平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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深谷忠記『執行』(徳間書店)

 堀田市で起きた幼女殺人事件「堀田事件」の犯人として死刑判決を受けた赤江修一。彼は無実を主張したが、控訴、上告とも棄却され、判決確定後、わずか二年で刑を執行された。それから六年後――亡き赤江に代わり再審請求中の堀田事件弁護団宛に、真犯人を名乗る「山川夏夫」から手紙が届く。さらに一年後に届いた二通目の手紙の中には、犯人のものだという毛髪が入っていた。弁護団の須永英典弁護士は手紙の差出人を突き止めるべく、新聞記者の荒木らと調査を開始する。調査が進むにつれ、日本の刑事司法の根幹を揺るがす計略が浮かび上がる……。
 死刑執行後も事件の再審請求を続ける弁護団。東京高検検事長殺人事件の捜査に当たる刑事たち。無関係の両者が交錯するとき、驚愕の事実が明らかに――!(帯より引用)
 2021年8月、徳間書店より書下ろし単行本刊行。

 

 深谷忠記はトラベルミステリ、歴史ミステリなどを描き続けているが、一方で2000年ごろからは書下ろしで骨太の社会派推理小説を発表していた。本作は社会派推理小説としては久しぶりの出版になるようだ。
 物語は三つのパートに分かれている。
 延岡事件の犯人である鳥淵透(51)が独居房の中で、パジャマを割いた紐で首をつって自殺した。一、二審死刑判決を受け、上告中だった。警察の調査で自殺と確定。しかし当日夜勤だった森下裕次刑務官は落ち込み、従兄で同じ拘置所に勤める滝沢正樹刑務官は裕次を励ますも、3か月後に自殺した。結婚相手と、腹の中にいる子供を残したまま。
 「堀田事件」の再審請求の弁護団に、山川夏夫と名乗るものから真犯人であると手紙が届く。一通目から一年一か月後に届いた手紙の中には、山川の毛髪が入っており、DNA鑑定をすれば遺体に残っていた体液のDNAと一致するはずだと告げていた。しかも自分はもうすぐ別の事件で死刑が確定するという。山川夏夫とはいったい誰か。
 検察庁のナンバー2である東京高検検事長、鷲尾敦夫が千駄木で殺害された。しかし家族にも職場にも、鷲尾が千駄木に行く理由が思い当たらなかった。容疑者も見当たらず、警察の必死の捜査が続く。
 物語は滝沢正樹のパート、須永とひとみのパート、そして検事長殺害の捜査の三つに分かれる。当然ながら最終的にはこの三つの話が交わるわけである。
 滝沢のパートで出てくる「延岡事件」にモデルはないが、須永とひとみのパートで出てくる「堀田事件」は、飯塚事件をモデルにしている。舞台こそ福岡県飯塚市ではなく、東京高裁管轄内のN県堀田市という架空の市となっているが、それ以外は事件の日時から執行、さらに死後再審の過程まで全く同じである。ただし、飯塚事件で逮捕、死刑執行された久間三千年に息子と娘がいたかどうかは不明である。
 本作品では、「堀田事件」の闇が事件に大きく関わっている。正直なことを言ってしまえば、森下が自殺した原因の内容については、普通だったら有り得ない、と言いたくなるものである。同様のことは、鷲尾殺害の犯人についてもいえるだろう。そもそも、闇の部分の衝撃的な内容について、本当に可能なのかどうか、私にはわからない。複数回読み返してみたのだが、それでもわからなかった。
 それでなぜ飯塚事件をそのまま作品に取り込んだのだろう。「延岡事件」を創作するのなら、何も「堀田事件」を飯塚事件と同じにする必要はなかったはず。飯塚事件の無実を訴える作品ではなかった。飯塚事件そのものは冤罪が疑われる事件として有名だと思うのだが、やはり飯塚事件の疑惑を広めようとでも思ったのだろうか。
 作品自体の方なのだが、先に書いたとおり、数か所無理と思える部分がある。多分、作者もそれをわかりつつも、死刑という刑の闇の部分を照らしてみたかったのかもしれない。力作だとは思うが、傑作というわけではない。ただ、帯にあるとおり予想できない結末ではあった。

大山誠一郎『アリバイ崩し承ります』(実業之日本社文庫)

 美谷時計店には「時計修理承ります」とともに「アリバイ崩し承ります」という貼り紙がある。難事件に頭を悩ませる新米刑事はアリバイ崩しを依頼する。ストーカーと化した元夫のアリバイ、郵便ポストに投函された拳銃のアリバイ……7つの事件や謎を、店主の美谷時乃は解決できるのか!? 「2019本格ミステリ・ベスト10」第1位の人気作、待望の文庫化!(粗筋紹介より引用)
 『月刊ジェイ・ノベル』に2004年から2007年に掲載。2018年9月、書き下ろしを加え、単行本刊行。2019年11月、改稿して文庫化。

 

 大学教授が自室で背中からナイフで殺害された。ギャンブル好きで、別れた後も金をせびるなどストーカー行為を続けていた元夫が犯人かと思われたが、犯行時刻には友人2人と居酒屋で飲んでいた。「第1話 時計屋探偵とストーカーのアリバイ」。
 郵便ポストから、午後三時の集荷の際に拳銃が発見された。銃口から硝煙が臭い、銃口付近に人血が付着していた。2つの暴力団の小競り合いかと思われたが、その拳銃で殺害されたのは、製薬会社に勤める独身男性。好青年で殺される心当たりは全くなかったが、上司の課長に動機があることが判明。しかし課長には、犯行時刻には中華レストランで従兄弟たちと集まっていた。「第2話 時計屋探偵と凶器のアリバイ」。
 刑事の僕が夜の散歩中、男が車に跳ね飛ばされるのを目撃した。男は僕に、恋人を殺害したと告白。しかしそのまま意識を失い、亡くなった。男はアリバイ崩しを得意とする推理作家で、殺されたのは男の彼女だった。しかし男が別の女性を好きになり、別れ話がもつれていた。警察は自供の裏付けに当たっていたが、男は死亡推定時刻の10分前に自宅で宅配便を受け取っており、彼女のマンションまでは車で20分かかる。しかし、男は自宅近くで車に轢かれた。男にアリバイが成立している。「第3話 時計屋探偵と死者のアリバイ」。
 個人レッスンのピアノ教師の女性がマンションの自室で首を絞められて殺された。両親から相続した家と土地を売り払うかどうかについて、妹ともめていた。そして妹は殺害時刻にアリバイがなかった。話を聞くと、夢遊病の発作を起こして殺したのではないかと語る。しかし僕には彼女が犯人とは思えなかった。さらに調べると、女性が通っていたマッサージ店の店長の男性が怪しい。しかし犯行時刻、店長は別の女性を見せでマッサージしていた。「第4話 時計屋探偵と失われたアリバイ」。
 時計を買った僕に、美谷時乃は小学四年生の時の話をする。時計店店主の祖父と二人暮らしの時乃に、祖父はアリバイ崩しの問題を出す。振り子時計を3時25分に止めるが、祖父が持っていた写真には、一駅離れた駅前広場の時計台をバックにした祖父がいた。時計台は3時25分を差していた。もちろん、振り子時計に仕掛けはない。「第5話 時計屋探偵とお祖父さんのアリバイ」。
 三連休をもらった僕は、長野県の料理がおいしいことで有名なペンションへスキーをしに行った。しかし二日目の朝、客の一人が隣の時計台の中で鉄亜鈴で殴られて殺害されていた。僕は夜の11時、その人が時計台に向かうところを目撃していた。残っている足跡は、犯人が往復したとみられる長靴と、被害者が向かっている足跡だけ。当然ペンションにいる誰かの犯行と思われたが、オーナー夫婦、僕を含む客3人はダイニングのバーで12時まで一緒に酒を飲んでいた。犯行時刻は11時から12時の間。残るは、客の一人である中学一年生の少年だった。「第6話 時計屋探偵と山荘のアリバイ」。
 65歳の元健康器具販売会社の男性が、自宅で鈍器で殴られ殺害された。70歳になる姉と、男性の持つ自宅と土地を売却するかしないかでもめていたが、姉は自宅にお手伝いとおり、しかも足が不自由で車いす生活だったので、犯行は無理。捜査は難航。3か月後、姉は警察の許可を得て、伸び放題になっている植木や雑草を刈り取ったが、隅の木の根元から男性の白骨死体が発見された。男性が社長だった会社の経理担当だった男で、しかも一千万円の使い込みをして十三年前に失踪したと思われていた。もしかして男は、社長に殺害されたのではないか。男の身寄りを探すと、妻は亡くなっており、21歳の大学生の息子だけが残っていた。息子にアリバイを聞くと、その日は友人が家に遊びに来ていたという。「第7話 時計屋探偵とダウンロードのアリバイ」。

 

 大山誠一郎はデビュー作と第二作を読んだが、謎解きにこだわる割にはあまりにもわかりやすく見逃せない矛盾があって、これ以上読む気にはならなかった(創元じゃなかったら手に取っていなかったと思うが、創元じゃなかったらデビューすらできなかっただろう)。三作目で第13回本格ミステリ大賞を受賞したのには驚いたが、それでも手に取る気にはならなかった(まあ、いつかは読むつもりだが)。本作は「2019本格ミステリ・ベスト10」第1位を取ったというので、文庫化されたのをたまたま見つけて読んでみることにした。
 4月に県警本部捜査一課第二強行犯捜査第四課に配属された僕(名前は出てこない)が、容疑者にアリバイがあって行き詰まると、「アリバイ崩し承ります」という貼り紙がある美谷時計店に行き、20代半ばの店主、美谷時乃に話を聞かせ、アリバイの謎を解いてもらうという設定。1件解けたら5,000円。決め台詞は「時を戻すことができました」。
 物語性を徹底的に削り落とした安楽椅子探偵ものになっている。ご丁寧なぐらいに手がかりを書いてくれているので、アリバイ崩しそのものはそれほど難しくはない。第1話は背中から刺された時点で分かりそうなものだし、第2話は警察の鑑定で分かるだろうと思ってしまう。第3話はちょっと面白かったが、これも警察の鑑定が間抜けすぎ。第4話は実現できるとは思えない。第5話はただの思い出話。ここで探偵役に少しでも人間らしさを加味しようとでも思ったのだろう。第6話は、あまりにも警察が短絡的。というか、あんな状況ならすぐに自白しないか。第7話もダウンロードという点でピンと来る。全ての話は、過去にあったミステリのアリバイトリックのアレンジとなっている。新味はあまりない(それ自体は別に悪いことではない)。
 そして先に書いたとおり、物語性が削ぎ落されているので、ただの推理クイズに終わっている点が空しい。いくら本格ミステリといったって、ドイルの作品が推理クイズになっているか? 明智小五郎が出てくる作品が推理クイズで終わっているか? 隅の老人が推理クイズか? ワクワクする謎も、あっと驚くトリックも、魅力的な雰囲気を漂わせる探偵も、何もない。言っちゃ悪いが、事件をパソコンに入力したら、AIが謎を解いているようなものだ。見た目は悪くなくても、味が何もしない。
 うーん、『2019本格ミステリ・ベスト10』を買っていないから、当時どのような評があったのかはわからないが、どこが良かったのかさっぱりわからない。解説を読んでも、どこのおとぎ話がここにあったんだというぐらい、ピントがずれていると思った。無味無臭な作品。まあ、こういうトリックのみみたいな作品が好きな人もいるのだろうなあ、とは思った次第。浜辺美波主演によりテレビドラマ化されているが、なるほどなとは思った。脚本家や演出家によって、いくらでも味付けできる。

エリザベス・デイリイ『二巻の殺人』(ハヤカワ・ポケットミステリ)

 エリザベス・デイリイは1940年処女作"Unexpected Night"(後に『予期せぬ夜』のタイトルで邦訳刊行)をもって登場したアメリカの新進女流作家である。それ以後、デイリイは一年に平均二冊の割合で作品を発表しているのだが、その度に批評家や読者の好評を博し、現在では第一級の探偵作家になっている。彼女の作品の大部分はニューヨークを背景としており、動きにむだがなく、しかも未解決なあいまいさを残さず、一分のすきもないように組立てられている点が読者に喜ばれているようである。
 本書『二巻の殺人』はデイリイの第三作に当り、百年前に失踪した少女が再びそれらしい姿を表すという発端は、類型がいくつかあって必ずしも新奇ではないが、これにバイロン全集をからませて、古書狂のヘンリー・ガーマジを探偵として引っぱり出す処が面白い。登場人物の性格の組合せに神経を使って、環境と性格から犯人が生まれてくるという書き方はどうやらクリスティー女史の手法に似ている。しかしヒューマニスティックな見方をしているため、どの人物も憎めない一面を持っているのと、明快な解決ぶりで、後味がサッパリして快い。もっと他の作品も読んでみたいと思わせる作品であり、作者である。(訳者紹介より引用)
 1941年、アメリカで発表。1955年2月、刊行。1998年10月、再版。

 

 エリザベス・デイリイはアメリカの作家で、ブリンマー大学卒業後、コロンビア大学修士号を取得。16歳で詩や散文を発表していたとのこと。大学で講師を勤め、『予期せぬ夜』でデビューしたのは62歳の時。作品16冊全て、古書狂の素人探偵であるヘンリー・ガーマジ探偵が探偵役である。ガーマジは1904年生まれとのことなので、1940年6月が舞台の本書では36歳。後に、本書に出てくるクララ・ドーソンと結婚するそうだ。
 マルコ・ペイジ『古書殺人事件』と並び、古書ミステリマニアが探し求める作品と言われていた一冊。1998年のハヤカワ・ミステリ発刊四十五周年復刊アンケートで第10位に選ばれた作品である。「二巻」とはロード・バイロンの詩集の全集全十巻の第二巻のことを指している。
 個人的には名ばかりが先行していたイメージがあったのだが、読んでみると訳文が古いから、追いつくのがちょっと大変。しかしそれさえ慣れてしまえば、文章に癖が無いし、意外とすんなり頭には入ってくる。ただ、それほど盛り上がることもなく、殺人事件の謎をガーマジが突き止めてしまったという印象しかないな。当時の流行小説、というような感じがする。
 ということで、当時の復刊フェアで買ったまま放置していたけれど、読めたからよかった、という一冊。ごめん、それ以上の感想が出てこない。

伊吹亜門『幻月と探偵』(角川書店)

 ここは夢の楽土か、煉獄か――。
 1938年、革新官僚岸信介の秘書が急死した。秘書は元陸軍中将・小柳津義稙の孫娘の婚約者で、小柳津邸での晩餐会で毒を盛られた疑いがあった。岸に真相究明を依頼された私立探偵・月寒三四郎は調査に乗り出すが、初対面だった秘書と参加者たちの間に因縁は見つからない。さらに、義稙宛に古い銃弾と『三つの太陽を覚へてゐるか』と書かれた脅迫状が届いていたことが分かり……。次第に月寒は、満洲の闇に足を踏み入れる。(帯より引用)
 2021年8月、書下ろし刊行。

 

 『刀と傘』で本格ミステリ大賞を受賞した作者の書き下ろし長編。過去二作は幕末が舞台だったが、本作品は満州が舞台。考えてみると満州って、歴史で習った程度では知っているが、満州自体の風俗などはあまり気にしなかったなんて思いながら読み進める。
 前半は、いまだに関東軍に影響力を持つ退役陸軍中将・小柳津義稙の晩餐会で、血のつながる数少ない肉親である孫娘・千代子の婚約者、滝山秀一が毒殺された疑いのある事件で、月寒が当時の出席者に話を聞く展開が続く。会話を通して時代背景や人間関係を丁寧に説明してくれているのだが、事件が動かないので、ちょっと退屈かも。
 小柳津義稙やその周辺人物はもちろん創作だが(モデルがいるのかどうかは知らない)、岸信介椎名悦三郎といった実在人物も登場。岸信介満州にいたなんて、全然知らなかった。
 中盤から事件が続き、最後は連続殺人事件の謎を最後は月寒が解き明かすのだが、一気呵成の謎解きは面白かった。特にフワイダニットの部分に感心した。当時の関東軍の闇などにも触れられており、歴史の暗部も絡めたミステリとして十分楽しめる。ただ、そこ止まりかな……。もう一つあっと言わせるものが欲しかった。贅沢かもしれないが。
 この月寒三四郎という探偵役、今後も書き続けるのかな。今までも色々と事件にかかわってきたようだし。ただそれだったら、もう少し探偵の色を付けてほしいところだが。