にも、可能という人物にもあまり好感が持てなかったことが、今一つな気分になった大きな原因だと思う。矢沢が借金するくだりなんて、本当にご都合主義すぎると思った。その後も割と簡単に手助けしてもらっているし。
 ただ、当時のベトナムの傷跡は生々しく残っていた。戦争というものの虚しさは浮かび上がるものだったと思う。ただ、日本人がベトナム戦争にどうかかわっていたかは、ほとんどわからなかった。一部の人以外にとっては、対岸の火事程度のものだったのだろうか。
 当時の冒険小説としてはよかったのだが、今読むとちょっときつい。もうちょっと書き込みが欲しかった。

R・V・ラーム『英国屋敷の二通の遺書』(創元推理文庫)

 植民地時代に英国人が建築し、代々の主が非業の死を遂げたと伝えられるグレイブルック荘。元警察官のアスレヤは、現主人であるバスカーの招待でこの屋敷を訪れた。財産家の彼は何者かに命を狙われており、数々の事件を解決へ導いたアスレヤの助力を求めたのだ。バスカーは二通の遺書を用意していた。どちらが効力を持つのかは、彼の死に方によって決まる。一族の者と隣人たちが集まり、遺書が彼らの心をざわつかせるなか、ついに惨劇が! アスレヤは殺人事件と屋敷をめぐる謎に挑む。インド発、英国犯人当てミステリの香気漂う精緻な長編推理。(粗筋紹介より引用)
 2019年、ハーパーコリンズ・インディアから刊行。2022年3月、邦訳刊行。

 

 作者はインド生まれで、コンサルタントとして永年活動。2014年に作家デビュー。本作は初の犯人当てミステリで、2020年にはアメリカ、2021年にはイギリスで刊行された。
 インドの南部にあるタミール・ナードゥー州、ニルギリ丘陵にあるグレイブルック荘が舞台。地崩れで道が封鎖された屋敷の敷地にある礼拝堂で、殺人事件が発生する。招待されていたアスレヤが事件解決に挑む。
 読んでいて思ったのは、古き良き英国本格ミステリの香りである。スタンダードすぎる舞台。当主の息子や甥、姪たちに加え、地元の村人たちが集うという、動機がありそうな面々がそろうパーティー。紳士的な名探偵が、殺人事件だけではなく、屋敷を取り巻く謎を解き明かす。まさに古典といってもいい設定である。ただ、地崩れで封鎖された道はすぐに復旧されて警察はやってくるので、そこはちょっと残念。
 ちょっと気に入らないのは、後出しの情報が多いところ。それも名探偵役のアスレヤが、どうやって推理して探させたのだろうかと思う情報が次々に出てくる。警察だったら地道に多くの道をしらみつぶしに探すところを、地図も無しに解決まで近道を一直線に進んでいくところがどうしても気になった。結局大した推理もなく、探し当てた情報だけで解決してしまうし。帯には「犯人当て」と書かれているけれど、読者が推理で犯人を当てるのは無理だよね、これ。
 ただその点を除けば、読んでいて楽しかった。黄金時代の書式に沿って書かれたとしか思えないぐらい、本格ミステリの舞台と登場人物たちが丁寧に書かれている。ここまで基本通りに書かれた作品を読むと、逆に面白い。インドが舞台という点が新鮮であるからだろう。
 古き良き本格ミステリの雰囲気を楽しみたい人にはお勧めしたい一冊。アスレヤシリーズの続編もすでに出ているとのことなので、邦訳を待ちたい。

犯罪の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html
無期懲役判決リスト 2022年度」に1件追加。

 次の更新は、土曜日の予定です。メールで情報を送っていただいた皆様、ありがとうございます。返信が遅くなっています。申し訳ありません。

河野典生『他人の城/憎悪のかたち』(創元推理文庫 日本ハードボイルド全集第3巻)

 妹の真理を探してほしい――作家の高田は、三村という青年医師から依頼される。真理は、高田が以前書いたルポルタージュに登場する女性だった。捜査の過程で、関係者の死体や三村家の内情などに直面する高田だが、真理本人にはなかなかたどりつかない……。一見ありふれた失踪事件が忘れがたき余韻を残す直木賞候補作の長編『他人の城』に加え、五つの傑作短編を収録。日本独自のハードボイルドを生み出すことに極めて意欲的であり、人物・構成・文体とあらゆる面で模索を続けた河野の初期代表作を集成する。巻末エッセイ=太田忠司/解説=池上冬樹。(粗筋紹介より引用)
 2022年1月、刊行。

 

 正統派ハードボイルドの第一人者であった河野典正の代表作を集めた一冊。長編の代表作の一つ『他人の城』は、ロス・マクドナルド風のハードボイルドを自らの作風として取り込み、日本ならではのハードボイルドを生み出すことに成功した輝かしい作品である。
 戦後の混乱によって生み出された者たちが織り成す悲劇を、ハードボイルドの視点で書かれた作品群は、時代背景こそ古いかもしれないが、今読んでもその光の輝きを失っていない。
 ただ作者は、徐々に純文学や中間小説、SFなど様々な作品を書くようになり、『アガサ・クリスティ殺人事件』のような本格推理小説の傑作も残している。できれば後期にも名を残すようなハードボイルドの傑作を描いてほしかったと思うのだが、これは単に私の見識不足だろうか。

若竹七海『錆びた滑車』(文春文庫)

 女探偵・葉村晶は尾行していた老女・石和梅子と青沼ミツエの喧嘩に巻き込まれる。ミツエの持つ古い木造アパートに移り住むことになった晶に、交通事故で重傷を負い、記憶を失ったミツエの孫ヒロトは、なぜ自分がその場所にいたのか調べてほしいと依頼する――。大人気、タフで不運な女探偵・葉村晶シリーズ。(粗筋紹介より引用)
 2018年8月、書下ろし刊行。

 

 「仕事はできるが不運すぎる女探偵」葉村晶シリーズ第五作となる書き下ろし長編。
 尾行中に喧嘩中に階段から落ちてきた二人に巻き込まれ、怪我をする葉村。冒頭から不運としか言いようがない。おまけに建て替えのためにシェアハウスを引越ししなければならない。その後も色々と不運な出来事に巻き込まれ、挙句の果てに報酬を超えた働きを続けなければならない。怪我も負って散々で、さらに胸糞悪くなるような事件に挑む羽目になる。不運の連鎖が続くと、作者に嫌われているとしか思えない(笑)。
 タフな葉村の活躍と苦悩を描き続けているこのシリーズだが、本作は本当に最悪最低な事件。前半に関しては、読む面白さよりも内容の腹立ちの方が強くて、読み続けるのに苦労した。結末まで読んで、事件が解決しても、何も救いがないというのは本当につらい。だけど、読んでいると面白いし、葉村晶に共感してしまう。そこがやっぱり、作者の腕なんだろうとは思う。
 飛び飛びで読んでいるので、ここらでシリーズの残りの作品を読んでしまおうかとは思っているのだが、ここまで苦みが心に残ってしまうのもちょっとなあ。