平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

米澤穂信『いまさら翼といわれても』(KADOKAWA)

いまさら翼といわれても (角川文庫)

いまさら翼といわれても (角川文庫)

  • 作者:米澤 穂信
  • 発売日: 2019/06/14
  • メディア: 文庫
 

  神山市が主催する合唱祭の本番前、ソロパートを任されている千反田えるが行方不明になってしまった。夏休み前のえるの様子、伊原摩耶花福部里志の調査と証言、課題曲、ある人物がついた嘘―折木奉太郎が導き出し、ひとりで向かったえるの居場所は。そして、彼女の真意とは?(表題作)。奉太郎、える、里志、摩耶花――"古典部"4人の過去と未来が明らかになる、瑞々しくもビターな全6篇!(粗筋紹介より引用)
 『小説 野生時代』『文芸カドカワ』に2008年~2016年掲載。著者の〈古典部〉シリーズ最新短編集。「箱の中の欠落」「鏡には映らない」「連峰は晴れているか」「わたしたちの伝説の一冊」「長い休日」「いまさら翼といわれても」の六編を収録。2016年11月、単行本刊行。

 

 文春ベスト10に入っていたから全く気にせず購入したけれど、よく見たら〈古典部〉シリーズだったのでほったらかしにしていた一冊。片づけていた時に出ていたので、確か日常の謎ものだろうし、重くならない短編集でも読もうと思って手に取ったけれど、結構重かったな。とはいえ、シリーズを一冊も読んだことので、登場人物の背景がよくわからない。折木奉太郎千反田える福部里志伊原摩耶花って名前を覚えるのも最初はしんどかった。まあ、シリーズを読んだことがなくても、読み終えることができるくらいには楽しめたけれど。
 「箱の中の欠落」は生徒会長選挙で不可能なはずの水増し投票が行われた謎、「鏡には映らない」は中学校時代に折木が卒業制作で手を抜いた理由の謎、「連峰は晴れているか」は中学時代の教師のセリフの真相を考察する話、「わたしたちの伝説の一冊」は伊原摩耶花が所属する漫画研究会の分裂に巻き込まれた中で制作ノートが盗まれる話、「長い休日」は千反田えるに折木が省エネ主義モットーに至った理由にまつわる小学校時代の事件を語る話、「いまさら翼といわれても」は千反田えるが市の合唱祭に来ないので折木奉太郎伊原摩耶花に頼まれて探す話。
 日常の謎ものだが、「箱の中の欠落」みたいに推理部分が楽しめる話よりも、やはり登場人物の背景に重きを置かれている作品が多かったかな。まあこれでシリーズ物を読んでみたくなったとなればこれでいいのかもしれないけれど、さすがにそこまで手を出す時間的余裕(読みたい未読本が多すぎる)がないので断念。シリーズ1作目から読んでいれば、また違った楽しみがあったんだろうなとは思った。ただ、短編集がまとまるほど作品がそろうのに8年もかかってしまうと、シリーズファンからしたら納得がいかないところじゃないのかな。

山本巧次『開化鉄道探偵』(創元推理文庫)

開化鉄道探偵 (創元推理文庫)

開化鉄道探偵 (創元推理文庫)

  • 作者:山本巧次
  • 発売日: 2021/02/12
  • メディア: 文庫
 

  明治12年晩夏。鉄道局技手見習の小野寺乙松は、局長・井上勝の命を受け、元八丁堀同心の草壁賢吾を訪れる。「京都―大津間で鉄道を建設中だが、その逢坂山トンネルの工事現場で不審な事件が続発している。それを調査する探偵として雇いたい」という井上の依頼を伝え、面談の約束を取りつけるためだった。井上の熱意にほだされ、草壁は引き受けることに。逢坂山へ向かった小野寺たちだったが、現場に到着早々、鉄道関係者が転落死を遂げ……。「このミステリーがすごい!」トップ10にランクインした、時代×鉄道ミステリの傑作。待望の文庫化。(粗筋紹介より引用)
 2017年5月、東京創元社 ミステリ・フロンティアより『開化鐵道探偵』のタイトルで書下ろし刊行。2021年2月、文庫化。

 

 このミスでランクインしてから初めて興味を持ちいつか買おうと思っていたのだが、文庫化されたのでこれ幸いとばかりに購入。もっと早く文庫化してくれよ。作者はてっきり新人だと思っていたけれど、第13回「このミステリーがすごい!」大賞隠し玉となった『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』(宝島社文庫)にて、2015年にデビュー。以後、「八丁堀のおゆう」シリーズを何冊も書いていた。全然知らなかった。
 逢坂山トンネルの工事現場で起きた不可解な事件の謎を、腕利きの八丁堀同心だった草壁賢吾が謎を解く。設定そのものはシンプルだけど、背景が面白い。明治開化の鉄道事業の裏側も面白いし、当時のトンネル工法も現代と比べると非常に興味深い。専門的な部分もかみ砕いて説明されているのでわかりやすい。これも不勉強で恥ずかしいのだが、井上勝という人物も全然知らなかった。ちょっとだけ検索してみたが、気骨のある人物だったらしい。本作でもそんな井上の豪快さと頼もしさが前面に出てくる。生野銀山の工夫頭だった植木伊之助や雇われ機関士のウィリアム・カートライトのプロフェッショナルぶりも読んでいて清々しい。重要人物とその他の人物の描写にちょっと差を感じるのは仕方がないが、もうちょっと筆を入れてくれれば、ミステリとしても厚みが出てくるのにとは思った。
 事件の謎自体はそれほど難しいものではないが、時代背景をうまく織り込んでいることと、最後に犯人を追い込むロジックはシンプルだがなかなかのもの。草壁が何もかも知っていますというような顔をしているところがマイナスポイントかな。ワトソン役は間抜けなものというのは相場が決まっているが、小野寺がちょっと可哀そうになった。
 傑作まではいかないけれど、「快作」という言葉がぴったりくる作品。明治ならでは、そして鉄道建設現場という特殊性がうまく織り込まれ、時代小説としてもミステリとしても楽しめる作品。続きも夏に文庫化されるようなので、読んでみたい。

D・M・ディヴァイン『災厄の紳士』(創元推理文庫)

災厄の紳士 (創元推理文庫)

災厄の紳士 (創元推理文庫)

 

  美人のお嬢様を相手にするのは慣れていなかった。でも、この“仕事”で失敗するわけにはいかない。ネヴィル・リチャードソンは、見た目は美男子だが根っからの怠け者。ジゴロ稼業でなんとか糊口を凌いでいたところ、さる筋からうまい話が転がり込んできた。今回の標的は、婚約者に捨てられたばかりの財産家の娘アルマ。わがままで、かつ気の強いアルマにネヴィルは手を焼くが、“共犯者”の的確な指示により、計画は順調に進んでいた。彼は夢にも思わなかった――とんでもない災難が、その後わが身に降りかかることを! 本格ミステリの名手ディヴァインが周到に策を巡らせた快作。(粗筋紹介より引用)
 1971年、イギリスで発表。2009年9月、邦訳刊行。

 

 妻子持ちで怠け者で頭の悪いジゴロのネヴィルが、何者かの指示に従い、金持ちの娘アルマに近づき、見事恋仲となって家に呼ばれる。アルマの父親は、かつての有名作家、エリック・ヴァランス。しかしアルマの姉、サラ・ケインはネヴィルに不審を抱く。
 フランスサスペンスにありそうな設定、展開。しかし中盤で事件が起き、そこからはフーダニットに切り替わる。描写がうまいから読めるし、展開が気にかかるんだけど、犯人が誰かどうかというより、この後どうなるんだろう、という意識のほうが強くなるのは何とも……。正直言って犯人なんて、どうでもいいと思ってしまうのは良いことなんだか、悪いことなんだか。
 事件が起きるまでのネヴィルによる一人称視点から、事件が起きた後の三人称視点に切り替わるところや、わざとらしい伏線とか、最後に犯人を突き止めるロジックとか、色々うまいなあと思うのだが、最後の動機がどうしても引っかかる。予想できたことだけど、実際に文章で読むと萎えちゃってしまった。なんか、最後の盛り上がる部分で肩透かしを食らった気分。
 何なんだろう、この読後感。緻密に組み立てられた作品だと思うんだけどね。

伊吹亜門『雨と短銃』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)

雨と短銃 (ミステリ・フロンティア)

雨と短銃 (ミステリ・フロンティア)

  • 作者:伊吹亜門
  • 発売日: 2021/02/22
  • メディア: 単行本
 

 慶応元年、坂本龍馬の仲介により薩摩藩長州藩は協約を結ばんとしていた。長きに亘った徳川の世から新たな日本の夜明けを迎えるのだ。しかし、一件の凶事が協約の締結を阻む。上洛していた薩摩藩士が稲荷神社の境内で長州藩士を斬り付けたというのだ。更に下手人は目撃者の眼前で、逃げ場のない鳥居道から忽然と姿を眩ませた。このままでは協約協議の決裂は必定、倒幕の志も水泡と帰す。憂慮した龍馬の依頼を受けて、若き尾張藩士・鹿野師光は単身捜査に乗り出す。歴史の大きな転換点の裏で起きた、不可能犯罪の真実とは。破格の評価を受けた『刀と傘 明治京洛推理帖』の前日譚にして、著者初となる時代本格推理長編。
 2021年2月、書下ろし刊行。

 

 2019年、第19回本格ミステリ大賞受賞を『刀と傘 明治京洛推理帖』で受賞した作者の受賞後第1作となる書下ろし長編。前作の探偵役であった尾張藩士・鹿野師光の前日譚で、薩長同盟前夜の話である。
 仇敵同士だった薩長がまさかの手を結ぶという前夜であり、殺人事件を前にした両者の緊迫した関係や、仲介に駆けずり回った坂本龍馬の焦る気持ちなどはよく描かれている。ただ薩長同盟については色々な角度で書かれているから、たとえ歴史の裏話みたいな設定でも、どこかで見たことがあるような、という気分になってしまうのはちょっと残念。
 さらにいえば、不可能犯罪のトリックや殺人事件の動機が分からなくても、犯人などは割と簡単にわかってしまうところも勿体ない。犯人が分かっても楽しめるミステリも当然あるのだが、本作の場合はやはりマイナスに働いているのではないか。そのせいもあるだろうが、長編としては短めの話で収まっており、豪華すぎる登場人物と比較すると、あまりにも小粒な印象を与えている。
 丁寧に書かれていて作品としてはまとまっているし、面白いといえば面白いのだが、物足りない印象を与える一冊。次作に期待したい。