平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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アンソニー・ホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件』上下(創元推理文庫)

 『カササギ殺人事件』から2年。クレタ島でホテルを経営する元編集者のわたしを、英国から裕福な夫妻が訪ねてくる。彼らが所有するホテルで8年前に起きた殺人事件の真相をある本で見つけた──そう連絡してきた直後に娘が失踪したというのだ。その本とは名探偵<アティカス・ピュント>シリーズの『愚行の代償』。かつてわたしが編集したミステリだった……。巨匠クリスティへの完璧なオマージュ作品×英国のホテルで起きた殺人事件! 『カササギ殺人事件』の続編にして、至高の犯人当てミステリ登場!(上巻粗筋紹介より引用)
 “すぐ目の前にあって──わたしをまっすぐ見つめかえしていたの” 名探偵<アティカス・ピュント>シリーズの『愚行の代償』を読んだ女性は、ある殺人事件の真相についてそう言い残し、姿を消した。『愚行の代償』の舞台は1953年の英国の村、事件はホテルを経営するかつての人気女優の殺人。誰もが怪しい事件に挑むピュントが明かす、驚きの真実とは……。ピースが次々と組み合わさり、意外な真相が浮かびあがる──そんなミステリの醍醐味を二回も味わえる、ミステリ界のトップランナーによる傑作!(下巻粗筋紹介より引用)
 2020年、イギリスで発表。2021年9月、邦訳刊行。

 

 三年連続ミステリランキング四冠達成のホロヴィッツの新刊は、まさかの『カササギ殺人事件』の続編。しかも過去にさかのぼるのではなく、2年後の話である。
 8年前にイギリスの高級ホテル「ブランロウ・ホール」で、ホテルのオーナー、ローレンス・トレハーンの次女、センリーがエイデン・マクニールと結婚して式が開かれる前日、宿泊客のフランク・パリスが部屋で殺害され、式の後に死体が発見された。財布が盗まれ、それが従業員でルーマニア人のステファン・コドレスクの部屋から見つかったことから、ステファンが捕まり、無実を訴えるも、最低25年以上の終身刑の判決を受けた。しかし先日、センリーはアラン・コンウェイが書いた名探偵<アティカス・ピュント>シリーズの第三作『愚行の代償』を読んで事件の真相がわかったと両親に連絡するも、その内容を告げる前に夫と子供を残したまま失踪した。

『愚行の代償』はホテル「ヨルガオ館」を経営する人気女優の殺人事件を扱ったものだったが、ホテルや登場人物の一部のモデルは「ブランロウ・ホール」だった。当時編集者だったスーザン・ライランドに、事件の真相を探してほしいと、トレハーン夫婦は依頼する。クレタ島アンドレアス・パタキスと経営するホテルが赤字だったことから、報酬に目がくらみ、スーザンはイギリスに渡る。
 本作では、まずスーザンが次女の失踪と当時の殺人事件についての捜査を始め、事件の概要や人間関係が分かったところで、スーザンが『愚行の代償』を読み始める。上巻の後半から下巻にかけ、『愚行の代償』が丸々収録されている、という展開だ。
 『カササギ殺人事件』は現在の時点の事件の方は面白かったが、作中作「カササギ殺人事件」の方が今一つで、ちょっと残念だったのだが、本作は作中作『愚行の代償』が面白い。クリスティのオマージュとなっており、フーダニットに酔わせてくれる作品に仕上がっている。さらに、現在の事件とどこにリンクするのかという謎解きも加わり、二つの謎解きを作中作で楽しめるのだ。それにどの人物がどの人物のモデルになっているかといった楽しみも加わる。現在の事件の構造がわかってから作中作を読むというのは、実に楽しい。前作と違う点はそこだろうか。
 現在の事件の方もフーダニットを楽しめる作品だ。ただそれ以上に楽しめるのは、アラン・コンウェイの意地悪さだろうか。どこに悪意が潜まれているのか、嫌な気分になりながらも楽しんでしまうのだから、作者の腕に脱帽してしまう。最後に訪れる一気呵成の謎解きばかりでなく、スーザンの周囲の人物などもきちんと描かれていてドラマがあるし、言うことなしである。
 個人的には今までのホロヴィッツで一番楽しめました。今年もトップを取るんじゃないかな。それにしてもアランって、全作に何らかの悪意を画しているのか? 残り七冊を楽しみに待ってしまうじゃないか。次のスーザンシリーズの作品は、アティカス・ピュントのテレビドラマが舞台なのかもしれない。

麻耶雄嵩『メルカトル悪人狩り』(講談社ノベルス)

 悪徳銘探偵メルカトル鮎に持ち込まれた「命を狙われているかもしれない」という有名作家からの調査依頼。“殺人へのカウントダウン”を匂わせるように毎日届く謎のトランプが意味するものとは? 助手の作家、美袋三条との推理が冴えわたる「メルカトル・ナイト」をはじめ、不可解な殺人事件を独自の論理で切り崩す「メルカトル式捜査法」など、驚愕の結末が待ち受ける傑作短篇集!(粗筋紹介より引用)
 『メフィスト』他掲載。2021年9月、刊行。

 

 美袋三条が住むアパートの隣にある大家の庭で、隣の家に住む昭紀青年が大家である未亡人で妖艶な美人の八尾多美に頼まれ、二日前に死んだ飼い犬の琢磨を埋めていた。二階の窓から見ていた美袋だったが、そこへ現れた多美に、琢磨は先妻の息子である徹が財産を狙って多美を殺そうとしている、その前にまず飼い犬を殺したに違いないと言い張り、美袋からメルカトル鮎に“無料で”調べてほしいと依頼した。当然メルカトルは断ったが、日付が変わったころ、いきなりメルカトルが美袋の部屋に現れた。「愛護精神」。
 頼まれ仕事で石見にある古寺に来た美袋。その帰り際、手水舎にスマホを落として故障させ、さらに最終バスに間に合わず山の中を歩き回ることとなり、見つけたのは三階建ての洋館。そこは脳外科医で有名だった故大栗博士の邸宅で、美袋はメイドに頼んで泊めてもらうことになった。ちょうどその日は、博士が35年前に引き取った四人の孤児が命日に合わせて帰ってきていた。しかし、そのうちの一人が、女性用の露天風呂で殺された。「水曜日と金曜日が嫌い」。
 コロナ禍の名探偵の話。ショートショート「不要不急」。
 なぜ屋敷で殺人事件は起きるのか。ショートショート「名探偵の自筆調書」。
 小説の取材で鳥取に行った美袋だったが、駅でメルカトルと遭遇。ところが依頼人である中規模の貿易会社社長、若桜利一は台風で沖縄から帰ってこれず、代わりに来たのは秘書の郡家浩。しかし郡家は依頼内容を聞いていない。若狭宅に泊まることになった二人だが、住んでいるのは妻、二人の娘、息子、家政婦。その日は長女の婚約者も来ていた。ところが夕食後、秘書の郡家が殺害された。「囁くもの」。
 閨秀作家として有名な鵠沼美崎のところに、トランプのダイヤのKが送られてきた。次の日はダイヤのQ、その次の日はダイヤのJ。Aの次の日はハートのKが送られてきた。これはいったい何のカウントダウンなのか。ハートの4が来た時点で、美崎はメルカトルに、3日後のAが来るときに、滞在中のリゾートホテルで警護してほしいと依頼する。「メルカトル・ナイト」。
 かつて事件を解決したことがある人気俳優の辛皮康雄に誘われ、主宰している劇団「皿洗い」の上演に向けての合宿が行われる大江山の別荘「天女荘」に来たメルカトルと美袋。湖で双眼鏡を覗いたら天女を見つけた美袋。歩いていくと天女堂があり、中には天女像とトランクがあった。次の日、加入したばかりの若手女優から別荘にトランクが宅配で送られてきた。しかしそのトランクは、美袋とメルカトルが天女堂で見たものと同じだった。トランクの中には、砂を詰めた袋がいっぱい。そして、俳優の一人が自室で殺害されていた。「天女五衰」。
 メルカトルが過労で倒れて入院した。二日で退院したが、静養のため、誘われていた乗鞍高原の別荘に向かったメルカトルと美袋。持ち主である会社社長、神岡翔太郎の妹である美涼は5年前に白血病で23歳の若さで亡くなった。妻の和奏も美涼の学生時代の友人で、他に5人の美涼の友人たちが別荘へ遊びに来ており、さらに1人が明日来るとのことだった。メルカトルは調子が悪く、失態を繰り返す。次の日の夕方、友人の一人が殺害された。「メルカトル式捜査法」。

 

 『メルカトルかく語りき』以来10年ぶりのメルカトル作品集。久しぶりだなと思っていたら、『メルカトルかく語りき』どころか『鴉』も読んでいないや。本屋で目にしたから、わあ、懐かしいと思って購入した。
 メルカトルの行動・言動がすべてを見透かしているかのようでありながらも、本人はそれを否定。事件が起きる前によるメルカトルの行動が、最後の犯人追及のための推理の条件に含まれているのだから、何といえばいいのか。「メルカトル式捜査法」を読むと、それはもう無意識なのか、それともその行動そのものが犯人を招き入れているのか。そういう謎、というか不可解な現象までも含め、本格ミステリとして仕上がっているのは、麻耶雄嵩らしい。
 それにしても、相も変わらず銘探偵メルカトルが傲岸不遜。こんなのと友人付き合いしている美袋が本当に辛抱強いと思ってしまう。まあ、いいか、そんなことは。
 まあ、素直にメルカトルという存在自体を呑み込んで読む分には、楽しめる作品集。そうじゃない人には、呆れるだけだろうな……。読みにくい名前の登場人物ばかりだが、ちゃんと変換できるところには感心する(今頃言うか)。

そういえばわからないことがあった

 先日の深谷忠記『執行』(徳間書店)を読んでいて、死刑執行後の再審請求は、飯塚事件を除いて過去に2件しかない、と書かれていた。病死後なら思いつく人はいるのだが、執行後となると誰だろう。1件は福岡事件の西武雄元死刑囚なのだが、もう1件がわからない。藤本事件(菊池事件)の藤本松夫元死刑囚かと思ったが、こちらはまだ再審請求されていない。オウムの井上嘉浩元死刑囚も執行後の再審請求があるが、こちらは飯塚事件の再審請求より後。どなたか、教えてください。

「推理クイズ」の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/mystery-quiz/index.htm
「このクイズの元ネタを探せ」に推理クイズを1問追加。

「お馬鹿な推理クイズを求めて」の方に載せようかどうか、かなり迷いました。

グレアム・ムーア『評決の代償』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 大富豪の娘を誘拐し、殺したとされる男の裁判。陪審が下した無罪判決は、世論からバッシングを浴びた。それから十年。現在は刑事弁護士として活躍しているマヤ・シールら当時の陪審員たちが、かつて裁判中に宿泊していたホテルに集められる。あの事件のドキュメンタリーが撮影されるのだ。だが番組収録を翌日に控えたその夜、真相につながる新たな証拠を見つけたと主張していたひとりが、部屋で死体で発見された。マヤは自らの容疑を晴らすため、必死の調査を開始するが……サスペンスに満ちたリーガル・ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2020年2月、ランダムハウスより刊行。2021年7月、邦訳刊行。

 

 作者のグレアム・ムーアは1981年シカゴ生まれの作家、脚本家。2010年、『シャーロック・ホームズ殺人事件』で作家デビュー。2014年、映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の脚本を担当し、第87回アカデミー賞脚色賞を受賞している。
 10年前にロサンゼルスの大富豪、ルー・シルバーの一人娘、ジェシカが誘拐され、遺体がないまま、ジェシカが通う学校のパートタイムの国語教師で黒人のボビー・ノックが逮捕された。ジェシカとボビーは放課後に会い、メールを通わすようになっていた。国民の84%が、ボビーがジェシカを殺害したと信じていた。本来なら表に出ないはずの12人の陪審員の名前が表に出るほど、アメリカ中の注目を浴びた。5か月後、陪審は無罪判決を下した。当初は11対1で有罪判決だったが、唯一無罪を挙げたマヤ・シールが他を説得したのだ。まさかの無罪判決に、世間は陪審員を非難した。それから10年後、テレビ局の企画で当時のドキュメンタリーが撮影されることになり、1人を除く11人が、当時宿泊していたホテルに集まった。刑事弁護士となったマヤは撮影前日、黒人のリック・レナードを部屋に招き入れる。二人は裁判中、肉体関係に陥ったが、リックは最後の一人になるまで有罪を訴えていた。リックはその後、マスコミにやはり有罪であったとマヤを批判するようになる。そんなリックは、真相につながる新たな証拠を見つけたと話す。口論となって部屋を出たマヤが再び帰ってくると、リックは殺されていた。疑われたマヤは他の陪審員たちに話を聞いて容疑を晴らそうとする。
 物語はボビー・ノックの裁判と10年後の話が交互に語られる。陪審員たちの視線を通した裁判や評議の様子、そして10年後はマヤの視点によるリック殺害事件の真相と、さらにリックがつかんだという証拠探しの話である。
 訳者があとがきで「なんとも皮肉に満ちた作品である」と書いているが、その通り、皮肉に満ちた作品である。10年前の裁判の展開は、『十二人の怒れる男』を彷彿とさせるもの。もし、評決が誤りだったら。そんなifを楽しむことができる。さらに有罪確実とされた黒人が無罪となる展開は、立場こそ違うがシンプソン事件を彷彿とさせる。他にもクリスティ(ミステリ)に対する皮肉もあるし、マスコミに対する皮肉もある。おそらく陪審員制度や弁護方法、ブラック・ライヴズ・マターにも皮肉な視線を向けているのだろう。事件の真相までも含めて、今のアメリカが抱える問題点、矛盾点に対する皮肉な視線を集めた作品になっている。
 それでいて優秀な法廷ミステリに仕上がっているところが面白い。意外な展開がこれでもかとばかり続き、読んでいて振り回されっぱなしであった。変なことを言うけれど、乱歩が得意な裏返しトリックをこれでもかとばかりに詰め込んだような、今までのミステリにあった“よくある展開”を多々ひねくれて使ったような作品なのである(いや、本当にあったかどうかはよく覚えていないが)。そういう意味でも、皮肉に満ちた作品なのだ。
 映画の脚本家らしい、サプライズの連続みたいな作品。個人的には好きだぞ。

押川曠編『シャーロック・ホームズのライヴァルたち 1』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 19世紀末から今世紀初頭は、名探偵シャーロック・ホームズの活躍が読者の熱い支持を受けていた時代だ。そして、かの名探偵のライヴァルともいうべき名探偵たちもまた、この時代に数多く登場している。科学者探偵、悪徳探偵、怪盗、義賊、パロディ探偵……ホームズを意識つつも独自の魅力を発揮した多士済々の名探偵を一堂に集めた本書は、名探偵の黄金時代に憧れ、胸ときめかす読者には垂涎の書といえよう。(粗筋紹介より引用)
 1974年2月からほぼ2年間、『ミステリ・マガジン』に断続的に連載された「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」が母体。1983年6月、刊行。

 

 22歳のルシーラ・スタッドリーが開業医のハリファックス博士を訪ねる。20歳年上の夫、ヘンリー卿が極度の神経状態にあるのだが、屋敷を出たがらないのでぜひ来てほしいと依頼した。ハリファックス博士は、ルシーラも病で重態の状況と診て、屋敷を訪ねる。ヘンリー卿が言うには、夜中に幽霊が出るとのことだった。『ストランド・マガジン』に1893年6月から連載された「ある医師の日記から」の第七話、L・T・ミード「スタッドリー荘園の恐怖」(ハリファックス博士)。古臭いゴシックロマンス風ミステリ。謎自体も単純だし、今読むと歴史的な価値しかない。掲載当時はホームズと人気を二分していたとのこと。
 マーチン・ヒューイットを訪れたのは、F・グレアム・ディクソン。新型の移動式魚雷の設計図の写しが事務所から盗まれたという。盗まれた当時事務所にいたのは二人の助手だけ。ヒューイットは事務所を訪れ、盗んだ犯人を捜す。『ストランド・マガジン』に1894年3月号から連載されたヒューイット譚の第四話、アーサー・モリスン「ディクソン魚雷事件」(マーチン・ヒューイット)。ヴァン・ダインに「ホームズの足跡をたどった最初の注目すべき探偵」といわれたマーチン・ヒューイット。創元推理文庫で一冊にまとめられており、本編も収録されている。ホームズの連載が一時終了した後に連載されている。残された現場の状況から犯人を推察し、さらに設計図を取り返して背後を探り当てるのだが、ヒューイット自身がちょっと地味なところが残念。
 南アフリカの百万長者であるチャールズ・ヴァンドリフト卿と、その義兄で秘書のシーモア・ウィルブラハム・ウェントワースは、ニースにホテルを取り、休暇を楽しんでいた。そのころニースで有名になっていたのは、信者に"偉大なるメキシコの預言者"と呼ばれ、千里眼の能力を持つ男のことであった。チャールズ卿はペテンを暴いてやると、その予言者を呼び出す。『ストランド・マガジン』に1896年6月から一年間連載された「アフリカの百万長者」の第一作、グラント・アレン「メキシコの予言者」(クレー大佐)。本シリーズで登場するのは、ゴムのような顔を持つ変装の名人、クレー大佐。言ってしまえば詐欺師であり、この後もチャールズ卿との追いかけっこが始まるとのことだから、ホームズのライヴァルとは違う気もするが。その後の詐欺については謎が解き明かされるが、他についてはそのままということもあり、冒険活劇として読んだ方が正しいシリーズ。クレー大佐は藤原宰太郎の本で知っていたので気になっていたのだが、できればシリーズで読んでみたい。
 シドニー・ハーコートは婚約者のリリアン・レイに渡すため、半世紀にわたってロンドン社交界のあこがれの的であったダイヤモンドを、宝石店の目の前で新しいケースに入れてもらい、包んでひもでくくったままの状態で持ってきた。しかしケースを開けてみると、中は空であった。宝石店に伝言を届けると、一時間後にアルフレッド・ジャギンズという私立探偵が宝石店の依頼で現れ、ハーコートから話を聞いて出ていった。すると今度は別の男が、同じくアルフレッド・ジャギンズと名乗って表れた。『ビアスンズ・ウィークリー』1897年1月23日号から12回にわたって掲載された名探偵アルフレッド・ジャギンズ譚の第一話、マクドネル・ボドキン「消えたダイヤモンド」(ジャギンズ氏)。どことなくユーモラスな中年男が探偵で、出だしの突飛さと比べるとなんとも地味な終わり方であり、探偵役もこれまた地味で面白みに欠ける。このシリーズは単行本"The Rule of Thumb Detective"では加筆され、主人公も青年私立探偵ポール・ベックに書き改められており、クイーンの定員にも選ばれている。作者は、ポール・ベックとドラ・マールの二つのシリーズを持ち、結婚させて生まれた息子とともに事件に当たる作品を書いたことで知られる。
 ジプシー娘のヘイガー・スタンリーが営む質屋のところへ一人の若者が持ってきたのは、高価な珍本である『神曲』第二版だった。売りたくないので来たという若者に四ポンドを渡したが、一週間後に質札を持ってきたのは下品な男だった。質草を渡さなかったヘイガーは、若者の亡くなった叔父の遺産探しに挑む。1899年、ロンドンのスケフィントン社から出版された「質屋のヘイガー」に収録、ファーガス・ヒューム「フィレンツェ版ダンテ」(質屋のヘイガー)。ファーガス・ヒュームといえば『二輪馬車の秘密』で有名な多作家。本作はヘイガーというキャラもいいし、ミステリの謎と結末もよくできている。一冊丸ごと読んでみたい。
 クイーンズフェリー界隈の大邸宅の何軒かで、不可解な方法で貴重品がごっそり持ち去られる事件が続いたが、警察は誰も逮捕できなかった。盗まれた人々たちが集まって相談しあい、ロンドンの私立探偵、タイラー・タットロックが呼ばれた。しかしタットロックが来てから二日後、また強盗事件が起きた。1900年にチャトー・アンド・ウィンダス社から刊行された短編集"The Adventures of Tyler Tatock; a Private Detective"の巻頭に収められている、ディック・ドノヴァン「クイーンズフェリー事件」(タイラー・タットロック)。作者は当時の多作家ということで、作者と同じ名前の探偵が活躍する短編集シリーズがある。事件が起きて、探偵が現れてすぐ消えて、次に現れたときは解決を話すだけ。しかも犯人の目星を付けるのは、本能的。全然魅力ないんだけど。
 大英博物館閲覧室の常連であるプリングル氏は、ある一人のドイツ人らしき男が気になった。多数の本に囲まれ、色々考えながら手紙を書き終わった男が周りの本を落としたすきに、プリングル氏はランディ侯爵と書かれた宛先をこっそりと見た。さらに男が本を返している隙に、吸取紙つづりをすり替えた。ブリングル氏は吸取紙から文字の判読を試み、文章を再現する。R・オースチン・フリーマンが無名時代、ホロウェイ刑務所の嘱託医を務め、当時の上司であったJ・J・ビトケアンと合作したクリフォード・アシュダウンが1902年6月より『キャッセル』誌に連載された「ロムニー・プリングルの冒険」の三作目、クリフォード・アシュダウン「シカゴの女相続人」(ロムニー・プリングル)。ロムニー・プリングルは40歳を過ぎた独身の詐欺師。表向きは出版代理人だが、裏では法律の抜け穴を利用する悪徳紳士である。悪事を探り出し、脅迫者の裏をかいてちゃっかりと儲ける主人公の姿が小気味よい。
 ロンドンで探偵事務所を開いているユージェーヌ・ヴァルモンのところへ、若いチズルリッグ卿が仕事を依頼に来た。六か月前に吝嗇の伯父が亡くなり、甥であるチズルリッグ卿に遺産を残した。遺言書には図書室の二枚の紙の間に財産があるという。チズルリッグ卿はその図書室兼寝室兼鍛冶場を隅から隅まで探したが、遺産を見つけることができなかった。そこでヴァルモンに遺産を見つけてほしいという。ヴァルモンはその図書室へ向かった。1906年にロンドンのハースト・アンド・ブラケット社から刊行された短編集『ユージューヌ・ヴァルモンの勝利』に掲載された、ロバート・バー「チズルリッグ卿の遺産」(ユージェーヌ・ヴァルモン)。ユージェーヌ・ヴァルモンは元パリ警視庁の警視で、今はロンドンで探偵事務所を開いている。「忍耐と刻苦」が捜査信条。エルキュール・ポアロの原型として知られているが、ヴァルモンは失敗ばかりしている滑稽な人物。代表作「放信家組合」は乱歩のいう「奇妙な味」を象徴するような短編である。本作品における遺産の隠し場所は、推理クイズでも引用されている有名なトリックであるが、本作品の面白さはヴァルモンとチズルリッグ卿のユーモラスなやり取りと、失敗を繰り返す過程である。
 “正義の三人”の住み家へ、魅力的な女性のミス・ブラウンが訪れてきた。レオン・ゴンザレスが対応するが、ブラウンは顔を知られたくないので明かりをつけないでというので、偽名のようだ。彼女は6年前、聖ジョン病院の医学生だった。同級生の男性、ジョン・レスリットに熱を上げ手紙をやり取りしたが、深い関係になる前に奥さんがいることを知った。そしてブラウンは、堕落したジョンに強請られた。去年のクリスマス、ブラウンは教会で賛美歌を歌っているジョンを偶然見てしまった。そして2か月後、ジョンから強請の手紙が来た。おそらく女性が婚約したニュースを新聞で読んだからだった。レオンはジョンに交渉に行く。1912年、「ノヴェル・マガジン」に発表。1931年、"The Law of the Three Just Men"に収録された、エドガー・ウォレス「教会で歌った男」(正義の三人)。レオン・ゴンザレス、レイモン・ポワカール、ジョージ・マンフレッド、ミゲル・テリーによる「正義の四人」は、社会の害虫どもを退治する任侠の士。作者の処女長編『正義の四人』で登場し、以後、四人目のメンバーを入れ替わりながら続く人気シリーズとなった。ただし、途中から三人になっている。こういう作品を読むと、当時の読者はスカッとしたのだろうなと思う、テンポの良い作品。
 ソープ・ヘイズルは、大学で同じ寮だった外務次官のモスティン・コットレルから依頼を受ける。外務省から重要な書類が盗まれ、現在、その書類はドイツ大使の手中にあるという。大使館付きの送達便の一員であるフォン・クリーゲン大佐に、急送公文書が入った公文書送達箱を持って出発するように命令が下り、その中に目的の書類がまぎれている。ヘイズルに、その書類を奪ってほしいというのだ。1912年、C・アーサー・ビアスン社から刊行された『ソープ・ヘイズルの事件簿』に収録されている、V.L.ホワイトチャーチ「ドイツ外交文書箱事件」(ソープ・ヘイズル)。ソープ・ヘイズルは書物蒐集家で菜食主義者で鉄道マニアの素人探偵である。最も短編集15編のうち9編しか登場しない。列車消失トリックの名作「ギルバート・マレル卿の絵」で知られている。本作品は残念ながら、当時のイギリスの列車の構造がわからないと、ピンと来ない。
 わたしとノヴェンバー・ジョーは森の猟からの帰り道、杣道にある足跡を見つけ、誰が通ったかを聞いてみた。するとジョーは、「白人で、重大ニュースを運んでいて、遠くから来たわけではない。おそらく私の小屋にいるだろう」と推理した。その通り、ジョーの小屋にはクローズというリヴァー・スター・バルブ会社のCキャンプ監督が来ていた。部下の樵夫であるダン・マイケルズが襲われ、もらったばかりの給料が奪われたという。実は去年も五回、路上で強盗事件があった。1913年にボストンのホートン・ミフリン社から刊行された短編集『ノヴェンバー・ジョー』に収録されている、H・ヘスキス・プリチャード「七人のきこり」(ノヴェンバー・ジョー)。ノヴェンバー・ジョーはカナダに住む24歳のきこり兼狩猟ガイドだが、迷宮入りの事件を解決して森の名探偵と言われるようになった。本作品はホームズよろしく、残された手がかりから消去法で犯人を言い当てる作品である。
 ジョージとルーシーのイーデンバロー夫婦は、新婚旅行に来たウィンタワルトのエクエルショル・ホテルにジョン・ダラー博士を招待し、一緒に食事をとった。話はストリキニーネ事件のことになる。必要量の百倍のストリキニーネを患者に与えたという。その患者はジャック・ラベリックといい、ジョージの同級生だったという。1913年から『レッド・マガジン』に連載され、1914年にイーヴリ・ナッシュ社から出版された短編集""に収録された、F・W・ホーナング「的外れの先生」(犯罪博士ジョン・ダラー)。コナン・ドイルの義弟で、怪盗ラッフルズの作者として有名なホーナングのシリーズ・キャラクター。トボガン(アメリ先住民族が使っていたソリ)競争にかかわる話に続くのだが、背景の説明が省かれていて、とにかく読みにくいし、わかりにくい。
 ポットソンは夏季休暇中にジェームズ・シルヴァーのアンブロザ屋敷で過ごしていた。友人のピックロック・ホールズはポットソンに、今夜この屋敷に強盗が入ると予言する。イギリスの有名な滑稽新聞『パンチ』の1983年11月4日号に掲載された、R・C・レーマン「アンブロザ屋敷強盗事件」(ピックロック・ホールズ)。ホームズのパロディ・ショートショートだが、個人的には特に笑えなかったな。
 ヘムロック・ジョーンズはブルッグ街の下宿で悩んでいた。なんと、ジョーンズがトルコ大使から送られた葉巻入れが盗まれたという。ジョーンズは医者のわたしに、必ず自部一人の力で取り戻すと告げた。『ビアスン』1900年10月号に匿名で発表して掲載された、ブレット・ハート「盗まれた葉巻入れ」(ヘムロック・ジョーンズ)。ホームズものなら誰かは一度手を付けていそうなパロディだが、結末までの怒涛な展開には驚かされる(笑わされる)。

 

 名探偵の代名詞はシャーロック・ホームズ。その人気ぶりを見て、当然他の作者も、ホームズのような、あるいはホームズとは真逆な名探偵たちを登場させていった。それが「ホームズのライバルたち」。ホームズのような「名探偵」だけでなく、ドジな探偵、義賊、怪盗、悪徳探偵、パロディ探偵など、様々なキャラクターたちが生まれ、その多くが消えていった。そんなホームズのライバルたちの作品を集めたアンソロジー全3巻の第1巻。
 それにしてもこれだけの探偵たちがいることに驚かされるし、魅力的なキャラクターから失笑するキャラクターまで、様々な探偵たちが世界を駆け巡っていると思うと、非常に面白い。もちろん、作品自体は首をかしげるようなものもあるけれど、それでもこれだけのキャラクターが一堂に会する短編集は素晴らしい。
 貴重なアンソロジーだと思うし、資料的価値も高い。絶版にしないことを祈る。