平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

樋口有介『うしろから歩いてくる微笑』(創元推理文庫)

 鎌倉在住の女性薬膳研究家・藤野真彩と知り合った柚木草平。10年前、高校二年生の時に失踪した同級生の目撃情報がこのところ増えているので調べてほしいと彼女はいう。早速、柚木は鎌倉に<探す会>事務局を訪ねるが、これといった話は聞けなかった。しかしその晩、事務局で詳細を訪ねた女性が何者かに殺害された――。急遽、殺人事件に調査を切り替えた柚木が見つけた真実とは? 娘の加奈子や、月刊EYESの小高直海らおなじみのキャラクターに加え、神奈川県警の女性刑事など今回も美女づくし。円熟の筆致で贈る<柚木草平シリーズ>最終巻。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ』No.88~No.94連載(2018~2019年)。2019年7月、東京創元社より単行本刊行。2022年3月、文庫化。

 

 なぜか美女ばかりに囲まれる永遠の38歳の私立探偵、“柚木草平”シリーズの第12作、長編第9作。樋口有介は2021年9月に亡くなり、本作がシリーズ最終作となった。帯では、柚木の生まれ故郷である札幌に行く完結編の構想があったというので、残念だ。
 シリーズキャラクターの加奈子や小高直海は登場するが、前作で動きのあった吉島冴子は登場していない。前作『少女の時間』に出てきた山代千絵、美早親娘より紹介された藤野真彩からの依頼で、柚木は10年前の少女失踪事件を追うこととなる。舞台が東京ではなくて鎌倉となるのは初めて。そういう意味では目新しいが、根幹は変わらない。相も変わらず美女ばかりが出てくるし、柚木はなんだかんだ美女にはモテて、そして悩まされてばかりである。少しばかり腹が出てきた、というアラフォーの中年がなぜこんなにモテるんだ、という突込みはさておいて、軽口ばかりを叩く(ややセクハラな)ユーモアと、その裏にある温かい目線も変わらない。そしてしっかりと事件の真相に迫っていくのもさすがである。それにしても、からかわれながらもなんだかんだ最終的にはブラカップを教える鎌倉中央署の女性刑事の立尾芹亜、脇が甘すぎないか。毎度のことながら、酔っ払って独身男性の部屋に泊まっても襲われないと信頼している小高も、ある意味図太い。逆にそういう関係を迫られてもいいと思い込んでいるのかもしれないが。
 ただ本作は、失踪事件や殺人事件の真相こそ明かされるものの、終わり方がちょっと曖昧なところがあるのは気にかかった。もうちょっと後日談が欲しかった。
 解説の杉江松恋による、登場女性一覧は労作。これを見ると、意外とレギュラーキャラクターが少ないことがわかる。女性たちを見ると、当時読んだ内容が思い出せるという意味でも素晴らしい。逆にこういう一覧を見てしまうと、もう次作がないのだと気づかされてしまい、残念である。
 出来栄えに比べて評価が低い気がするが、日本のハードボイルド史には欠かすことのできないシリーズ、キャラクターであったと思う。このシリーズを書き続けてくれたことに感謝したい。

島田荘司『アルカトラズ幻想』上下(文春文庫)

 1939年、ワシントンDC近郊で娼婦の死体が発見された。時をおかず第二の事件も発生。凄惨な猟奇殺人に世間が沸く中、恐竜の謎について独自の解釈を示した「重力論文」が発見される。思いがけない点と点が結ばれたときに浮かびあがる動機――先端科学の知見と奔放な想像力で、現代ミステリーの最前線を走る著者渾身の一作!(上巻粗筋紹介より引用)
 猟奇殺人の犯人が捕まった。陪審員の理解は得られず、男は凶悪犯の巣窟・孤島の牢獄アルカトラズへと送られる。折しも第二次世界大戦の暗雲が垂れ込め始めたその時期、囚人たちの焦燥は募り、やがて脱獄劇に巻き込まれた男は信じられない世界に迷い込む。島田荘司にしか紡げない、天衣無縫のタペストリー。(下巻粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』連載。2012年9月、文藝春秋より単行本刊行。2015年3月、文庫化。

 

 全部で四章に分かれている。第一章は、2件の凄惨な猟奇事件。第二章はその犯人が書いた、恐竜の進化の謎に迫る重力論文。第三章は誰も成功したことのないアルカトラズからの脱獄。第四章はアルカトラズの地下世界にある謎のパンプキン王国。これだけ見ると、脈絡が全くない。どうつながるか想像もつかないだろうが、すべて一人の主人公が関わっている。そしてエピローグで、すべての章が繋がることとなる。
 島田荘司らしい奇想というか、力業というか。良くも悪くも、ここまで強引な話をまとめることができるのは、島田だけだろう。特に第二章の「重力論文」には色々な意味でよく考えるよといったものなのだが、これも島田荘司のオリジナルとのこと。
 それぞれの章は面白いと言えば面白いのだが、無理しているなという印象も強い。言っちゃえばトンデモの一歩手前、いやすでに踏み出しているか。読んでいる途中は面白いけれど、読み終わったら呆気に取られてしまう。作者にお疲れさまとは言いたい。

東野圭吾『赤い指』(講談社)

 金曜日の夜、会社から帰ろうとした前原昭夫の携帯電話が鳴った。出てみると、うろたえた声の妻の八重子。とにかく家に帰ってきてほしいというのだが、痴呆症の老母の介護をしてくれている妹の春美には来てほしくないという。帰った昭雄は八重子に言われるがまま庭を見てみると、そこには知らない女の子の死体があった。中学三年生の息子である直巳が殺害したのだった。警察に電話しようとする昭夫だったが、過保護な八重子は直巳の将来を考えて何とかしてほしいと訴える。しかたなく自転車で近くの公園の公衆便所に遺棄した直巳だったが、警察の手は徐々に近づいていった。
 『小説現代』1999年12月号に掲載された「赤い指」をもとに書き下ろされ、2006年7月刊行。

 

 東野圭吾直木賞受賞後第一作。加賀恭一郎シリーズではあるが、今までスルーしていたのでこの機会にと思って本棚から手に取ってみた。
 二つの物語が並行で進行する。一つは殺人事件を起こした息子に苦悩しながら対処する前原一家の話であり、もう一つは練馬署の刑事である加賀恭一郎の父親である隆正が癌で入院しており、甥である警視庁の松宮脩平は隆正を見舞いに行くとともに、癌に侵されて手術も不可能な状態なのに見舞いに来ない恭一郎に怒りを見せている。
 親子の関係をキーワードにしつつ、刑事側と犯人側で物語が進行。所々で見えない感情をオーバーラップさせながら事件を解決させていくストーリーの組み立てがうまい。テクニックが先立っているような気もするが、作者に翻弄されるのは仕方がないか。ちょっとした疑問点と注意力で、家族の嘘を見抜いていく加賀恭一郎はさすがというしかない。
 それでもなあ、どこか作り物めいている印象が強いのは、最近の東野圭吾からくる悪感情からという気がしなくもない。読みやすいのは事実だが。

鳥飼否宇『死と砂時計』(創元推理文庫)

 死刑執行前夜、なぜ囚人は密室状態の独房で惨殺されたのか? どうして囚人は、人目につく満月の夜を選んで脱獄を決行したのか? 墓守が自ら一度埋めた死体を再び掘り返して解体した動機は――。世界各国から集められた死刑囚を収容する特殊な監獄に収監された青年アランは、そこでシュルツ老人に出会う。明晰な頭脳を持つシュルツの助手となった彼は、監獄内で起きる不可思議な事件の調査に係わっていく――。終末監獄を舞台に奇想と逆説が全編を覆う、異形の本格ミステリ。第16回本格ミステリ大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2015年1月、創元クライム・クラブより単行本刊行。2016年、第16回本格ミステリ大賞受賞。2017年5月、文庫化。

 

 世界中に人権保護の思想が行き渡り、死刑制度は有名無実化していた。しかし凶悪犯罪は増加し、死刑判決は増えても事実上無期懲役化し、監獄は終身介護施設と化し、市民の血税で凶悪犯が生き続けるという構図が誕生した。そこに目を付けた中東の弱小国家ジャリーミスタン首長国の独裁権力者、サリフ・アリ・ファヒールは、1990年に終末監獄を建設。世界各国から死刑囚を集めて実際に処刑を行った。一人当たりの費用は数万米ドルと言われている。こうして世界中の死刑囚が終末監獄に集まるようになった。死刑囚は体のどこかにマイクロチップを埋め込まれ、電子監視システムで厳重に管理されている。いつ処刑されるかは、ファヒール次第であり、送り込まれた順番ではない。
 両親殺しで死刑判決を受けた三十歳代のアラン・イシダは、第二収容棟の棟長で生き字引であるトリスタン・シュルツの助手となり、監獄内での不可思議な事件に係る。
 明日執行されるはずの死刑囚二人が、それぞれ鍵のかかった独房で、しかも持ち込むことが許されない刃物でどうやって惨殺されたのか。「魔王シャヴォ・ドルマヤンの密室」。
 中国人の名医の死刑囚は、どうやってマイクロチップの電子管理システムをかいくぐり、人目につきやすいはずの満月の夜に監視員をロープ状のもので絞殺して脱獄することができたのか。「英雄チェン・ウェイツの失踪」。
 もうすぐ定年を迎える監察官は、なぜ監察中に死ななければならなかったのか。「監察官ジェマイヤ・カーレッドの韜晦」。
 墓守は処刑された死刑囚を一度土葬にした後、なぜ再び掘り返して解体したのか。「墓守ラクパ・ギャルポの誉れ」。
 女死刑囚は男性のいない収容棟でどうやって懐妊することができたのか。「女囚マリア・スコフィールドの懐胎」。
 アラン・イシダは4日後に処刑されることが言い渡された。独房の中でアランは、過去に自らが犯した事件を振り返る。「確定囚アラン・イシダの真実」。

 

 世界中の死刑囚を集めて代理で処刑するという設定は、間違いなく実行は不可能であるけれど、極限状況と絶対管理という舞台を生み出すには非常に面白いものである。さらに不可能状況を生み出すには、実に都合がよい。うまい設定を考えたものである。
 「魔王シャヴォ・ドルマヤンの密室」のシチュエーションは、どうしても法月綸太郎「死刑囚パズル」を思い起こすものであるが、もちろんそれとは別の理由、トリックが使われており、さすがというべきか。
 他の作品も、極限状況化ならではの事件ならびに解決であり、本格ミステリとしての楽しさも十分に味わえる。そして最後の作品とエピローグ。見事としか言いようがない落としどころである。今後どうなるのか、気になるところではあるが。
 本格ミステリ大賞を取ったのもうなずける傑作である。

 

 次の更新は24日の予定です。