平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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米澤穂信『Iの悲劇』(文藝春秋)

 一度死んだ村に、人を呼び戻す。それが「甦り課」の使命だ。山あいの小さな集落、簑石(みのいし)。六年前に滅びたこの場所に人を呼び戻すため、Iターン支援プロジェクトが実施されることになった。業務にあたるのは簑石地区を擁する、南はかま市「甦り課」の三人。人当たりがよく、さばけた新人、観山(かんざん)遊香(ゆか)。出世が望み。公務員らしい公務員、万願寺(まんがんじ)邦和(くにかず)。とにかく定時に退社。やる気の薄い課長、西野(にしの)秀嗣(ひでつぐ)。日々舞い込んでくる移住者たちのトラブルを、最終的に解決するのはいつも――。徐々に明らかになる、限界集落の「現実」! そして静かに待ち受ける「衝撃」。これこそ、本当に読みたかった連作短篇集だ。(粗筋紹介より引用)
 『オールスイリ 2010』『オール讀物』2013年11月号、2015年11月号、2019年6月号掲載作品に書き下ろしを加え、2019年9月、文藝春秋より単行本刊行。

 山間の小さな集落、簑石に一人もいなくなるまで。「序章 Iの悲劇」。
 Iターン支援推進プロジェクトに第一陣として転居してきたのは、久野家と安久津家。それから10日目、ラジコンヘリが趣味の久野は、安久津の家が夕方から焚火してスピーカーで訳の分からない音楽を流し続けると苦情を言ってきた。「第一章 軽い雨」。
 Iターン支援推進プロジェクトで、十世帯が蓑石に移住してきた。そのうちの一人、牧野は休耕田に水を張り、鯉を育て始めた。四方にポールを立てて、目の細かい緑のネットを張っているのに、鯉が盗まれて減っていると苦情を言ってきた。出張中の万願寺はすぐに答えを出せず、明日夕方、帰り次第牧野の家を訪れると約束する。「第二章 浅い池」。
 民間の歴史学者久保寺治は、平屋建てに山ほどの本を持ち込んだ。絵本などもあることから、近所に住む立石家の子供、速人が度々遊びに来ていた。ある日、その速人が母親に、本のおじさんのところへ行くと言ったまま帰らなかった。しかし久保寺は仕事で名古屋に行っていた。「第三章 重い本」。
 河崎夫婦の妻、由美子は、車の排ガスは毒だ、隣家の上谷が建てたアマチュア無線のアンテナから電波が出て体に悪いなどとクレームをつける。移住者の一人、長塚が親睦を深めるために秋祭りを開催し、バーベキューを行った。そのとき、由美子が毒キノコを食べてしまい、救急車で運ばれた。「第四章 黒い網」。
 西野と万願寺は、プロジェクトの提案者である飯子市長へ現況の報告書を提出する。すでに半分以上が箕石を出ているのにも関わらず、大野副市長が少し激するも、山倉副市長や飯子は甦り課の責任を問おうとしなかった。その夜、万願寺は東京で働く弟と久しぶりに電話で会話する。「第五章 深い沼」。
 円空が彫った仏像が、若田夫妻が借りている家にあった。長塚はその仏像は重文指定級であり、円空仏を中心にミュージアムを建て、観光地化しようと甦り課に訴えた。しかし若林一郎は、預かりものだから仏を公開することは許されないと答えた。「第六章 白い仏」。
 箕石へ訪れた西野、万願寺、観山がこれまでのプロジェクトを振り返る。「終章 Iの喜劇」。

 合併してできた小さな南はかま市にある、無人化した集落箕石に人を呼び戻すIターン支援プロジェクト。業務にあたった甦り課の面々が、様々な事件に対応する連作短編集。タイトルに「Iの悲劇」とあるし、そもそもハッピーエンドがほとんどない作者のことだから、プロジェクトがうまくいかないのは予想できる。
 途中に出てくる様々な問題、そして万願寺と弟のやり取り、さらに結末などを通し、現在の日本の難題の一つを浮き彫りにしている。合理的に考えるか、情緒的に考えるか。答の出しにくい問題である。
 作者はそんな問題点を提示しつつ、集落で起きた事件と推理を提供する。まあ、事件というほどの大きな事件ではないし、推理できるほどの材料が全て与えられているわけでもないのだが、それは主眼点を考えると当然の手法になるのだろう。日常の謎レベルで社会派のテーマを取り扱うのは、珍しいかもしれない。
 作者も色々なテーマを取り扱っているのだな、と思わせる一冊。本格ミステリを楽しみたかったという人には、がっくりするかもしれないが、個人的には面白く読むことができた。一番好きなのは、「第二章 浅い池」。不可能事件のように聞こえるも、現場を見てしまえば一目で答えが出てしまうそのギャップが面白い。馬鹿馬鹿しいと言う人も多そうだが。