平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

誰か書くだろうと思っていたら、やっぱり書いた人がいた

「直感に反して、死刑制度に犯罪抑止効果がないことは知られていますが、最近では寧ろ、死刑制度が犯罪を誘発さえしている事件が目につきます。最高刑が無期懲役だったら、この手の犯罪の動機にはならないのでは? 日本も死刑制度を廃止すべきです」(平野啓一郎の11月2日のツイッター https://twitter.com/hiranok/status/1455330623028031488
 京王線の事件についての芥川賞作家の平野啓一郎私見。この事件の犯人が「死刑になりたくて行った」と発言したというニュースを受けてのもの。“死刑制度に犯罪抑止効果がない”というが、100%ないというわけではないことは、例えば闇サイト事件で自首した人物の発言からわかっている。少しでも抑止効果があるのであれば、制度を廃止する理由はないと思うけれどね。それに2018年6月「東海道新幹線乗客無差別殺傷事件」は無期懲役になりたくて事件を起こしているが、こういうときは「無期懲役制度を廃止すべき」とでも言うつもりかな。刑務所に入りたくて犯罪を繰り返す人が結構いるけれど、「刑務所をなくすべき」とでも言うつもりかな。
 だから、死刑になりたくて犯罪を犯す人がいるから死刑廃止すべき、という意見には全く同意できない。

ジャック・フィニイ『ふりだしに戻る』上下(角川文庫)

 女ともだちの養父の自殺現場に残された一通の青い手紙。その謎の手紙は90年前、ニューヨークで投函されたものだった。
 ぼく、サイモン・モーリーはニューヨーク暮らしにすこしうんざりしはじめていた。そんなある昼下がり、政府の秘密プロジェクトの一員だと名のる男が、ぼくを訪ねてきた。プロジェクトの目論みは、選ばれた現代人を、「過去」のある時代に送りこむことであり、ぼくがその候補にあげられているというのだ。ぼくは青い手紙に秘められた謎を解きたくて「過去」に旅立つ。
 鬼才ジャック・フィニイが描く幻の名作。20年の歳月を超えて、ふたたび蘇る。(上巻粗筋紹介より引用)
 1882年真冬のニューヨーク。焼け焦げた、青い一通の手紙を追って、ぼくはここへやってきた。まだ自由の女神は建っておらず、五番街やブロードウェイは馬車でいっぱいだ。現代では想像もできないこの美しい街で、ぼくは青い手紙の投函主をつきとめた。謎は次々に氷解していった。しかし、失われたニューヨークで得た恋人とともに、大火災と凶悪犯罪のぬれぎぬを逃れ、「現代」に帰ってきたぼくを待っていたものは、悪意に充ちた歴史の罠だった――。
 「過去」への限りない愛惜と「現代」への拒絶をこめたファンタジィ・ロマンの大作。(下巻粗筋紹介より引用)
 1970年、発表。フィニイの六作目の長編。1973年7月、角川書店より邦訳単行本刊行。1991年10月、文庫化。

 

 個人的にフィニイはミステリ作家としての印象が強いのだが、どちらかと言えばSF作家としての方が世間的にはイメージが強いのかな。単に自分があまり読んでいないせいかもしれないが。
 広告会社のイラストレーターであるサイモン(サイ)・モーリーが、ルーベン(ルーブ)・ブライアント少佐に誘われ、ある政府の秘密プロジェクトに参加する。マンハッタンにある巨大倉庫の中にあったのは、過去の時代のセットが区画ごとに作られていた。そのプロジェクトというのは、セットの時代に同化し、自己暗示によって過去に行くというもの。サイはガールフレンドで骨董店主のキャサリン(ケイト)・マンキュソーから見せられた青い手紙の謎を知りたかった。ケイトの養父の父であったアンドリュー・カーモディが猟銃で自殺した時に残されていた青い封筒。誰がその封筒を投函したのか。そして自殺した謎は。サイは1882年のニューヨークへ行き、謎をつきとめるが、下宿先の娘、ジュリア・シャーボノーと恋に落ちる。そしてプロジェクトの正体に巻き込まれ、さらにニューヨークワールドビルの大火災に巻き込まれる。
 タイムトラベルものとして名前が挙がる作品だが、その方法が暗示によって時代を飛ぶという、タイムマシンすら出てこない方法というのは、凄いというべきなのか呆れるべきなのか。過去の描写があまりにも細々としていて、さらに当時の写真やイラストまで挟まれるというご丁寧ぶり。執筆時点のニューヨークを知っている人からしたら、時の流れを楽しめるのかもしれないが、私は執筆時点の現代のニューヨークもろくに解っていないので、丁寧すぎるぐらいの描写が退屈で仕方がなかった。まあ、ラジオすらない当時の下宿暮らしの部分は面白かったが。上巻は本当に退屈だったが、下巻からの展開は面白い。いくら魅力的だからといって、現代の恋人と簡単に別れ、過去の人物と恋するサイモンという人物にどういったらいいのかわからないが、プロジェクトが軍人たちのものになり、巻き込まれていくサイモンはちょっと悲しいと思いつつ、自分の思いに忠実に動くところは感心した。それとミステリ的な仕掛けもちょっとだけあったことは嬉しかった。ちなみに大火事は、実際にあった事件とのこと。アンドリュー・カーモディはもちろん実在しない人物だが。
 作者のノスタルジックな想いが全編に溢れている作品。しかし現代を拒絶するその想いは、私にはちょっと届かなかったかな。タイトルは本当にうまいと感じたが。

エイモス・アーリチァ、イーライ・ランドウ『暗殺名はフェニックス』(ワニの本 海外ベストセラーズ)

 1977年、リビアの若き指導者カダフィ大佐は、イスラエルとエジプトの中東和平工作を阻止するため、黒幕とみなされるイスラエル外相ダヤンの暗殺を命ずる。そこでリビア情報部は3人の国際的殺し屋を調達した。
 パリ・モード界の女王で毒殺の専門家シャーロット夫人。もう1人はジャーナリストで爆発物専門のギブスコッフ。最後の1人は暗号名フェニックス――だが、仲介者さえ本名も素顔も知らないこの謎の人物は、各地に秘密のアジトを持ち、複数のパスポートを使いわける変装の名人で、ラムのコーク割りしか飲まない冷酷な暗殺者である。
 このトップクラスの殺し屋は、契約料として50万ドル、成功報酬としてなんと、250万ドルを要求。一方、リビア側も、もし暗殺の前に標的が死んだ時は、1セントも支払わないという条件をつける。この条件に不信を抱いたフェニックスは、自分の他にライバルが2人いることをつきとめたのだった。
 ライバルを倒す、と同時に、標的ダヤンを撃つ――この二重の使命を負ったフェニックスと秘密情報部との息詰まる攻防戦が始まった……。
 イスラエル秘密警察の元高官と、ジャーナリスト(共に、ダヤンの配下として働いた経験をもつ)が、精通した知識と経験をもとに描いたスパイ・スリラー久びさの話題作!(粗筋紹介より引用)
 1979年6月、アメリカで発表。1979年11月、邦訳刊行。

 

 訳者のあとがきによると、エイモス・アーリチァは最近までイスラエル警察機構のなかで警視正に相当する要職で活躍していた。イーライ・ランドウはイスラエル情報部のめあましい大成功といわれる「ウラニウム船作戦」の実録をシグネット・ブックに共著の形で発表した作家のひとり。二人はモシエ・ダヤンが「ハイヨム・ハゼー」紙の編集主幹をやっていたとき、ともに副編集長として仕事をしたことがあるという。
 40年前の作品だから、カダフィ大佐も若い。本編では出てこないけれど。エジプトとイスラエルが1979年に平和条約を結ぶ直前の話。条約の黒幕であるイスラエルのダヤン外相の暗殺計画に動くリビアと、それを阻止するイスラエル情報部との裏の争いを描いた一冊。実際にあったかどうかはわからないが、秘密警察の元高官とジャーナリストが描いた作品なので、リアリティは十分。当時の情勢を知るのにもいいかな。
 なんといっても目玉は、失敗をしたことがないという暗号名フェニックスが、どのようにして殺人計画を立てるか。また、ライバルとなるほかの殺人者たちをどう倒するのか。逆にイスラエル情報部がどのようにしてフェニックスを追い詰めるのか。ただ、最後の殺人方法がちょっと拍子抜けかな。やっぱり重要人物の暗殺って、ライフルを使った狙撃、というイメージが強い。もちろんそんなことをしたら、たとえ狙撃に成功しても捕まるだろうから、そんな手段はとらないだろうけれど。ただ、慎重な暗殺者にしては、接触する人物が多い計画だな、という印象である。できるだけ接触する人物を減らし、足取りを捕まらせないようにしそうなものだが。
 ちょっと古いけれど、当時の緊迫した情勢を勉強しながら、楽しく読むことができた。まあ、作家だったらもう少し派手なシーンを入れそうな気はするが。

伏尾美紀『北緯43度のコールドケース』(講談社)

 博士号取得後、とある事件をきっかけに大学を辞めて30歳で北海道警察に入り、今はベテラン刑事の瀧本について現場経験を積んでいる沢村依理子。ある日、5年前に未解決となっていた誘拐事件の被害者、島崎陽菜の遺体が発見される。犯人と思われた男はすでに死亡。まさか共犯者が? 捜査本部が設置されるも、再び未解決のまま解散。しばらくのち、その誘拐事件の捜査資料が漏洩し、なんと沢村は漏洩犯としての疑いをかけられることに。果たして沢村の運命は、そして一連の事件の真相とは。(帯より引用)
 2021年、第67回江戸川乱歩賞受賞作。応募時タイトル「センバーファイ―常に忠誠を―」。加筆修正のうえ、2021年10月、単行本刊行。

 

 作者は北海道生まれ、在住で産業翻訳家。長編ミステリの執筆、応募は初めてとのこと。応募時タイトルの"センバーファイ"とはラテン語の"Semper fidelis"の通常口語体、"Semper Fi!"であり、「常に忠誠を」を意味する。アメリ海兵隊の公式標語となっている。コールドケースは未解決事件、迷宮事件のこと。
 選評を読むと、大体同じようなことを言っている。
「特に序盤、書き方がちょっと読者に不親切すぎて首を傾げたくなった」「小説としてこなれていないところも多い」(綾辻行人
「読後感が「うわあ」。これ、作者が詰め込みすぎているからだ」(新井素子
「惜しむらくは小説としての体裁が整えられていない」「構造的にブレがあるため、主役が誰なのか明確になるのも中盤以降である」(京極夏彦
「"候補作中最も興味深い謎を提示していながら、同時に最も読みにくい作品でもありました。それは小説としての拙さに由来するものです」「警察小説としての部分に新鮮味はなく、本筋や時系列をいたずらに分かりにくくしてあるだけで、全部不要であると思いました」(月村了衛
「候補作中、一番小説が下手でした」(貫井徳郎
 ほとんど仰る通りで、だいぶ加筆修正しているようだが、まだ読みにくい。前半部分ももう少し主人公の沢村依理子をピックアップした書き方にすべきで、修正しきれていなかったようだ。時系列的にも読みづらいし、この方面に関しては小説技術の向上に期待するしかない。
 「詰め込みすぎ」というのもその通り。メインの誘拐と死体遺棄事件や容疑をかけられた捜査資料漏洩だけでなく、少女売春グループとグループ内のリンチ殺人事件、沢村の大学院時代の恋人自殺とオーバードクター問題、沢村の転職や沢村の妹の家庭内問題、さらに沢村の父親の認知症。何もこんなに詰め込まなくても、というぐらいに内容が多い。最低でも少女売春の一件を削れば、メインの事件にもう少し深みを持たせる描写ができたと思う。特にクライマックスの、沢村が犯人を追い詰めるシーン。犯人の心理描写を表に出し切れていないため、告白が唐突である。
 一方、ミステリとしての謎の部分については皆選評で誉めているのだが、これまたご指摘通り。特に小説のメインとなる誘拐事件の真相は面白い。主人公の沢村だけでなく、他の登場人物の描写も悪くない。どの人物もいろいろと悩みや問題を抱えており、そちらについては過不足なく書かれているし、ストーリーに絡み合わせた処理の仕方は巧みだった。警察組織の闇の部分も描写がうまい。なんてったって、問題だらけの道警だし。
 沢村という主人公、ドラマやシリーズものにしやすい造形だとは思った。38歳、独身。東京の大学院で、警察とは何の関係もない経営組織学で博士号取得。30歳で警察官になり、今は生活安全課防犯係長。恋人が自殺した過去から恋愛には臆病。今でも経済学の本を枕元に置き、クラシックを聴く。おそらく続編も、この人が主人公だろうな。
 期待値込みの受賞ではあるが、次作への引きになるような人間関係もあるし、悪くはない作品ではあった。そう、「悪くはない」という言葉がぴったりくるんだよな。確かにこれは、受賞させないのは勿体ない。だけど「いい作品」だったとは言えなかった。次作以降も書き続け、もうちょっと整理整頓できるようになれば、テレビ朝日の人気刑事ドラマシリーズぐらいにはなれそう。