平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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イーデン・フィルポッツ『孔雀屋敷』(創元推理文庫)

 一夜のうちに起きた三人の変死事件を調査するため、英国から西インド諸島へ旅立った私立探偵。調べるほどに不可解さが増す事件の真相が鮮やかに明かされる「三人の死体」。鉄製のパイナップルにとりつかれた男の独白が綴られる、奇妙な味わいが忘れがたい「鉄のパイナップル」。不思議な能力を持つ孤独な教師の体験を書く表題作。そして〈クイーンの定員〉に選ばれた「フライング・スコッツマン号での冒険」など、『赤毛のレドメイン家』で名高い巨匠の傑作六編を収める、いずれも初訳・新訳の短編集!(粗筋紹介より引用)
 日本オリジナル短編集。2023年11月刊行。

 グラスゴーで教師をしている天涯孤独の女性、ジェーン・グッドイナフ・キャンベルは、父親の友人で教父(ゴッドファーザー)でもある退役将軍ジョージ・グッドイナフから招待され、ダートムアのポール館にやってきた。ある日、自転車の遠乗りに出かけたジェーンは、孔雀屋敷に遭遇する。窓をのぞき込んだジェーンは、ある惨劇を目撃し、逃げ帰った。怖くて黙ったままのジェーンであったが、数日経っても誰も事件に触れることはなかった。そこでジェーンは再び屋敷を訪れようとしたが、そこに屋敷はなかった。「孔雀屋敷」。幻想小説にも、怪談にも、そしてミステリにも読める不思議な物語。標題作にふさわしい、読み応えのある、そしてなんともいえない余韻が漂う一編。
 アレクサンドル二世治下のロシア、オリョール北部にある貧しいアーシンカ村。ステパン・トロフィミッチは領主ニコライ・クリロフ伯爵の圧政に耐えかね、殺害しようとしたが失敗し、捕らえられ、地下牢で伯爵から拷問を受ける。「ステパン・トロフィミッチ」。これは初訳。ロシアの寒村を舞台にした悲劇かと思ったら、最後になっていきなり本格ミステリになるのだから驚き。とはいえ論理的な謎解きがあるわけではなく、フィルポッツも普通小説のつもりで書いたのだろう。ただ、○○が凶器となっているというのは、人の発想はどこでも変わらないのだな、と妙な気持ちになってしまう。
 ボーンズワージー村で資産家のウィリアム・ウェドレイクが、自宅でナイフで刺されて殺害された。金は盗まれておらず、手がかりも見つからない。親戚は遠方に住み、皆アリバイがある。ウィリアムは独身の篤志家で、恨んでいるものもいない。しかし新米警官のわたしは前日、偶然手がかりになりそうなシーンを目撃していた。予定されていた休暇を利用し、わたしは独断専行で捜査を進めた。「初めての殺人事件」。これも初訳。正直言って呆気ない話。解説の戸川安宣は「ファースを狙った作品ではないかと思われる」と書いているが、あまり成功しているようには思えない。奇妙な殺人事件と、その顛末を楽しむ作品、なのだろうか。
 私立探偵事務所長のマイケル・デュヴィーンの命を受けたぼくは西インド諸島にわたり、バルバドス島で起きた殺人事件の捜査に挑むこととなった。依頼人であり、資産家、実業家であるエイモス・スラニングの兄、ヘンリーがサトウキビ農園で満月の夜、警備員のジョン・ディグルとともに殺害された。それとは別に同じ夜、プランテーションで働くソリー・ローソンが殺されて崖の下に投げ込まれた。謎が解けなかったぼくの調査報告書をもとに、名探偵マイケルが謎を解く。「三人の死体」。江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』に収録されている「三死人」の改訳。ヴァン・ダインエラリー・クイーンがフィルポッツ短編の代表作と太鼓判を押した作品。純粋な安楽椅子探偵ミステリ。本格ミステリとして素晴らしい作品だが、フィルポッツが描きたかったのは被害者を巡る人間模様だったと思う。
 コーンウォール州の湊町ビュードに住む食料雑貨店店主ジョン・ノイは、一つのことに執着すると他に何も見えなくなってしまう性格であった。そんなノイが荒谷執着したのは、近所に建設された屋敷の周りに建てられた金属の支柱のてっぺんにある鉄のパイナップルだった。「鉄のパイナップル」。チェスタトン編『探偵小説の世紀 上』収録作品の新訳。誰にも理解できない異常心理が、とんでもない悲劇を生み出す。乱歩が好みそうな「奇妙な味」の作品。
 北ロンドン在住の中年の銀行員、ジョン・ロットは、敬愛するミス・サラ・ビークベイン=ミニフィが遺した10万ポンド相当を相続するために、サリー州リッチモンドから近くの村ピーターシャムへと向かった。しかしジョンは憂鬱であった。継父の息子で血のつながらない兄である悪名高いジョシュアが、ジョンを葬り去ろうとしていると思っていたからだ。「フライング・スコッツマン号での冒険─ロンドン&ノースウェスタン鉄道の株券を巡る物語」。「クイーンの定員」に選ばれた短編集の表題作。1888年にロンドンのジェイムズ・ホッグ・アンド・サンズ社から出版された小冊子で、フィルポッツの初出版作品となる。短編集と言っても、本作品しか収録されていない。株券を巡るサスペンスで、最後は偶然にたよりすぎるのだが、人間ドラマとしては読む分には悪くない。気の弱い主人公に共感する人は多いだろう。

 イーデン・フィルポッツの三冊のミステリ短編集から選んだ六編を収録。ミステリとしての謎解きよりも、人間ドラマとしての謎解きの趣きが強い作品ばかりではあるが、それが結果的にはミステリとしてもすぐれた作品になっている点は非常に興味深い。今読むとミステリの仕掛け的には古臭い部分はあるし、筆運びも前時代的ではあるが、それは書かれた時代を考えると仕方がない。しかし、それを上回る物語の面白さがある。人の心はミステリ、誰にも窺うことはできない。
 乱歩が『赤毛のレドメイン家』をあれだけ絶賛していたにもかかわらず、フィルポッツの短編集が日本でまとめられたのは初めて。多作家のフィルポッツだし、これだけの出来の作品が他にもあるだろうから、是非とも読んでみたいものだ。